第四章 7 雨は降る降る、太原坂

 亜蘇アソの山麓を離れるにつれ、視界は左右にどんどん開けてきた。


 眼下にあるのはもうほとんど田んぼばかりだ。

 やがて集落が現れはじめ、しだいにその規模が大きくなっていき、寺や神社の森を中心に村や町らしい形がととのってくる。

 空の上からならではの雄大な眺めだ。


 亜蘇山から流れ下る川に沿って進むと、とうとう家並みばかりが彼方まで広がる大きな都市になった。

 それがおいらたちの目指す熊元クマモトの城下だった。


「見ろ、あそこじゃ」

 リョウマが指さす方向に眼をやると、高い石垣で囲まれて、周囲より少し小高くなった森のような場所があった。

 木々の間から、白塗りのきれいな隈取りのある何層もの屋根を載せた高い建物が頭をのぞかせている。

「これが熊元城か。さすがは戦国時代から難攻不落っていわれたお城だな」

 ワガハイが大きく眼をみはっていった。


 おいらにはえらく優美で立派な建造物に思えたが、そこにむかって四方から大砲の弾が煙の糸を引いて飛んでいく。

 広大な森のあちこちがうっすらと煙っているのも、城側から応戦する砲火のせいらしい。

 城はまさに戦いのまっただ中にあった。


「弾を食らってはたまらん。全体の状況も見たい。なるべく上空を行くんじゃ」


 空を横切る大きな影があっても、まさか人だとは考えないだろうとおいらは思ったが、用心するに越したことはなかった。

 テンペストはいったん垂れこめた雲の中まで思いきり上昇し、たっぷり高度をとってから水平飛行に移った。


 ワガハイが驚いたのもわかる。

 高空から見下ろすと、熊元城の巨大さがあらためて実感された。

 城壁は周囲が三キロ以上もあるだろう。

 森に見えるくらいだから、大きな木立が無数に植えこまれ、その間に巨大な楼閣がいくつも点在している。

 コメ粒を敷きつめたような城下の町並みと比べると、その規模と立派さは際立っていた。


 だが、よく見ると、まともな姿をとどめている城郭はほとんどない。

 あちこち屋根瓦が割れたり、壁に穴が空いたり、今まさに炎が上がっている場所もある。

「天守閣が焼けてガレキの山になっちょる。無残なものじゃな」

 リョウマが口の端を曲げてつぶやいた。

 その間にも、いたたまれない気持ちにさせる射撃音がひっきりなしに耳を打つ。城壁の内でも外でも人がアリのように群れ、右往左往している。


 いきなりドンと重い音が器体に響いて、おいらは大砲の弾でも当たったんじゃないかとギクッとした。

薩磨サツマがなんだ! 愛津アイヅがなんだ! 藩やサムライなんて身分は、もう日ノ本ヒノモトのどこにもないじゃないか。命をかけてまで、どうしていつまでもこだわるんだ! だから、えらそうな新政府に利用されちまうんだ!」

ワガハイが、操縦桿の横を力いっぱい殴りつけて怒鳴ったのだった。


 おいらにもその気持ちはわかる。

 何重にも入り組んだ矛盾に、だれもが運命をもてあそばれてしまっているのだ。


「キンちゃん、ほたえなや。こうやって高みから両方をいっしょに見下ろすと、なんと愚かなことかと感じるじゃろう。いったい闘う双方のどこに違いがあるんだと思うてしまうが、このような視点を手に入れた者はまだほんのわずかしかおらん」

 リョウマは諭すようにいった。


大久穂オオクボのものの見方は、まさにこれなんじゃ。日ノ本全体っちゅう大局から見れば、この戦争が不可避なものだとか、もたらされる結果が必然なことだと洞察することはできよう。しかし、この視点からは一つ一つの顔は見分けられん。悲しみも喜びも、恨みも親愛も感じとりようがない。ましてや救いの手をさしのべることなど思いもつかん」

