第六章 6 廃墟の街

 顔の前に上げた自分の手も見えない闇の中で、おいらはまた目覚めた。


 ここは座敷牢というところだ。

 広大な熊元城クマモトジョウの中には、こんな場所もあるのだ。

 罪人や捕虜となった高位の者を幽閉するためらしく、清潔で居心地もけっして悪くない。

 その代わり、外との連絡を遮断し、状況の変化もさとらせないように、光はいっさい届かず音もほとんど聞こえない。

 城内に着弾する大砲の音が鈍く響くと、「そうか、今は昼か」とようやくわかるくらいだ。


 しばらくして、たぶん朝の分になる食事を年かさの男が運んできた。

 昼は戦いに忙しく、夜中に大量の飯を炊くからだろう。

 一日二回の食事が届けられた回数からすると、五日以上はたっていることになる。


「捕虜でもないのに、このあつかいはないよなあ」

 握り飯をほおばりながら、ワガハイがいつものようにブーたれた。

 食事のときだけは、太い格子のむこうに見張りの持つ明かりがある。

 おかしなもので、人の顔が見えるとだれもが急に口数が多くなるのだった。


「政府軍が城をぐるりと取り囲み、絶え間なく攻撃しているのだ。壁は穴だらけになり、屋根瓦は崩れ落ちていることだろう。戦う気のないわれわれが外にいても邪魔にされるだけだし、危険でもある。見張りにつける人員もおしかろう。ここに閉じこめておくのがいちばん簡単で、われわれも安全というわけだ」

 憎いくらい冷静に分析したのはヒジカタだ。


「まあ、それと、わしらがまた何かたくらむんじゃないかと疑っちょるのさ。のんびり寝ていられてメシもちゃんと出てくる。孤島暮らしに比べりゃ天国じゃ」

 リョウマは壁にもたれて足を投げ出し、のんきなことをいっている。


 おいらたちが牢に入れられることになったきっかけは、もちろんサイゴウとのいきさつがあったからだ。



 サイゴウがピストルを撃とうとした瞬間、横からきらめくものが宙を飛んだ。

 オキタが手にしていた日ノ本ヒノモト刀を投げつけたのだ。


 剣はまっすぐサイゴウめがけて飛んだ。

 リョウマに銃の狙いをつけていたサイゴウは、それを眼の端にとらえても、とっさには反応できない。

 切っ先は、ほとんどサイゴウの横っ腹に達しようとしていた。


 その刀を、眼にも止まらない速度で追ったものがある。

 ――ボコイだった。

 オキタの神経が剣を投げることに集中した一瞬をとらえ、その手をスルリとすり抜けると、ボコイはくるりと丸まりながら床に落ちた。

 と同時に、噴射力を使ってボンッと跳び上がり、オキタの手を離れた剣をめがけて飛んだのだ。


 二つの飛翔体はサイゴウの巨体の寸前で交差し、黒い楕円球が剣をはね飛ばしてサイゴウの眼前をかすめた。

 サイゴウはのけぞり、反射的にピストルをオキタにむかってぶっ放した。

 オキタの身体は弾かれたように後方に倒れこんだ。


 ちょうどそのとき、天井裏の探索を終えたヒジカタが階上に現れた。

 とっさにサイゴウに飛びかかり、もつれ合ったまま階段を転がり落ちた。

 サイゴウは難なくはがい締めにされ、手から落ちたピストルはワガハイがすぐに拾い上げた。


 リョウマはオキタのところへ走り寄り、おいらも手燭をかかげて後を追った。

熾田オキタ、しっかりせえ!」

 リョウマがオキタの上半身を抱え起こしたが、胸は鮮血に染まっていた。


「……おれはもう、だめだな。暗殺者の、哀れな末路さ」

「おんしは暗殺者ではない。わしを救ってくれたんじゃ」

「そうじゃないよ、坂元サカモトさん。おれの復讐だ。おれは一〇年も暗殺者として生かされてきた。黒幕の正体がわかったとき、おれは初めて後悔した。なぜ、他人に生き方を決められて平気だったのか。西豪サイゴウに、こういうおれを面白がられていただけだったのか、と」


「いや、それはちがうぞ。わしも命を人に救われた。他人の金で世界を旅させてもろうてきた。おんしと同じじゃ。じゃが、わしらがすべきは、救ってくれた者の恩に報いるとか、期待に応えるとかじゃない」

