第五章 6 薩磨の本陣に押しかける

 小舟を降りると、もう今日の戦闘に参加するという熊元協同隊クマモトキョウドウタイと別れ、おいらたちはリョウマについて熊元の街に入っていった。


 着いたのは、板や丸太がたくさん立てかけられた、カンナがけした新鮮なおがくずの匂いがただよう大きな建物だった。


「ほお、だいぶ元の姿にもどっちょるのう」

 入り口をくぐってすぐに、リョウマが立ち止まって上を見上げた。

 ところどころを真新しい木や竹で補修したテンペストが、作業場の中央に立ち上がっていた。

 その周囲でさまざまな作業をしているのは、地元の大工らしい男たちだ。


「やあ、言子ちゃん」

 おいらがぐるりと回りこんでいくと、操縦席からひょいと見慣れた顔がのぞいた。ギエモンさんの部下のダイキチだった。

「政府軍に捕まってたそうじゃないか。あんたがいなけりゃ、いくらテンペストがきれいに直っても飛ばせない。着いてすぐそれを聞いて驚いたよ。助かったんだな」


「おお、大吉。東亰トウキョウからわざわざ来てくれたのか!」

 リョウマが横から大声で呼びかけた。

「ええ。こちらでは手に入らない部品があるし、器体の細かい調節もしなくちゃいけませんからね。ほら、いっしょに来た連れもいますよ」

 ダイキチが指さしたほうをふり返ると、ちょうどそこに入って来た人影があった。


「サナコさん!」

 おいらは東亰以来久しぶりに会うサナコさんに飛びついていった。

肘方ヒジカタもいるじゃないか。一日早ければ、コトコの救出はもっと楽じゃったのに」

 リョウマは、その後ろにいるヒジカタに懐かしげに声をかけた。


「はあ、そのう……サナコさんがどうしても玖州キュウシュウへ行こうといってきかなくて。蟻右衛門ギエモンさんが子どもたちをまとめて預かってくれるというので、思いきってやって来ました」