「じゃあ、おいらたちには何もできないのか?」

 おいらは思わずそういってしまった。


「いや……」

 リョウマは首を振りニヤリと不敵に笑った。

「わしらは飛んじょる。自由自在に動き回れるんじゃ。高みにばっかりおるわけじゃないけんのう」

 その言葉がまさか予言的な意味を持っているとは、そのときのおいらは気づきようもなく、深く考えてみることもなかった。


 テンペストは熊元城を遠巻きに二周すると、西にそびえる金武山キンブサンの山裾を回りこむようにしていったん海上に出た。

 地図を見ると、金武山を含む山塊が海岸沿いに福丘フクオカ方面から近づく敵をはばむ盾となっている。

 だから、政府軍は内陸に入りこむ太原坂タバルザカの細い道筋を進んでくるしかない。

 おいらたちが、そこで対峙しているはずの薩磨軍にも政府軍にも見つからずに接近するには、海側から背後に出るのがいちばん安全な方法なのだと、リョウマが判断したのだ。


 湿った海からの風が山にからみつくせいか、太原坂のあたりには雲のように濃いモヤが立ちこめていた。

 その中からパチパチとたきぎがはじけるような音が上がりはじめたと思ったら、テンペストが尾根のひとつを越えたとたん、それが無数の銃声だとわかった。


 黒い制服制帽の男たちが、草地や道の上にひしめいていた。

 横列をつくって銃を構え、機械仕掛けの人形のようにひっきりなしに射撃と弾ごめの操作をしている。

 その前方の木立の陰や崖の上には、ハカマ姿など雑多な服装の男たちが身をひそめていた。

 絶え間なく飛来する弾丸の合間にときおり顔をのぞかせ、やっと鉄砲を突き出して応射している。


「なんちゅう戦いだ。まるで戦国の野戦と近代戦争の場面をいっしょに見ちょるようじゃ。銃器の性能に差がありすぎる」

 銃声に負けまいと、リョウマが大声で怒鳴るようにいった。

 性能だけでなく、兵の人数や銃の数でも、政府軍は薩磨を圧倒しているようだった。

 薩磨の旧式の鉄砲は、正確な狙い撃ちでようやく対抗していた。


 だが、両軍が衝突しているまっただ中の上空にさしかかると、戦闘はまったく別の様相を現した。

 密集した樹木にはばまれてわかりにくかったが、戦いは周囲の林の中でも展開されていたのだ。

 銃はたいして役に立たず、日ノ本刀をかざした薩磨兵がわらわらと襲いかかると、多数の政府軍はたちまち大事な銃まで投げ出して逃げ散ってしまう。


「そうか、これがこのいくさの実態じゃ」

「どういうことじゃ?」

「薩磨軍は命がけで維新戦争を戦ってきたツワモノどもじゃ。腕には自信があり、肝もすわっちょる。一方、政府軍の兵は、いやいや徴兵されて形ばかりの戦闘訓練を受けただけの農民や町民じゃ。覚悟もなけりゃ、命をかけてまで戦わなけりゃならん理由もない」


