「香りの記憶」素敵です❤蚊取線香の芳香と、百日紅の樹に守られる情景が、五感を掠めたようでした。嗅覚が、視覚や聴覚を伴って、脳裏に鮮やかな光景をえがくことがありますよね。そんな確かな現象が文字で伝わる素晴らしさを、ありがとうございましたm(__)m
作者からの返信
宵澤さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
嗅覚って、本当に不思議ですよね。子供の頃しょっちゅう嗅いでいた匂いとか、季節ごとに咲く花の香りとか、生活の中の匂いとか……あっという間に時間を超え、その場面に引き戻される感覚。実際に戻ることは叶わないその懐かしさに、たまらなく切なくなってしまうこともありますね。
人間の感覚というのは、本当に敏感で繊細なものだと思います。
その過去の思い出には存在していたかわからない「風鈴の音」までもが、脳内でイメージできる一句ですね☆
人間らしい愚かしさ。ユニークです。一つの真理にも聞こえてきます。
――『あのムームーの 裾を握りて』
お気に入りの服は、いつまでも記憶の欠片となって残っているものですね。生家の庭に立つ詠み手が、ムームーの裾をギュっと握って何かしら思い佇んでいるという姿も見えてきますな (o^-')b
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(*^^*)
生家の庭。思い出が詰まっていて、ぎゅっと胸が切なくなる場所ですね。
そんな風に、ほんの微かな感情の揺れにも胸が痛んだり涙がこみ上げる人間の心というのは、あまりにもか細くて…なんというか、褒められたものではない気がするのです^^;(笑)
そうですね。きっと幼い日々の中にも、喜びや楽しさだけでなく、子供なりの悲しさや翳りみたいなものもあったのでしょうね。
生家の庭。遊び、楽しむ場所であると同時に、そんな風に何かを思いながらじっと佇む幼い自分がそこにいるような……複雑な色合いの懐かしさが漂う場所です。
感動。思わず涙しました。
御丁寧で深い文脈が胸に迫りますね……。
今日も素晴らしいお話しをいただきました。
いつまでも変わらないと信じていた景色はいつの間にか移り変わり。
なのに気付けばやはり、すぐ傍らで私を見つめている。
そのきっかけは音だったでしょうか、はたまた香りだったのか。
あるいは百日紅の花咲く、どなたかの思い出を覗いたことで思い出されたのでしょうか。
扉を開けば、ごちゃごちゃとした台所が味噌汁の香りと共に私を迎えてくれる。
そんないつもの風景を胸に歩く雨の帰り道。
雨ゆえに、闇ゆえに、赤い目元のまま、あの日へと急ぎます。
作者からの返信
如月さん、大変美しいコメント、とっても嬉しいです。ありがとうございます!(*^^*)
ここ数日慌ただしくしており、お返事が遅れてしまってごめんなさい!
香りというのは、脳を経ることなく心にダイレクトに響いてくる気がして、とても不思議ですね。そして、その香りに胸を掴まれた瞬間、なんとも言えず懐かしく、切なくて。人間の心の微妙さ、繊細さにも改めて気づきます。
母が、撮った写真を丁寧にアルバムに綴る人なんです。そんな写真を、昔から繰り返し家族で眺めたりして楽しんだんですね。その中の、百日紅の下で弟と遊んだ一枚が、今も鮮やかに心に残っています。夏、蚊取り線香の匂いが漂うと、そんな遠い日が昨日のように蘇ってきて…手の届かないその懐かしさに、たまらなく胸が締め付けられたり。
こうした些細なことに、こんな風に心を揺らされ、時にかき乱されてしまう。
人間は、遠い幼い頃をいつも追い求めるような……なんて切ない生き物なのか……そう思わずにいられません。
aoiaoi様
嗅覚は、とても素早く脳に刺激を伝える感覚のようなことを聞いたことがあります。記憶にも残りやすいのかもしれませんね。
蚊取り線香、最近使わなくなってしまっていますね。でも殺虫効果は一番高いと聞いたことがあります。若い子たちはあまり嗅いだことが無いのかな。
日本の夏の風景の一つのような気がしますので、無くなってしまうのはちょっと寂しいですね。
aoiaoiさんの文章はとても鮮やかで、私もaoiaoiさんの記憶の風景を体験させていただきました。ありがとうございます。
作者からの返信
香りで呼び起こされる記憶というのは、思考回路を経ていないと感じるほどに瞬間的に、全く忘れ去っていたものを呼び覚まされる感覚がありますね。科学的にも、嗅覚はそういう特徴があるのですね。あの一瞬はとても不思議です。
蚊取り線香の香り、私も懐かしくてとても好きです。今はマンション住まいのため、庭先で炊く程度になってしまいましたが、実家へ帰ると昔と変わらずガンガン炊かれています。母は、「最近何か煙の匂いが変わってしまって、昔の自然な香りがしなくなったのが残念だ」とぼやいています。現代向けに何か新たな加工が加わってしまったのでしょうね。