第四章 6 懐かしいなまり

「よかった! そうか、葛連カツラさんは一命をとりとめたんじゃな」


 上空に舞い上がると、騒ぎにまぎれて聞きそこねていた報告をあらためてワガハイから受け、リョウマは安心してため息をもらした。


「葛連くらいの大物になると、通信文の中ではコード名にされてる。事件に遭えばいちいちの用語も暗号になるしな。蟻右衛門ギエモンさんの部下が総がかりで解読したんだ」

「なるほど。おかげで、わしらは地獄耳じゃ」

「だけど、葛連の事件の騒がれ方はずいぶん小さい。情勢とはたいして関係ないからだろう。大坂オオサカ大久穂オオクボに届く連絡は、いちばん多いのが玖州キュウシュウの最前線からで、とりわけ総司令官の山潟ヤマガタからのものだ」


「わしらが出くわすのは、どんな場面になりそうなんじゃ?」

 リョウマは頭を上げ、操縦席のワガハイにたずねた。

薩磨サツマの軍勢は、意地でも熊元クマモト城を攻め落とそうと連日攻撃をしかけている」

「熊元城を残してへたに前進して、政府軍に前後から挟み撃ちされるのを警戒しとるのかな。ぐずぐずしちょって本隊が玖州になだれ込んでくれば、よけい身動きがとれんようになるだろうになあ。あの西豪サイゴウさんが先頭に立っているなら、もっと電光石火の勢いで攻めのぼってきそうなものじゃが……」

 リョウマは口をへの字に曲げて聞いている。


「それに、政府軍の先発隊は、数日前にもうすぐ熊元ってところまで達してる」

「なんじゃと。では、すでに薩磨軍と衝突したのか?」

喜久地川キクチガワって川をはさんで、かなり激しい前哨戦があったみたいだ。薩磨軍は対岸からずっと後方に撤退してる。だけど、おかしいんだよ。政府軍はそれを追わないで、川の手前に止まったままなんだ。ここさ」

 ワガハイは地図をリョウマに手渡し、その場所を指さした。

 おいらも首をもたげてそれをのぞき込んだ。


 熊元付近だけを拡大した手書きの地図だ。

 精密な図面を描きなれている者の手によるものだからきれいでわかりやすいし、ギエモンさんの故郷に近い土地でもあり、かなり正確そうだった。

 その上を飛ぶことを考慮して、地形や標高までくわしく書き込んである。


「そうか。川からすぐのところに小高い丘がある。細い一本道が通っちょって、越えれば熊元まではもうさえぎるものがなくなる。薩磨は一帯に軍勢を伏せて、ここを死守するかまえでいるにちがいない」