 ヒジカタはなぜか顔を赤らめ、照れくさそうに頭をかいていった。

 すると、サナコさんもそれが伝染したようにたちまち真っ赤になった。

「なあんじゃ、そういうことか。最強の助っ人コンビじゃ!」

 リョウマはさも愉快そうにカラカラと笑った。


「龍馬さま。戦場に来たからには、さな子には覚悟ができています。政府軍に斬り込めといわれれば、何十人でも殺してみせますわ」

 勇ましいことをいうサナコさんの腰には、ワガハイがしがみついてボロボロ涙を流して泣いていた。

 先に飛行訓練に行ってしまったワガハイは、おいらよりずっと長くサナコさんと別れ別れだったのだ。


「ありがたくて、わしも涙が出そうじゃ。ちょうどよかった。コトコが貴重な情報を持ち帰ってくれたし、テンペストも飛ばせる見通しが立ったところじゃ」

 そういって、リョウマは後ろで行われている作業風景をふり返った。


 ギエモンさんは玖州キュウシュウでは顔が広い。

 この作業場の持ち主の大工の棟梁も知り合いで、こころよくテンペストの修理を引き受けてくれたらしい。

 戦争でひまを持てあました熊元じゅうの腕利きの大工が集結して、テンペストは前よりむしろ立派に見えるほどに仕上がりつつあった。


「ウム。だんだんと計略がまとまってきたぞ……そうか、よーし、その手じゃ!」

 リョウマは一人で勝手に盛り上がり、ポンと手を打った。



 おいらは、リョウマとミヤザキが連れ立って出かけるのについて仮住まいの住居を出た。

 もちろんボコイもおいらの肩に乗っている。


 政府軍が迫り、いよいよ熊元の城下全体が戦場となりそうだとわかって、最後まで残っていた住民たちも続々と避難していった。

 リョウマとワガハイはそんな商家の一軒を借り受け、熊元協同隊と共同生活をしていた。

 おいらと、そして東亰からやって来たサナコさん、ヒジカタがそこに加わる形になったのだ。


 夕暮れの街は人っ子ひとり見えず、不気味に静まりかえっていた。

 やがて大きな武家屋敷の門をくぐった。

 そこに薩磨サツマ軍の総司令部が置かれている。

 今夜、太原坂タバルザカからの完全撤退と、新たな戦場となる城下における陣取りと人員の配置を決める重大な会議が開かれることになっている。

 リョウマはそこに乗り込んでいくことにしたのだ。


坂元サカモトどん。おはんは友軍ではなかぞ。会議に出る資格はありもはん」


 座敷のいちばん上座に立てひざを抱えるようにして座っている男が、末席に加わろうとしたおいらたちを鋭い眼で威嚇するようににらみつけていった。


 すると、ミヤザキが弁護するようにいった。

「龍馬さんは、政府軍の山潟ヤマガタ司令官がたくらんどる陰謀の重大な情報ば握っとられます。それをぜひお知らせしたかと思い、いっしょに来てもろうたとです」


宮咲ミヤザキどん。おはんも同様じゃ。陣を勝手に抜け出して、政府の司令部に攻撃をかけたごたるな。明白な軍規違反じゃ。熊元協同隊は少人数なれど、ありがたか助力者と思うてこうして会議に出るこつも認めちょった。じゃっどん――」

「待て待て、桐乃キリノどん。そうとんがるな」

 横から静かな声でたしなめた男がいた。

 中央のキリノをはさんでシノハラの反対側に座っているということは、三人の司令官格の一人、武良田ムラタ新八シンパチにちがいない。


「龍馬どんは、太原坂で政府軍の勢いを止めてくれもした。率直にいうて、ここまでおいたちがこらえてこられたんは龍馬どんのおかげでもありもす。宮咲どんらが政府軍中枢に殴り込みをかけたちゅうのも、実に痛快事ではごわはんか。――のう、筿原シノハラどん」

 ムラタが同意を求めると、いかにも口の重そうなシノハラは黙って深くうなずいた。


 キリノはそれをチラと横眼で見て、苦々しげにいった。

「なら……その情報とはどげんもんか、いちおう聞くだけ聞いておきもそか」


 リョウマは、落ち着きはらった声でいった。

「政府軍は薩磨軍を分断する作戦じゃ。具体的にいうと、わざと熊元城の城門を開き、薩磨軍をなだれ込ませて中に封じ込め、戦力を分断するつもりなんじゃ」


「そげな見えすいた手に乗ると思うちょっとか。戦いの最中に勝手に城門が開けば、だれもが怪しかと思うにきまっちょる」

 キリノは鼻で笑った。


「そこが山潟の計略じゃ。やつは『旋風連センプウレンの乱』の再現をねらっちょる。いや、城内まで攻め込まれたっちゅうあの戦いそのものが、山潟が仕組んだ猿芝居だったんじゃ」

「どげんこつか?」

 シノハラが眼をむき、はじめて口を開いた。


「命令を受けていたのはわずか数人。そいつらは城門を警備しとった者たちを斬り殺して門を開いた。味方はだれもそれに気づかず、突入した旋風連もわけがわからなかったことじゃろう。作戦を知る司令官まで、ごていねいに殺したらしい」

「山潟め、なんちゅう汚かやつじゃ!」

 たちまち会議場となった座敷に怒号が渦巻いた。


「しかし、そいは政府軍内部の裏切りじゃ。山潟は陰謀でもなんでもたくらめばよか」

 キリノは一転して愉快そうに笑っていった。

「そいこそ、こちらの思うツボではなかか。精強を誇るわが薩磨軍がいまだ城を落とせんのは、熊元城が戦国以来の名だたる堅城だからじゃ。中におる政府の兵はもはや二〇〇〇に足るまい。五〇〇〇をもって攻め込めば、確実に制圧できる。城からの攻撃が絶えりゃ、わが軍は天下の名城を本拠にして、正面の政府軍本隊の迎撃に専念すればよかこつになる。おお、一気に形勢逆転じゃ!」


