第7話 狩人の鉄則 その七

 昼間の熱気とは裏腹に、砂漠の夜はとても冷え込む。

 吐いた息が白むほどの冷気の中、日中は隠れていた虫などの小動物たちが活動を始めて、ニトの強化された耳には少々うるさかった。


「遠くへ行きたい」


 満点の星空に手をかざし、ニトはぽつりと呟いた。

 ボーイソプラノの声は歌うように夜に溶けていった。


 夜空にきらめく星の正体はデブリの群れで、偽物の星々は重力に引かれて頻繁に落ちてくる。

 潮の満ち引きなどを司る月白龍が隠れた時など、まるで光の雨かというほど、デブリの流星が降ってくる。


 地球はいまだ廃棄階層に囚われ、本当の星空が見えるようになるまでは、これから何千年もかかるのだろう。


 人類は、閉塞したままだ。


「いつか、遠くへ……」


 獲物を満載したキャラバンの最後尾。

 ニトは大型トラックの幌の上に寝そべり、沈むような眠気に微睡みながらも、その聴力によって周囲を警戒していた。


「交代しよう」


 低く落ち着いた声はナグロのものだった。

 見張りの交代時間には少し早い。


「……聞いてた?」


「何をだ?」


「いや、その、なんでもない……」


 口ごもるニトに、ナグロは仏頂面で幌の骨組みに腰掛ける。


「ニト、お前が龍骸街を出て、旅人となりたいのなら、俺は止めない」


「聞いてるじゃないか……」


 耳の先をやや赤くして、ニトは嘆息した。


「俺は止めるからな。稼ぎ頭をそう簡単に手放してたまるかよ」


 ナグロに続いて、ルシアドも登ってきた。


「ほら、差し入れ。ニトはこれ食ったら少し寝ろ」


 果汁水で薄めた蒸留酒の瓶と、携帯ビスケットの袋を投げ渡してくる。


「チビたちは?」


 ニトの問いにルシエドは肩をすくめた。


「全員疲れて寝てるよ。解体作業は重労働だからな。しょうがないさ。このまま夜が明けるまで、ここでビバークだな」


「それでいい。夜は獣たちの時間だ」


 ナグロがあぐらをかいて頷く。


 狩人の鉄則、その七。

『夜は動くな。見張りを必ず立て、身を潜めろ』


「獲物にいた消臭剤もなんとか保ちそうだ。匂いにつられた余計なのに追いかけられてる気配もない。明日は一気に街まで戻ろう」


 偵察や哨戒は主にニトが。戦闘と全体の指揮はナグロが。

 そして猟団のスケジュールやルートなどを決め、書類仕事を始めとした雑務はすべてこのルシアドが担っていた。


 わずか十三歳にして、大人たちと狩りの報酬について丁々発止の駆け引きをやってのける麒麟児である。

 面倒事ばかり押し付けられる、不幸な役どころという見方もあるが。


「ルシアドは優秀だ」


「うんうん。本当にそう思うよ」


 ナグロのつぶやきに、ニトは深く頷いた。


「団長・副団長がそろって脳筋なんでな……!」


 ルシアドは目を閉じて、ぎりぎりと歯を噛み締めた。


「ルシアドがいれば安泰だ。ニトが抜けてもなんとかなる」


 ナグロが先ほどの話を蒸し返した。ニトは慌てて両手を振る。


「あ、いや、あれは本気で言ったんじゃないよ。なんとなく言ってみただけ……。どこかに行きたいとか、そういう望みがあるわけじゃないんだ」


 へっ、とルシアドが鼻で笑う。


「思春期特有の精神病みたいなもんだろ。旅に出るったって、周りは砂漠、南は海。北に行っても溶岩地帯でその先に進めやしねえ。火山を越えたところで何があるかもわからねえんだ。龍の骸がなけりゃ人間なんてすぐに干上がっちまうんだぜ。こうしてキャラバンを組んでそこらを移動するのが精一杯さ」


「そう、だね……」


 ニトは曖昧にうなずき、差し入れの袋を開いた。


 保存を利かすため、固くなるまで焼き締められたビスケットはパサパサとしていて味気ない。

 普段なら飲み物で無理矢理流しこむのだが、今はこの三人しかいない。


「そうだ」


 ニトは自分の道具袋から、チーズの塊と琥珀色の液体が入った小瓶を取り出した。


「ナグロ、ライター貸して」


「? ああ」


 廃材で造ったゴツいライターを受け取り、その小さな火口ほぐちでチーズを炙る。

 煤が出てやや表面が黒ずむが、大したことはない。

 柔らかく熔けだした部分を手早くナイフで切り取り、ビスケットに盛っていく。

 そして最後に小瓶の蓋を開けた。


 甘い香りがする。

 とろりとした琥珀色の液体に、ルシアドが驚きの声を上げた。


「蜂蜜かよ。お前そんなの隠してたのか」


「内緒ね。チビ達の分まではないから。見張り番だけのお楽しみってことで」


 にひ、とニトは笑う。

 味気ないビスケットが、あっという間に贅沢な軽食へと変わってしまった。


 ニトは垂れる蜂蜜を口で受け止めながら、ビスケットを頬張る。


 熔けたチーズの塩気と、蜂蜜の芳醇な甘さがマッチして実に美味だ。

 硬いビスケットのザクザクとした食感が、チーズと蜂蜜のもったりとした風味を引き締めてくれる。


「む、これは美味いな。酒によく合う」


「ったく、飲み過ぎんなよ。……おっ、マジでこれうめぇな」


 年長組のひっそりとした宴は、しんしんと深く夜が更けるまで続いた。

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