第六章 5 黒幕の正体

 のっそり現れたのは、シノハラクニモトだった。


太原坂タバルザカでおいの命を救うてくれた礼をいうちょらんかった。こんとおりじゃ」

 シノハラは、おいらにむかってタタミに額をすりつけんばかりにして頭を下げた。


「そんな、いいんだよ」

「いや。そいがもとで敵の手に落ちやった。どげんか心細かこつじゃったろう。おいは、おかげで、わが軍が熊元城クマモトジョウに入るっちゅう晴れがましか光景まで見られもした」

 口べたなシノハラは、ひと言ひとこと噛みしめるようにいった。


 リョウマがうなずきながらいった。

「いさぎよく散ってみせるのだけがサムライではないぜよ。おんしが生き延びて指揮を取ってきたことで、多くの薩磨サツマ兵が無事に城に入れたんじゃき。戦いはこれからじゃ」

坂元サカモトどんにも礼をもうさにゃならん。こげん奇抜な作戦、聞かされただけなら言下に笑い飛ばしたこつでごわそ。西豪サイゴウどんに直接かけ合い、みずから危険ば冒して城側と交渉してくれんごたれば、実現したはずがなか。しかも、貴重な火薬まで……」

「ああ、あれのう」

 リョウマはニヤニヤ笑った。


 城の各所に仕掛けられた爆薬のうち、リョウマがタニに在りかを教えたのは二十数か所だけだった。

 まだいくつもありそうだとほのめかすことで、籠城軍の危機感をさらにあおるのが目的だったが、弾薬不足に悩む薩磨軍に残すためでもあったのだ。

 高性能の爆薬は、そのまま薩磨の強力な武器へと変わるだろう。


 城を明け渡すことになったとはいえ、敵軍を利するわけにはいかないと、タニは筋を通して備蓄した食糧を焼きはらい、予備の武器弾薬は証拠の爆発物とともに持ち去った。

 食糧については、リョウマがサイゴウに会いに行った直後から、ムラタがサイゴウの命を受けて奔走し、近郷からかなりの量を集めて持ち込んでいた。


「だけど、そうすると戦争はいつまでつづくんだ?」

 シノハラが立ち去ると、ワガハイは、ようやくなついてくれるようになったボコイにイオウのかけらを食べさせながらたずねた。

「まあ、状況しだいじゃな。それより、残った最後の爆発物ちゅうのが気になる……」


 午後になって始まった政府軍の攻撃も、日没とともに間遠になってきた。

 本格的な総攻撃に入るのは明朝からだろう。


 ヒジカタが、すっかり板についた車引き姿で現れた。

 おいらたちの仲間ということで、公然と城内で活動できるようになっていたが、顔色はさえなかった。

「見つかりませんね。武良田ムラタさんから自由に探索する許可を得たし、人手も借りられたので、怪しいところはほぼ探しつくしたと思うのですが……」


「わしもずっと考えちょった。それでふと思ったのは、山潟ヤマガタの密命を受けた者が、撤退する隊列からひそかに抜け出し、そいつを爆発させるために広い城内のどこかに潜んでいるのではないかっちゅうことなんじゃ」

「そうなると、一発でも決定的な被害をあたえそうな場所にあることになりますね」


「これまでに発見されたのは、兵員をそぎ、攻防の要を破壊する場所ばかりじゃった」

「では、司令部の周辺か。警戒厳重で人の出入りも多く、なかなか近づけなかった。しかし、本来なら中枢たるべき天守閣はすでに焼失しており、その内部も調べたが……」

「いや、天守は薩磨との開戦の数日前に、謎の失火で燃えてしもうちょったんじゃ」

「そうか。もしそれも山潟の陰謀の一部だったとすれば、作戦会議や要人の居場所となるのは当然、小天守ということに……」

「ヤバい。小天守には、西豪さんがおるんじゃ!」



 リョウマを先頭に、おいらたちは小天守に急行した。

「どげんしょっとか? 西豪どんは、入城のために未明からご起床になっとったとじゃ。明日の総攻撃にそなえ、とっくにお寝みじゃ。騒がすこつはならんぞ」

 キリノは、ガンコな門番のようにおいらたちの行く手をさえぎった。

「西豪さんを起こせとはいうちょらん。人がおらんところが見たいんじゃ」


 リョウマは有無をいわさずにキリノを押しのけ、天井裏をヒジカタにまかせると、おいらとワガハイを連れて地下へ向かった。

 人が通る地下中二階から急な階段を降りると、そこは広い台所となっていた。

 戦時ということもあり、長く放置されていたらしく、いくつも並んだカマドにもクモの巣が張り、よどんだ空気がただよっている。


 ボコイが鼻をヒクつかせたと思うと、おいらの肩から飛び降り、板の間の真ん中にある大きな井戸のふちに駆け上がった。

(そうか、火薬なら……!)