 キリノは息巻き、座の全体にざわめきが広がった。

 だが、それは盛り上がりとはかならずしもいえず、当惑の表情も多かった。

「そいは、おかしか。わざわざおいどんらに城をくれっとか? いったん城門ば開いてしもうたら、どれだけの薩磨兵がなだれ込むかわからんのだぞ。そげん危険を冒してまで、おいどんらを分断せにゃならん理由がわからん」

 ムラタは独り言のようにいって腕組みした。


 リョウマはつづけた。

「もちろん、山潟は万全の備えをしちょる。城には迷路のように通路が走り、高低差もつけられちょる。本丸、二の丸、三の丸のほか、それぞれの櫓が天守並みの規模でそびえとる。その曲輪一つ一つが高い石垣や土塀をめぐらせ、独立の城のような堅牢な構えじゃという。最初からその要所要所に兵を埋伏させ、完璧な迎撃態勢をとらせておく――」


「ユーロピアで『トロエの木馬』っちゅう古代グリシャの戦争の話を聞いたが、城中深く入り込めたからちゅうて必勝が約束されるわけではなかごたるな。下手すりゃ、突入部隊は全滅の憂き目にあうやもしれん……」

 オオクボやカツラの遣欧使節団に同行したムラタは、慎重な面持ちでいった。


「では――」

 といって、血気盛んそうな男が勢いよく立ち上がった。

「いっそ全軍をもって突入しもそ。一万五〇〇〇の薩磨隼人に一気に襲いかかられたるごたれば、百姓兵どもは震え上がって、つぎつぎ降伏するにきまっちょりもす。先陣は、この淵部フチベ群平グンペイにおまかせくだされ!」


 キリノは手を上げてそいつを黙らせた。

「まあ、そういきり立つな、群平。しかし、全軍でかかるっちゅうは、たしかに妙案かもしれんぞ。山潟も、まさかおいどんらがそこまで思い切るとは考えとらんじゃろ……」


 そこに、リョウマが口をはさんだ。

「さっき宮咲は〝陰謀〟といったはずじゃ。味方を裏切るのは陰謀じゃが、露見した今ではわしらにとってもはやそれは陰謀ではない」

「つまり……まだ奥の手が隠されちょるっちゅうこつか?」

 ムラタが眉をしかめて問いかけ、リョウマはそれにうなずいた。


「城内の各所に、密かに大量の爆薬が仕掛けられとるっちゅうことじゃ。山潟は最初からそのつもりだったんじゃ。準備は旋風連の乱のときから進んじょる。そのことは熊元城司令官・谿タニ干城タテキにも伝えられておらず、密命を受けた数人しか知らん。薩磨軍が突入した後、機を見てそいつらに爆破の合図を送る手はずじゃ」

「では、城内に立てこもった政府軍もろともか……!」

 シノハラがうめくような押し殺した声でつぶやいた。


 リョウマはうなずき、さらにつづけた。

「爆発物は、城の守りの要を破壊しつくす。城はもはや役に立たぬばかりか、外部からやすやすと攻め込めるようになる。政府軍本隊がそこに押し寄せ、薩磨軍を一兵たりとも残さず殲滅する――それが山潟の陰謀じゃ」


 会議の場は、シンと静まりかえっている。

 あまりにも冷酷無比で壮大な作戦に、だれもが声を失っているようだった。


 フン、と鼻を鳴らしたのはキリノだった。

「……たしかにおとろしか話じゃが、坂元どん、おはんそれをどうやって知った? 娘御が政府軍の司令部に捕らわれとったっちゅうこつは聞いちょる。おはんは、一〇になるやならずのそのお子から聞き込んだんじゃろう。しかし、こげん入り組んだ複雑な計画を、幼な子がどれほど正確に聞き伝えられるもんかのう。さしずめ、おはんの推測や誇張がかなり入っちょるんじゃろうな」


