半紙が墨を吸う瞬間の音までが研ぎ澄まされて聞こえてくるような一句☆
スゥ! とか、シュっ! とか、そのイメージは様々でも、墨が滲んだ瞬間に完璧へ対する寂寥感を覚えるのは、正しく「秋」を彷彿とさせるものがありますね。
――『滲む香りも 甘く酸っぱく』
墨の香りが好きです。なんとも言えない落ち着きを得る事ができます。
そして、半紙に墨が滲む事で不思議と酸っぱい雰囲気が漂ってくるのは、半紙の素材が成せる業でしょうかね。これは、愛宕だけかなぁ~。
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(*^^*)♡
「墨が滲んだ瞬間に完璧へ対する寂寥感を覚えるのは、正しく「秋」を彷彿とさせる」——
なんて奥深くて、繊細なコメント…まさに、この話の中で私が表現したかったことです!素晴らしい…!
墨の香り、とても落ち着きますよね。私も大好きです。
甘酸っぱい…なるほど。これはもしかしたら、愛宕さんの繊細な感覚ならではのものかもしれませんね♡
書道は大好きなのですが、気づくと納得のいかない出来のものを何枚も投げ捨てながら汗をかいている、負けず嫌いな私でございます^^;(笑)
その人にとっての「完璧」は、別の人にとっては綻びのあるものかもしれない。
絶対美と言われるものであっても、見る人によっては絶賛するほどのものには思えなかったりするわけで、本当に不確かなものを各々が追求しているわけですね。
一見無駄と思えるようなことだけれど、そこを目指す過程に成長や発見、達成感などがある。
完璧な状態そのものよりも、そこを目指す過程を得るために精進というものがあるのかなぁと思いました。
作者からの返信
そうですね!
「完璧」を必死に追うのではなく、自分の思う頂点を目指す。その行為そのものが、自己を高めることに繋がるんですね。
無意味な完璧主義と、自分自身を高めるために頂点を目指す行為は、似ているようだけれど実は正反対の位置にある…そんな気もしてきます。
完璧の追求と憧憬
これもまた手に入らないと分かりつつ、追い求めてしまうものですよね。
あらゆる美術が完璧をもとめ、それに届かないことを知りながら、それでもより近くに近づこうとしている、たとえ到達できなくともほんの1センチでも近づきたい、その様、その姿勢こそが美しいと思えます。
作者からの返信
芸術の世界には、「完璧を目指す」は、なくてはならない行動かもしれませんね。「完璧」というのはとても主観的で、不確かではあるけれど…自分の思い描く完璧、というものを、芸術家はおそらく絶対に持っているのでしょうね。そうやって目指す頂点がなければ、自己の作品を高みに持ち上げることはできない。
思えば、芸術家という存在も、とても特殊で…「神が与えた何か」を感じずにはいられませんね。
書道の心得はありませんが、凛とした空気が伝わる様な作品でした。
完全な『白』の世界に『黒』で想いを綴る…。
複雑な想いを色彩豊かに表現する『美』もあるでしょうが余計なものが無いという『美』そのひとつが書道なのかも知れませんね。
たしかに、有名な書道家の作品は『美』を感じます。
作者からの返信
日本の文化の美しさは、ギリギリまで削り落とした美しさ、という特徴があるような気がしますね。俳句の面白さもその一つで、僅かな言葉でいかに情景や心情を表現できるかに重点を置く。変わった文芸です。
シンプルを極めた中の美しさ。外国の文化から眺めると、そういうところも「クールジャパン」に見えるのかもしれませんね。
秋に五感が敏感になるような気がします……「秋の声」の仕業だったのですね。だからこそ芸術の秋や食欲の秋という言葉もあるのでしょうね。
aoiさんは絵筆が似合いそうなイメージでしたが、書道の筆も似合いそうです。精神を研ぎ澄まして文字を造形する時間、静謐です。墨と半紙のコントラスト……誠に勝手ながらピアノの黒鍵と白鍵のコントラストを想います。
「目標に手が届けばそこから下り坂になる恐怖に怯え、目標を諦めてしまえば虚しさに襲われ」ますよね。「目標」を「完璧」に置き換えても意味が通るかもしれないと気付きました。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
空気がすっと澄んで、心も身体も研ぎ澄まされるような感覚になる。まさに五感が敏感になる季節ですね。
私は、書道も絵画(落書きレベル!笑)も好きではありながら、極める所までは全くいっておらず、時々気まぐれに楽しむ程度なのです^^;(笑)
ひいなさんがピアノと音楽に向き合う姿は、まさに澄み切って真摯なのだろうなと、お作を拝読しながらいつも想像しています。
精神が揺らぐ苦しみを出来る限り回避したいと願う私^^;(笑)誰でもそうなのだと思いますが、ぐらついて崩れそうになる自分の心をしっかりコントロールし、いつでも心地よい自然体を保ちたいと、どこかで常に思っているような気がします。