 と思った瞬間、井戸の底からヒュッと何かが飛び出し、とっさにそれをよけようとしたボコイの姿が見えなくなった。

 カツンと天井板に突き立ったのは、鋭い小ヅカだった。

「やっぱり、あんたらかい」

 井戸の上にかかげた手燭の明かりに浮かび上がったのは、ニヤリと歯をむき出して笑うオキタソウジの青白い顔だった。

 手には、捕まえたボコイが押さえつけられていた。


「あんたらが隠された爆薬を探しているって聞いてな。先回りするつもりで、昔肘方ヒジカタさんとよくやっていた忍者のまねごとをしてみたのさ。案外、カンは鈍ってなかったよ。ここからなら、爆発は真上に吹き上がって小天守を直撃することだろう」

 井戸は埋められていて、オキタは底に置かれたコモ包みの箱の上に腰かけている。その大きさからすると、最大級の爆発物にちがいない。


 驚いたのは、オキタの足が踏みつけているのが、政府軍の制服を着た血まみれの男の死体だったことだ。

「てっきり、あんたか肘方さんかと思ったら、こっそり降りてきたのはこの男だったんだ。西豪やその取り巻き連中は、おれに感謝すべきだろうな」

 オキタも推測したとおり、殺されたのは山潟のスパイだろう。

 爆薬に点火しようと潜入して、運悪く殺人鬼とハチ合わせしてしまったのだ。


「……さて、じゃあそろそろこの血生臭い場所から上がらせてもらうぞ」

 オキタは、殺された男が掛けたらしい縄ばしごをゆっくりと登ってきた。

「こいつがいては、やっぱり邪魔だな。自由に剣が振るえん」

 キョトンとしているボコイの顔をのぞきこみ、オキタは悪魔のような笑みを浮かべた。


「ボコイは、正当な果し合いなら手出ししないぞ。ヒジカタとのときもそうじゃった。放してやってくれ!」

 おいらは訴えるようにいった。

「ふん、わかるものか」

 オキタは剣を抜き放ち、ためらいのない手つきでボコイの首に刃をあてがった。


「もうよか。よしなされ――」

 落ち着きはらった声が、階段の途中から聞こえてきた。

 のっそりとそこに立ちはだかった巨体を見まちがえるはずがない。

「おう、あんたが西豪か。遠目に見たことはあるが、顔を合わせるのは初めてだな」

 オキタは動揺するそぶりも見せず、割りこんできたサイゴウを見上げた。


「おいは知っちょりもんど。おはんが幕府の医師に匿われちょった植木屋に行きもした。そこで身柄を引き取り、死んだことにして別の医者に預けたのは、こんおいじゃ」

「な、なんだと!」

 オキタが眼をむいた。


 おいらたちも、ギョッとしてサイゴウをふり返った。

「商家の閑静な離れを借り、キョウでおはんの世話をしちょったかわゆらしか娘御をそこに呼び寄せ……その名も憶えちょる。たしか、は……」

「黙れ! おれを愚弄する気か。い、いったい、きさまは――」

 オキタは、血の気の薄かった顔を逆にドス黒いまでに紅潮させて怒鳴った。


「おまえが黒幕だったのか!」

 おいらは思わず叫んだ。

「隠遁しちょっても、世の動き、人の動向、うわさ、さまざまなこつをおいに教えてくれる者がおる。『坂元サカモト龍馬リョウマ日ノ本ヒノモトに帰っております』とささやく者もおれば、『熾田オキタっちゅう男に知らせてやってくれんか』とだけいえば通じる者もおる。そいは、政府でん、警察でん、どこにでもおるとじゃ」


「だけど、どうしてあんたが龍馬を殺さなきゃならないんだよ!」

 ワガハイが、サイゴウに噛みつくようにいった。

「おいには悪か癖がありもしてな、『この人物は』と気に入っと、とことん関わらずにはおられんとじゃ。そいは、味方はもちろん、敵にもおる。熾田どんも、桐乃キリノ筿原シノハラ武良田ムラタ河路カワジカツ樹戸キド……みなそうじゃった。中でも……」