 すると、リョウマがスッとおいらの背中に大きな手を当てるのがわかった。


「武良田さん。おんしは遣欧使節団でユーロピアやラメリカに行っとったはずじゃな」

「あ、ああ、そうだが」

「心細うはなかったか? 海の果ての、仰天するほど豊かで重厚で、しかも先進の文化に華麗に彩られた異国で、たとえ岩蔵イワクラ大久穂オオクボ樹戸キドら、錚々たる維新の英雄どもの間に混じっとっても、足がすくむほどおのれがちっぽけなものに思えんかったか?」

「たしかに。おいはいったい、どこのだれじゃろうと呆然となったもんじゃ」

「わしはその同じ地、同じ街を、毎日飯と宿の心配をしながら一〇年も放浪しちょった。ラメリカで五年もウロウロしとったのは、わし一人の判断や能力では限界があったからじゃ。立ちすくんじょったといってもいい」


 何をいい出すのかという風に、多くの眼がリョウマとおいらのほうへ注がれた。

「フランセのパレでは、まさにおんしたち使節団の一行を見たぜよ。娘に『あの連中は何者じゃ』と聞かれたが、昔の仲間じゃとは答えられんかった。まるで山奥から都会に引っぱり出されたばかりの子どもの集団のように見えて、頼りなくて、情けなくて、泣けてきそうじゃった。正直、おんしらがわしら父娘の何分の一も欧米の実態をちゃんと見て体験してきたとは思えん。どうじゃ、武良田さん?」

「うむ……そうかもしれん」


「わしがそういえるのは、この娘がいたからじゃ。隣町に行けばそこはもう異国というくらい言葉も習慣もちがってくるユーロピアで、わしが思う存分行きたいところへ行き、見たいものを見られたのは、娘という心強い連れがあったからなんじゃ。娘が訳してくれる言葉や交渉での機転や判断を信じなけりゃ、わしは一日も暮らせなかったことじゃろう。――桐乃さん、おんし、今さらわしにこの娘を疑えというつもりか」


 リョウマのいつになく深く落ち着きはらった声を聞いて、おいらは鼻の奥がツーンとして涙が勝手にこぼれてくるのを止められなかった。〝おまえさえいなけりゃ〟なんて、ちっとも思ってはいなかったのだ。

 キリノに声はなかった。

「信じられんならそれでもかまわん。しかし、わしは娘が命がけで聞き込んできた情報をすべて信じ、仔細に検討し、頭をひねりまくって考えた。そして、その結果、この陰謀を大逆転する画期的な方法を思いついたんじゃ」


「ほう……」

 一座の空気が一変するのがわかった。


「聞こう。おいはもう疑わん」

 キリノははじめて真摯なまなざしでリョウマにいった。


 だが、リョウマはゆっくりと首を横に振った。

「わしの計画は、薩磨軍の総帥としての西豪サイゴウさんに対する提案じゃ。おんしらは、自分らのうっぷんを晴らす口実にしようと、西豪さんをかつぎ出したわけではあるまい。軍の命運を決しかねないこれほど重要な会議に、どうして西豪さんが出とらんのじゃ?」

「西豪どんは、おいどんらすべての心のささえじゃ。どげんこつがあろうとお守りせねばならんとじゃ。政府軍もそれを痛いほどわかっちょる。暗殺するために多数の密偵が放たれとるにきまっちょる。西豪どんには、絶対安全な場所に隠れてもろうとるんじゃ」


「では、そこに案内してもらおう。西豪さんに直接会って話すんでなければ意味がない。わしの計画はそういうものじゃ――」


 リョウマはあらためてどっかと尻を落ち着け、テコでも動かないといった風情で腕を組んだ。

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