「まるで正反対なんじゃな」

「だが、薩磨兵は数で劣る。銃は旧式だし弾薬もとぼしいじゃろう。政府軍は大軍勢と物量でもってそれを圧倒するつもりなんじゃ」

「じゃあ、どっちが有利かわからないってことか?」

 高い木や崖にぶつけないようにテンペストをあやつりながら、ワガハイが聞いた。

 操縦席からでは真下の様子までは知りようがない。


「今のところは、な。しかし、その分、簡単には決着がつかず、どちらも意地でも引こうとはせんじゃろう。戦闘は激化し、犠牲は増えていくばかりっちゅうことじゃ」

「なんてひどい話なんじゃ……」

「まさに、な。だからこそ、この戦いが泥沼のようにならんための方策を、なんとしてでも見つけにゃならん――」


 テンペストは高速でたちまち熊元側へ抜けてしまい、戦況の全体をとらえることなどとてもできなかった。

 おいらはボコイを噴射させてテンペストを舞い上がらせ、ワガハイは器首をぐるりと回してふたたび太原坂へと接近した。


 冷たい雨はずっと降りっぱなしだ。

 銃火、砲火の煙とモヤが混じり合い、人影はおろか、木立の姿や地形もかすんで見えにくい。

 だから、くわしい状況を知るためには、少々の危険を冒してでも低空を、しかもできるだけゆっくりと飛ぶしかない。

 さいわいなことに、翼が風を切る音は銃声や怒号にまぎれ、緊迫した空気は兵たちに視線を上に向けさせるような余裕を与えはしなかった。


「あいつ、いったい何してるんだ?」

 ワガハイが前方の斜面を見上げていった。


 一人の大男が崖の上に悠然と突っ立っている。

 横にしゃがんだ者から弾を込めた鉄砲を受け取っては、政府軍にむかって一発一発狙い撃ちしていた。

 敵弾が飛来しないわけではないことは、鉄砲を受け渡す者がやたらに首をすくめたり地面に伏せるのでわかる。


「あのいかつい顔には憶えがある。……そうか、筿原シノハラ国幹クニモトじゃったな」

 そこは戦場を一望に見渡せる位置だ。

 薩磨軍の大将格の男にちがいない。

西豪サイゴウさんを助けて鹿仔島カゴシマ志学校シガッコウを立ち上げた一人じゃ。同じ幹部の桐乃キリノ利秋トシアキ武良田ムラタ新八シンパチとともに司令官を務めとるんじゃろう。文字どおり先頭に立って戦うとは、いかにもあの男らしい」


「だけど、あのままじゃ的にしてくれっていってるようなものじゃないか!」

 信じられない光景を眼にして、ワガハイが叫ぶようにいう。

「わかったぞ。あいつはその覚悟なんじゃ。自分の身を犠牲にしても、薩磨はけっして退かんぞっちゅうところを、敵にも味方にも見せつけようとしとるんじゃ」


「そんな勝手なことされたら、残された仲間はどうなるんだよ!」

 おいらも思わず叫んでいた。

「そのとおりじゃ。あいつにそう簡単に死なれてたまるか。コトコ、あいつを狙ってるやつらを追っぱらうんじゃ」

「わかった!」


 おいらの席の前には射撃用の小窓がある。

 変身したボコイをそこに当てると、狙撃兵たちの前に広がる草地めがけて大きな光の塊を噴射した。


 パアァァァァーン――


 白熱した光球は、地面に当たって乾いた破裂音とともに砕け散り、さらに何倍ものまばゆさの閃光を四方に放った。


「うわあっ!」

「アチチチチチッ」

 爆発的な光をもろに浴びた兵士たちは、たちまち銃を放り投げて逃げだした。


「ざまあみろ。筿原も呆然としちょるわい」

 崖の上を通り過ぎながら、リョウマは大得意でいった。


 薩磨側からすれば、それが司令官の筿原を救ったとはすぐにわからなくても、ドスンと落下して大地をえぐるだけの砲弾とはまったく違った威力を眼にして、度胆を抜かれる思いだったことだろう。