「このわしじゃっちゅうんじゃな。まっこと、迷惑な話じゃのう」

「わかっとったか?」

「いや。最初は大久穂オオクボかと思ったが、やつは、自分の思うところと眼前の事象を臨機応変に合わせていく男じゃ。よけいなこだわりを持ったりはせん。孤島に迎えに行くという尾栗オグリ忠順タダマサの息子に、『では殺してきてくれ』と頼むようなところがいい例じゃ。一〇年も暗殺者を手厚く面倒みて、わしを狙わせる。そんな酔狂な者は、西豪さん、やっぱりあんたしかおらんぜよ」


 だけど、おいらにはわからない。

 ワガハイのいうとおりだ。どうしてサイゴウがリョウマを殺す必要があるんだ?

 リョウマは窮地に追いこまれた薩磨を救うために、さんざん手をつくしてきたというのに……しかも、そのずっと以前から、オキタに命を狙わせてきたなんて……。


「酔狂ではなか。おいが、反幕勢力から潮州チョウシュウを切り捨てる覚悟を決めたときも、倒幕の詔勅を王家から引き出そうとした直前にも、おはんが口出ししてそれをつぶした。しかも、王家や幕府にかつがれて、おいたちの野望をあやうく阻止してしまうところじゃった。軍も後ろ盾も持たぬというのに……いつもそうじゃ」

 そうか――

 リョウマは、サイゴウにとってずっとそういう存在だったのだ。


「じゃろうな。わしが隠れ家に押しかけたとき、武良田さんがかたわらにいなけりゃ、わしの熊元城入城の秘策は、そのまんま闇にほうむられとったろう。実に迷惑そうに『またか』っちゅう仏頂ヅラをしちょった」

「そこまでわかっとったか……」


「戦争のしかたが西豪さんらしくない。桐乃らにまかすようでいて、進軍を遅らせているのは明らかにあんたじゃった。あんたがもっと積極果敢に動いていれば、各地の賛同者や、この機を待っちょった日ノ本中のサムライどもが動き出したことじゃろうに。薩磨を、そして、自分自身が代表する日ノ本のサムライ魂を、この熊元の地で朽ち果てさせる――そのつもりじゃったな? 薩磨を道連れにして、あんたは壮大な自殺をするつもりだったんじゃ」


「そいどん、運命ならばしかたなかこつ。最初から先は見えちょった」

「いや、ちがうな。これは陰謀じゃ。山潟あたりの姑息な陰謀どころではない。西豪っちゅう英雄を信じる薩磨のサムライ、鹿仔島カゴシマの親兄弟、主君同輩、日ノ本の民衆……それらをみなだまそうっちゅう大陰謀じゃ。それがそうとわかっちょるのは、おそらく無言の共犯者たる大久穂だけじゃろう。希望の光になりえたかもしれん薩磨の壮挙を愚劣な暴挙に変え、それをつぶしてみせることで、すべての民衆を新政府に完全に服従させる。二人して、日ノ本を思い通りにしようっちゅう陰謀じゃ」


 おいらは思わずワガハイと顔を見合わせた。

 敵味方の頂点にいる二人が、何の相談もなく同じ目的のために大軍を戦わせていただなんて――!

 サイゴウは、そのことを否定しなかった。

「おかしかこつ。日ノ本で二人の者しか知らず、他の数千万人がまったく疑わぬことなら、そいはもはや陰謀ではなか。そいは、起こるべくして起こるこつじゃろう」

「そうじゃろうか? 『しかたない』『やっぱりそうか』とあきらめるだけで、だれも必然だなぞと納得してはおらん。鹿仔島の山の中に隠遁しちょったあんたには、見てない現実があるとは思わんか? それを見てからでも遅うはない。わしは、あんたにそれが見せとうて薩磨軍を生き延びさせたんじゃ」


 サイゴウは、フッと笑って下を向いた。

「なにごて、そこまですっとか? おいはもうよか。籠城もそのうち限界が来よう。そんときにはおいも花と散る。もう邪魔だてはさせん――」

 顔を上げたとき、サイゴウの手には黒光りするピストルが握られていた。

 リョウマは、おいらとワガハイを背中にかばうようにした。


「最後くらいおい自身の手で、と思うてな……。桐乃や警護の者には、何があっても来るなというてある。熾田どんは下がっちょってくれ。もはや助けはいらん」

 ピストルの銃口が上がり、リョウマにまっすぐ狙いを定めた――。

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