「そのとおりだ、総司。おれも同じ、救われた命だ。そして龍馬さんに教えられた。おれたちにできるのは、救われた命をもう一度生かそうとすることだけだ、とな」

 リョウマの横にひざまずいていったのは、ヒジカタだった。

 サイゴウは、もう元の山のような不動の塊になって、おいらたちの後方に立っていた。


「なあんだ、みんな同じだったのか……」

 オキタはニヤッと、子どものような無邪気な笑みを浮かべていった。

「おんしに救われた命、生かさせてもらうぞ」

 そのリョウマの言葉が届いたかどうか、おいらにはわからない。

 オキタは、新殲組シンセングミの同僚だったヒジカタに抱かれ、その秀麗な顔に似つかわしい、優雅とさえいえそうな笑みをうっすらたたえたまま息を引き取っていた。



 呼ぶまで来るなと命じられていたはずなのに、銃声を聞いてやっぱりキリノが衛兵を引き連れて駆けつけてきた。

 オキタの射殺死体、井戸の中の爆発物と政府軍の軍服姿の斬殺死体……そこに複雑ないきさつや出来事があったことは明白なのに、単純なキリノにはサイゴウの身柄の安全な確保しか頭にないようだった。

 おいらたちは問答無用に捕らえられ、座敷牢に幽閉された。

 その後もジンモンもされず、閉じこめられたまま放置されている。


 ところが、おいらたちが食事を終わらないうちに、初めての変化が起こった。

 まぶしいタイマツを手に、キリノが荒々しく板の間を踏み鳴らしてやって来た。

「出ろ――」

 何の説明もなく、おいらたちは牢から乱暴に引き出された。

「では、いよいよそのときが来たんじゃな……」

 最後にくぐり口をのっそりと出ながら、リョウマが謎めいたことをつぶやいた。


 数分後には、おいらたちは小天守の最上階に立っていた。

 キリノのほかにシノハラもムラタもいる。

 外に面した手すりの前には、サイゴウの後ろ姿があった。

「坂元どん、こちらに来やんせ」

 サイゴウに手招きされ、おいらたちはリョウマについて恐る恐る窓際に近づいた。


 空は青黒く明けかかっていたが、大地はまだ墨で塗りつぶしたような漆黒の闇に包まれている。

「昨夜来、政府軍陣地にはあかあかと明かりがともったままで、不審な物音が絶えず聞こえちょりもした。何か動きがあるらしかと……」

 ムラタが後ろからいった。


「わしらをここに呼んだってことは、おおよその見当はついちょるんじゃろう。そのとおりのことが起こったのさ」

「そいどん、なにごて……?」

 肝の据わったシノハラの声がうわずっている。

「おんしたちにそれが見せたかった。だから、熊元城に薩磨サツマ軍を入れたんじゃ。無用に戦禍を拡大させんためばかりではない。生き延びて、一人でも多くの者にこの奇跡を眼にしてほしかったんじゃ」

 リョウマが、わけのわからないことをつぶやくようにいう。


 その間にも、大地から吹きはらわれるように闇が薄れていき、眼下に熊元の街並みが浮かび上がってきた。

「おおっ!」

 サイゴウの側近たちは、一人の例外もなく驚きの声を上げた。


 城下はひどい有様になっていた。

 おいらたちが上空から見た城をめぐる戦闘は、タニら籠城軍二〇〇〇対薩磨の攻城軍四、五〇〇〇だった。

 それが今は、薩磨全軍一万五〇〇〇対政府軍本隊数万の戦いになっているはずだ。

 それだけでも一〇倍近い規模に達している。


 新鋭兵器多数による攻撃にさらされている城は、ヒジカタがいっていた「壁は穴だらけ、屋根瓦は崩れ落ち」どころではない惨状になっていた。

 おいらたちは、閉じこめられていたのではなく、特別待遇されて守られていたといってもいいくらいだ。

 街並みも、城の周囲にまともな形をたもっている建物はほとんどなく、焼け野原になって道のありかさえわからない場所もあり、今も煙があちこちから上がっていた。


 だが、だれもが驚いたのはそんなことではない。

「政府軍がいない……」

 キリノが呆然としていった。


 それは正確ではない。

 あちこちに積み上げられた土嚢のむこうに兵士の影が見え隠れし、据えられままの大砲が城内の薩磨軍を牽制している。

 だけど、市街を埋めつくすような数万の政府軍を相手どり、毎日戦闘に明け暮れてきたキリノらにすれば、眼下の戦場はまるで無人の廃墟のように映ったのだろう。


「なにごて、やつらは消えたとか……?」

桐乃キリノさん。もちろん、軍隊が消えたりはしないさ。撤退したにきまっちょる」

 リョウマが平然というと、キリノはその横顔をにらみつけていった。

「ここまでおいどんらを追いつめておきながら、なにごて撤退せにゃならんのじゃ!」

「それが現実ってもんじゃからな。……なあ、西豪さん」


 リョウマはサイゴウをふり返り、さも愉快そうにいった。

「いっしょにその現実を眼の当たりにしに行こうぜよ。新しい日ノ本ヒノモトを見にな――」

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