季語の油蝉が締め括りでドーンと存在感を出してるようにも見えますが、実際はそれを聴いている詠み手が主体となって、蝉の鳴き声に感銘を受けているんだろうなというシーンが浮かびます☆
蝉の鳴き声は、雌だけでなく当然外敵にも聞こえているわけで……タイミングが悪ければ、捕食されてしまう危険も伴っている事を考えれば、雄って本当に「全力」なんだなぁって感じますな (o^-')b
――『雌は何処と 木々を見上げて』
一生懸命な部分を感じてしまうと、早いトコ雌が見つかるといいねと思いたくもなりますな (*´∇`*)
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)
まさに仰る通りです!夏の空間を圧倒的に支配する蝉の声の存在感を表すと同時に、短い時間の中でそれを鮮明に耳に残していく蝉の生命の輝きのようなものへの感動を、一つの句に込めました( ^ω^ )
虫には痛覚がない、という話を聞いたことがあります。あまりにも短い命なので、体に致命傷を負っても痛みを感じる必要がない…という理由…だった気がします。
こうして考えてみると、生物の命とは不思議ですね。自分自身の命の危機よりも、生殖や子孫の繁栄の方にはるかに重点が置かれている。
……自分自身の「生」を、ゆっくりじっくり味わいながら生きるのは、間違いなく人間だけなのだろうと思います。
雌は雌で、よりいい声で鳴く雄を探して躍起になってるのでしょうね!(o^^o)(笑)
死を知らずとも、命の燃やし方を知る油蝉。
死を知りながらに、くすぶる人類。
絶唱に学ぶところ大きいものです。
すてきな俳句に、私も絶唱です(*´ー`*)
ああ、みなさん耳を塞がないでw
作者からの返信
如月さん、とっても素敵なコメントをありがとうございます!(*^^*)♪このコメント自体が、まるで一つの作品のよう…♡
本当にそうですね。
「死」を認識しているのは人間だけ。それにも関わらず、人間はお互いに殺し合ったり、憎み合ったり、陥れたり…愚かですね。
「死」を知らなくても、命を使い切ることを知っている蝉。
人間のように卓越した知能を持っていることは、そんなにも優れたことなのか?と思わずにはいられませんね。
このお話と、つばきちゃんとあおいちゃんの対話を読んでまた深く考えさせられました。
確かに、人間は種を存続させることよりも個を生きながらえさせることを優先させている唯一の生き物ですね。
だから、命が削れるほどに全身全霊をかけることができなくなっているのかなと思いました。
油蝉の暑苦しい鳴き声も、彼らの命の歌だと思えば少し優しい気持ちで聞くことができそうです。
作者からの返信
大学の時、死を認識している生物は人間だけだ…そう学び、とても驚いた記憶があります。
人間だけが、死を知っている。その他の動物は、本能的に命の危険は感じても、そこで命が尽きることは知らない。
人間は、ずいぶん重いものに気づいてしまったんだな…そんなことを思ったりしますね。
ともすれば、死を認識しない生物が羨ましかったりもするのです。
aoiaoi様
命が声になって音になって証を刻む……本当に素敵な言葉ですね。
全力の生を受け止められる私達の耳も、幸せのおすそ分けをいただけているのですね。
生きしこと耳に残して油蟬
夏大好きな私としては、情景が見える嬉しい歌です。これで、来年の夏まで頑張れます(#^.^#)
作者からの返信
涼月さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
おっしゃる通りですね。空気を激しく振動させる蝉の声は、まさに燃え盛る命そのものだという気がします。子孫を残す、そのことただ一つに注がれる命の輝きを、私たちは耳にしているのですね。
来年の夏まで頑張れる……嬉しいお言葉を、ありがとうございます!!涼月さんのコメントに、私も元気を分けて頂いた気がします(*´∇`*)✨