「自分の満足する形に留まることを、ひとはしばしば願う。
でも、同じ形に留まっていられるものなど、本当は何一つないのだろう」
響きました。自分が好きだと思う形で生きていけたら、いいのですよね。
気持ちが掬い上げられる……そんな気がしました。
作者からの返信
宵澤さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そのように感じていただけて、とても嬉しいです(*´∇`*)✨
留まりたい、という望みは、多分決して叶うことはなくて。どれだけ願っても、少しずつ形を変えていってしまうのだと思います。
ならば、いっそその形にこだわらず、次の「好きな形、素敵な形」に近づくような柔らかな気持ちでいたい。そんなことを思いながら書いた話です。
宵澤さんのお気持ちのお役に少しでも立てたならば、嬉しいです✨✨
自分の上の空。
それは現実に見える一面の青に、たま~に視界へ入ってくる白い雲。
そして同時に、見つめる先が自分の思うがままに……青と白のキャンパスへ描かれていく一種の「上の空(うわのそら)」まで想像できる世界観が秘められた句に感じます☆
――『上(うわ)の空にも 望む自由を』
自由に動く雲。それを見て、時々は柵から抜けたいと思う自分。空のキャンバスに描いた分だけ、心の癒しも溢れるように思います。
作者からの返信
わー♡とても素敵な解釈をしていただけて、すごく嬉しいです!♪( ´▽`)「うわの空」の雰囲気まで感じてくださったのですね…雲の自由さ、柔らかさは、そんな心の在り方さえも柔らかく受け止めてくれる気がしますね(*^^*)
日常って、思えば窮屈なことだらけですね。息苦しさやストレス、摩擦…こんなものからは逃れられなくて。
でも、空を見上げれば、そこにはいつも自由がある。色も形も一切制限などない自由が。……時には無心に空を見上げて、思い切り自由を味わう時間も必要なのではないか…そんな気がします( ^ω^ )♪
編集済
すごく心に沁みました。
確かに自分が満足する形をずっと留めていることなんてできない(そもそも完璧に満足する形になることもないのだけれど)
刻刻と形を変えていくものならば、その流れに身を任せながらも好きな形になれればいい
そう思えたら気持ちが楽になれる気がします
( *´꒳`* )
作者からの返信
本当に、その通りですね。
こうでなければならない、と自分自身を縛り付けるのは、自分のためになるような錯覚をしてしまいがちなのですが…結局、自分を苦しめているだけなのかもしれません。
自分の「好きだ」と思えること、「心地いい」と思えることに、もっと近寄っていってもいいのかもしれない、と思います。その気持ちは、間違いなく自分を幸せにしてくれますもんね( ^ω^ )
芝生に寝転んで空を見る。
もう長い間やっていない気がします。
のんびりと無駄に見えるような時間を過ごすのも、人生の楽しみのひとつですね。
そんな時間にしかできない発見もありますものね。(^^)/
作者からの返信
黒須さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
そうですね。これはまたやってみたいなあ、と私も思いながら、なかなか実行できなくて。大人になるっていうのは、窮屈でなんだか寂しいものですね。
大人になり、社会に出たりすれば、狭い場所で何かに追われながら生きることがいつしか当たり前になり、気づけば深呼吸すらも忘れてしまっていますよね。でも、そういう窮屈さを忘れ、時には空を見たり風を感じたりすることって、忘れてはいけないんじゃないかなと思うのです。