 一方の政府軍は光とともに激しい炎熱も間近に感じただけに、驚きと同時にひどい恐怖に襲われた。

 パニックを起こして駆け逃げる者が続々と出た。


 だが、その火炎が天から降ってきたことに気づいた者たちが、どちらの軍にもわずかながらいた。彼らは反射的に顔を仰向けた。

「しまった。見つかっちまったぞ」

 ワガハイが声を裏返らせる。

「逃げるんじゃ!」

 リョウマも悲鳴のような叫びをあげた。


 だが、おいらたちはまさに戦場のまっただ中にあった。

 しかも、悪いことに器首は政府軍が密集するほうへと向いていた。

 彼らとすれば、自分たちが攻撃されたと考えて当然だった。

 上官の命令などなくても、とっさに銃口を上げ、テンペストめがけて猛然と射撃しはじめた。


 バラッ、バラバラッ――


 いきなり大粒の雨にたたかれるような音と衝撃が器体を打った。

 横に見えるカラカサみたいな翼につぎつぎと穴が空いていく。


 おいらはテンペストを緊急離脱させるため、あわててボコイを木枠のほうへと移そうとした。

 ところが、ボコイはクルリと勝手に元の姿にもどり、おいらの手から飛び出したと思うと、開いたままの射撃用の窓に頭を突っこんだのだ。

 止めようとするひまなどなかった。

 狭い窓枠をもがくようにしてすり抜けたボコイは、なんのためらいもなく虚空へ身を躍らせた。


「ボコイーっ!」

 おいらの叫びだけが、弧を描いて落ちていくボコイの後を追った。


 その直後――

 おいらたちを銃で狙う政府軍の真ん中で、ボンッと低い破裂音がした。

 雨にたたかれ、足に踏みしだかれて倒れていた草がフワッといっせいに波打った。

 と思うと、黒い砲弾のようなものが地上から飛び上がり、テンペストの高ささえあっという間に越えていった。


「な、なんだ。あれはボコイなのか?」

 ワガハイが頭をめぐらせて上空をふり仰いだ。

「と、飛んじょる。ボコイが……トンビみたいに飛んじょるぞ!」

「なんだって!」

 ワガハイとリョウマの頭にさえぎられ、おいらはすぐには見ることができなかった。


 だが、〝それ〟はすぐにテンペストの前方へと回りこんできた。

 最初は小さな点でしかなかったが、すぐにコガネムシみたいに背中の羽を広げていることがわかった。

 羽ばたくことはせず、テンペストと同じように滑空している。

 羽が小さい分、それだけ空気の抵抗も少ないのか、ものすごい速度で飛んでいた。


 その飛翔体は、ぐんぐんテンペストに接近してきたと思うと、すぐ横をかすめるようにしてたちまち後方へ飛び去った。

 そのときになって、おいらはようやく〝それ〟がボコイだと確認できた。

 そして、それがボコイの、何者にもあやつられない、本来そうあるべき自由な姿なのだと直感した。


 ボコイはまったくこっちを見向きもしなかった。

 その横顔は、強風を真っ向から受けているせいもあるだろうが、前方をにらみすえるように細められた眼をして、小さな口もキリリと引きしめられていた。

 それは恐ろしいほど厳しい、怒りの表情にさえ見えた。

 そしてその視線の先には、おいらたちがやっと離脱してきたばかりの戦場があるのだ。


「キンちゃん、テンペストを回せ。あいつ一人を行かせるわけにゃいかん!」

「わかった!」

 そのときのおいらたちには、危険とか、理屈とか、作戦なんてものは何も頭になかった。

 もちろん恐怖さえない。

 ボコイが向かおうとしているからには、離れることなどできるわけがないという思いだけだった。


 ボコイという推進力を欠いたテンペストは、いらだたしいほどゆっくり旋回していき、ようやく太原坂を正面に見る位置に来た。

 おいらたちの眼に飛び込んできたのは、想像を絶するような光景だった。


「おお、戦場が燃え上がっちょる……まるで火の海じゃ……」

 リョウマが呆然とした声でいった。


 雨で湿った草地も濡れそぼった立木も関係なく、もうもうと湯気と煙を上げながら盛大に燃えている。

 その中を、よろめきながら右往左往する政府軍兵士たちがいる。

 炎にあかあかと照り映えた木々の間では、鉢巻きにタスキ姿の薩磨兵たちが、迫り来る火から必死に逃げまどっていた。


「ボコイ――」


 おいらは遠くからその姿を見ることになった。

 それとわかっているのでなければとても見分けられないほど小さな物体が、地上に出現した地獄の業火の上を飛んでいた。

 だが、ボコイの位置だけははっきりとわかる。

 なぜなら、そこから放射される黄色味を帯びた灼熱の火炎が、今も猛火を燃え広がらせつつあるからだ。


『この生き物には、神意のようなものを感じますね』

 札保呂サッポロで、クローク先生がそういったことを思い出す。

 ヒジカタはつぶやいた。

『救われたのは、クローク先生なのか、おれなのか……それともバカなことはやめろという警告だったのか』

『こんな小さな生き物が、わしらの行為の善悪、理非を判定しちょるというのか……』

 とリョウマも驚きの表情でいったものだった。


 あのとき彼らを粛然とさせたボコイの炎は、今、日ノ本の命運を分けようとしている戦いの場で、情け容赦ない猛威をふるいつつあった――。

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