君の笑顔があるなら

鶏肉の王様

第1話

六月中旬、梅雨に入ったあの日の昼休み、僕は図書委員として本棚の整理をしていた。

「ねぇ、ちょっといいかな?」

本棚の影から隠れるようにして、声をかけてきた。神薙桜かんなきさくら。同じクラスの女子で、普段はあまり話さない。だけど、週に一度、図書室の本を借りに来て、僕と話していく。最近はあの本が面白いだとか、少し話して去っていく。流れるような黒の髪にすらりとした手足、クラスのみんながよく噂をしている。ときおり見せる、花のような笑顔が僕はとても好きだった。

「今日の放課後さ、一緒に帰れないかな?」

唐突のお誘いだった。勿論、すぐに了承の返事をすると、彼女はすぐに去っていった、去っていく時にみえた、草花の陰に隠れるような笑顔に、少しだけ、ほんの少しだけ、胸が高なった。


 仕事を終えて教室に戻ると、友人である、森が昼食を食べていた。

「お、仕事終わったのか?お前はいつも真面目だな」

 昼食をとっている時に、さっきのことを話題にした。

「お、本当か?あの、神薙さんに誘われた!?」

 少し声を下げて、聞いてきた。こいつは、恋愛事に興味はないとか、言っていたから正直くいついてきたのは意外だった。

「まぁ、多分、一緒に書店にいこうぐらいだと思うけど」

「......なわけないだろ、真面目にいっているのか?」

 ん、確かに誘われたのは初めてだが、そこまで親しい訳でもない。わざわざ図書委員である僕を頼るぐらいだ、本でも探しているのだと思う。自慢じゃないが、大型書店か本を見つけ出すのは得意だったりする。そんなことを言ってみると、とても呆れた視線を見舞われた。

「まぁ、お前がそう思っているなら、それでもいい。だけどな、あの毎週のように告白されている、神薙さんだぞ」

 ――それだけのはずがないし、あっちもある程度の覚悟をもって誘ってきているに決まっている。昼食の話題にと思い、出した話題にとても真剣に返され、僕は言葉を返すことができなかった。森がさらに続けようと口を開いた時、チャイムがちょうどなった。

「確かに、お前が言うとおりかもしれない。お前が、あのことがあって、恋愛に対して、かなり真剣だってことは知ってる。だけどな、神崎だって真剣だと思うぞ」

 そんなことを言ってきた。そのあとは、すぐに別れ、席に座り、授業を受けたが、何故だか全然頭に入ってこなかった。


 そう言われてみると、彼女は、神薙は少し緊張をしていたよう思えて、そんなことを考えると、少し放課後になるのが、怖かった。


 少しだけ、僕の、母親の話をしようと思う。僕の母親は、父と結婚をして、妹を産んだあと、家を出ていった。理由は、不倫だった。母は、その不倫相手と行方をくらませた。父は自分の不甲斐ない姿をみせまいと、ここまで育ててくれたけれど、いつからか仕事に逃げるようになった。それでも、たっぷりと愛情を注いでくれたし、生活にも困ったことはない。そんな父の口癖は、「好きな人と幸せな家庭を築けよ」ということだった。父が果たせなかったことだ。 

僕も、今まで、誰とも付き合ったことはないし、本当に好きだと思える人と一生を歩みたかった。初めて付き合った人と結婚する人など、極僅かだということは知っている。だけど、父の姿を見ると、やっぱり慎重になってしまう。どちらも傷つかないように、いつまでも笑顔でいられるようになりたい。そして、添い遂げたい。そんな、荒唐無稽な夢が僕にはあった。

 神薙桜、僕は彼女が好きなのだろうか。そして、彼女は好いてくれているのだろうか。


 放課後、玄関で待っていると、彼女は少しだけ小走りでやってきた。

「ごめん、待ったかな?」

「いや、そんなことないよ」

 少し心配そうに聞いてきた彼女に出来るだけ、優しく返す。彼女は、ホッとしたようだった。

「ありがとう。今日はちょっと、一緒に来て欲しいところがあるの」

 ほら、いこう。そういって、彼女は僕の手を引いて、歩き出す。反射的に少しだけ、解こうとしてしまった。彼女は、普段はこんなことをするような人じゃない。そして、森の言葉を思い出す。――神薙だって、真剣だと思うぞ?

 「あ、ごめん。嫌だったかな......?」

 そんなことはない。それよりも、君の顔が曇るほうが、僕にとっては辛い。

 「あ、いや、そんなとない。うん、少し恥ずかしかっただけ」

 そう言って、握りしめ直す。彼女は、少し笑顔に戻った。そして、歩き出す。

「どこに、向かうの?」

「えっとね、私にとって、大事な場所かな?」


 そこは、学校から少し離れたところにある公園だった。桜の木が沢山植えてあり、春には花見をしに、県外からも人がやってくる。彼女と歩いていると、公園のある木の前で止まった。背中を向けたまま、緊張した声で尋ねてくる。

「高校の入学式の日のこと覚えている?」

 勿論、覚えている。初めて、彼女と出会った日だ。といっても、同じ制服を着ていたから、頭を下げあっただけだ。

「覚えているけど・・・」

 そう返すと、彼女は更に続ける。

「よかった。あの日、君はさ、ハンカチを拾ってくれたでしょ?」

 そういえば、そんなこともあったような気がする。そう、あの日。初めて、彼女の笑顔をみた。

「私さ、その日、学校で君を見かけてから、目で追うようになったんだ」

 ――ううん、勝手に目がついていっちゃうんだ。彼女は、こちらを振り返る。もう、緊張している様子はない。

「図書館に通ってたのは、本が好きだってのもあったけど、何より君が好きだったんだ、今日、ここに来てもらったのは、こんなことを伝えるためじゃない。きちんと、言葉にするんだ」

 いつまでも、見ていたいと思うような、とびっきりの笑顔で。

「君が好きだよ。私の、ううん。ボクの、そばに居てくれないかな?」

 いつまでもこの思いが続くかはわからない。だけど、君の笑顔が隣にあるのなら。今はただ、それだけでいい。

「――僕も、君が好きだ」

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君の笑顔があるなら 鶏肉の王様 @Yuuki_0623

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