編集済
韓非子の考え方に通じるモノを感じました。
何をもって是とするか……是非を問う事そのものが「人」の生み出した思考でありエゴでもある。美しいと見るか、無残と見るか。可愛いと見るか、残酷と見るか――。
確実に言える事は、「羽砕かれし」の部分に両方の視点(特に猫。食べずに遊んでいる可愛らしさが出ている気がします)が盛り込まれていて、程良い感じでイメージさせてくれるという七文字が素晴らしいという事☆
――『次は我が身と 知らず鳴く蝉』
と、その後のシーンまで浮かんできます (○-`ω´-○)ウム
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(o^^o)
この星で起こることは全て、人間の目を通して色がつけられる。人間が存在しなければ生物が繁栄するための営みに過ぎないものが、人の目を通して、美醜や悲しみ、憎しみ、そのような感情を持って捉えられる。そう思うと、とても不思議です。
俳句は、できる限り主観を入れずに詠むことが良いとされています。作者が自分の感情を敢えて入れない事で、読み手はそれぞれの想像力を使ってその情景や情感を楽しむことができる。だから、俳句って読み手がどんな解釈を加えてもいいんですよね。読み手が自由に捉え、味わえる。それが俳句ならではの面白さである気がします。
「羽砕かれし」の表現に、客観的な視点を鋭く感じていただけた気がして、とても嬉しいです(*^^*)
その通りですね。側で鳴く蝉もまた、自分の命が間もなく尽きることを知らないのですよね。それを知っているのは人間だけ——。
編集済
拝読させていただいてから、ずーっと考え込んでいたりしてました。
そして考え込めば考え込むほど、なんだか分からなくなる。
深いテーマですよね、人間と宇宙。
御返信への返信
そうなのですよね……。そして考えていくうちに、この「言葉」という物にすら不思議な感覚を抱いてしまいます。
素敵なアカデミックタイム、ありがとうございました!
またうかがいますね♪
作者からの返信
人間、宇宙。どちらも、さっぱりわからないものですね(笑)
そう考えると…私たちは、自分自身のことも、自分がどこに住んでいるのかも、よく理解できていないことになりますが…
結局、この宇宙や時間の流れ、生物の命などは、その存在そのものが割り切れない、不可解なものなのかもしれませんね。そんな風に思うことがあります。
ああ、なんかすごく心に響くお話でした…!
脳だけ生態系の外、すごく言い得て妙ですね。
子豚や子牛を可愛いという。屠殺という部分には目をつぶってスーパーで切り分けられた肉を買う。
感情を持ってしまった人間は、「目をつぶる」「忘れる」といった方法がなければ生きていくことはできないのかもしれません。
作者からの返信
「目をつぶる」「忘れる」…本当にその通りですね。
人間は、自分が生きるためだとしても、他の生き物の命を奪うことに罪の意識を持つ。その痛みや苦しみを考えずにはいられない。思えば、随分と重いものを背負った生き物だという気がします。
その苦しみを、自分なりに整理し、どこかで折り合いをつけていかなければ、重すぎて生きていけない。自分自身を救うために、何とか明るい捉え方をしていかなくはいけないのでしょうね…。
aoiaoi様
実は、私が最近思っていたことの一つに、人間は言葉を持っているけれど、そのために目に見えない感情だったり、事象にまで言葉と言う枠に当てはめようとしてしまっているような気がするなと。進歩したけれど、窮屈になっているような気がしておりました。
割と自分が理屈人間なので、余計感じたのかもしれませんんが。
頭で考えるのでは無くて、もう少し感覚を大事に、自然の一部として生きていけるようにならないといけないのだろうなと思いました。
深いのに、すーっと心に入ってくる文章で、とても素敵でした。
作者からの返信
涼月さん、作品へお立ち寄りくださり、フォローとコメントをありがとうございます!(*^^*)♡
まさに仰る通りですね。私も、「言葉」について、涼月さんととても近いものを感じています。このエッセイに収めた『言葉という道具』という話に、涼月さんとびっくりするほど同じ思いを綴っており、驚いたと同時にとても嬉しかったです(*´∇`*)✨
何とも独りよがりの呟きを細々と綴っているエッセイですが、よろしければどうぞのんびりお付き合いくださいませ(*´꒳`*)♪