「じゃあ、政府軍は、後続部隊と合流してから大軍勢で一気に攻めかかるつもりか?」

 おいらが聞くと、リョウマは大きくうなずいた。

『太原坂』という文字がひどく凶々しいものに見えた。

「うむ。まちがいない。両軍が激突する決戦の地はこの丘になる。わしらの目的地は〝たはらざか〟じゃ!」


「そりゃ、ちがうぞ」

 ワガハイがあっさりと否定した。

「な、なに。わしがまちごうちょるっていうのか?」

「〝たはらざか〟じゃない。〝タバルザカ〟って読むんだ」

「ああ、読み方のほうか。だが、さすがにキンちゃんじゃな。玖州の小さな地名までよう知っちょるのう」

「まさか。電信じゃ発音しかわからないだろ」

「なんじゃ、そういうことか。感心してソンしたわい」

 意気込みに水をさされて、リョウマは子どもみたいにふくれっツラになった。


 だけど、おいらたちの意気込みに文字どおり水をさしたのは天候だった。

 志国シコクを出はずれると、まもなく海面のむこうに左右にどこまでも延びていく長い海岸線が見えてきた。

 目指す玖州の大地だ。


「なんか雲行きが怪しいのう」

 リョウマが顔をしかめてうなるようにいった。

 海からすぐに切り立った崖が屏風のように連なっていて、強まってきた西風にあおられるように押し寄せる雲が峰々を越えてなだれ落ちている。

「熊元は山のむこう側じゃ。こりゃひどい雨になっちょるぜよ」


 飛翔器の機能上、ずっと高空だけを飛行するわけにはいかない。

 いったん雲の中に迷い込んだらどこが山か谷かわからなくなり、危険でうっかり前進することができなくなってしまう。

「なあに、わが輩がなんとかするさ」

 ワガハイは気軽に受けあったが、その様子においらは驚いた。

 以前みたいにすぐ調子に乗る軽薄さはなく、むしろ頼もしささえ感じられたのだ。


 ワガハイは玖州の地図とにらめっこしながら、慎重にテンペストを操った。

 大きな川の河口に眼をつけ、川筋にそって上流を目指すことになった。

 おいらはワガハイの指示に従ってボコイに小刻みに噴射させ、テンペストを低く垂れこめた雲の下ギリギリまで上昇させる。

 そうやって得られるわずかな高度と速度を利用して進むのだ。

 じれったくてたまらないが、それしか手はなかった。


 まもなく風防ガラスに雨粒が激しく叩きつけてきて、視界はさらにひどくなった。

 木々のせり出した斜面をかろうじてかすめた次の瞬間には、また別の崖が眼の前に立ちはだかってきて、気が休まるひまもない。

 ワガハイは右へ左へ、上へ下へとめまぐるしく舵をきってそれをかわしていく。


 そんな状態がどれくらいつづいただろうか。

 山深い里を過ぎてこんもり繁った常緑樹の森を抜けたと思うと、いきなり広々と視界が開けた。


「あれ、山岳地帯を越えたのかな?」

 ワガハイが左右をキョロキョロ見回した。

 ずっと谷間をさかのぼってきたんだし、ほとんど下った気はしなかった。

 なのにあたり一面は見渡すかぎり平坦な草原だった。


「そうか。ここは亜蘇山アソザンじゃ」

「アソザン? でも、山なんかどこにも見えやしないぞ」

 おいらがあちこちへ視線を向けると、ボコイもいっしょに顔を動かした。


「いや。亜蘇は火山列島の日ノ本ヒノモトの中でもとびきりでかい火山でな、最大の火口は直径が二〇キロほどもあるっちゅうことじゃ。わしらはそれを囲む外輪山を越え、今は平地になっちょる太古の巨大な火口の上を飛んでいることになる」

 途方もない話だが、おかげでテンペストを飛ばすのはずっと楽になった。


 だが、のろのろとした低空飛行がずっとつづいたせいでだいぶ時間を浪費した。

 いかにも高原らしくところどころ濃い霧も逆巻いている。

 その日はそれ以上の前進をあきらめ、だだっ広い草原の中に着陸した。


 おいらたちは濡れた草を刈り集め、くすぶる煙に閉口しながらやっと火をたきつけた。

 春先の雨は冷たく、おいらたちはテンペストの支柱に布を張って身を寄せ合うと、一日中気を張っていた疲れが出てすぐにウトウトしはじめた。


「この塔みてんがは、何だや?」

 なまりの強い声を聞いて、おいらたちはギョッとして飛び起きた。


「ひ、人がいるだす!」

 一人が叫ぶと、霧の中から湧き出すようにして人影がつぎつぎ現れ、おいらたちはたちまち一〇〇人以上の男たちに取り囲まれてしまった。

 そいつらの揃いの制服に気づいたとき、おいらは腹がヒヤリと冷えるのを感じた。

 天敵といってもいいポリスだったのだ。


 だが、変だ。

 あちこちから聞こえる話し声は、大警視カワジが連れていた薩磨なまりの警官たちのものではなく、それどころか、妙に耳慣れた響きだ。


「なじょしたか?」

 立ちつくす男たちをかき分け、白髪の混じった年配の男が進み出ると、だれもがサッと姿勢を正して敬礼した。

 落ち着きはらった物腰と威厳に満ちた表情は、カワジどころかカツラやオオクボにも引けを取らない重厚な人物であることをうかがわせた。


「ほう……。なにやら山中に似つかぬ立派な機械のようなものが立っとるな。むやみに怪しみはせぬが、これが何か、どうか教えてくやれ」


 男はどうやらていねいな口調で頼んでいるらしいが、リョウマは口を真一文字に結んで黙っている。

 下手な受け答えをすれば、たちまち捕まってしまうからだろう。


沙川サガワさま。まだ道中は長えだべし。貴重な時間さなぐなります。こいつら、答えぬならひっくぐって連行いたしやしょう」

「まあまあ、そうせぐでねえ。この老骨には長え行軍はこたえる。ここらで一休みすべ」

 男は、進言する若者に諭すようにいってニッコリと笑った。


「さがわ……沙川さんちいうたか。もしや、おまんさァは、愛津アイヅ藩の家老を務めとられた沙川官兵衛カンベエどのではござらんか?」

 リョウマは初老の男にむかって、まるで吠えかかるようにたずねた。


「いかにも、わすは沙川官兵衛じゃが……おめえさまは?」

土左トサ坂元サカモト龍馬リョウマっちゅう者じゃ。話せば長いことながら、わしら父娘はカツ海舟カイシュウ先生に教えられ、数か月前、東北の十南トナミ名賀岡ナガオカ久茂ヒサシゲさんを訪ねて行きもうした。じゃが、名賀岡さんは東亰トウキョウへ出られてご不在で会えず、それではと思うたおまんさァももう何年も前に愛津へお帰りになったとうかがい、残念に思うちょりました」


「おお。おめえさまが、あの有名な坂元さんか。なんと、生きとられやしたか!」

「ええ。長丘ナガオカ藩の河合カワイ継之助ツグノスケさんと会った折にも沙川どのの名前が出て、しきりに懐かしがっておられましたぞ。恵智後エチゴの戦争にも出兵されたそうですな」

「ほう、あの方もご健在か……」

 二人は、生き別れになった親友と再会したように眼を輝かせて手を握り合った。


 カンベエが率いる若者たちの言葉に聞き憶えがあるのは当然だった。

 十南から愛津へと旅したおいらとリョウマは、どこかで彼らの親兄弟と出会ったかもしれないのだ。


「そして、はるばる十南まで来てくなんしたとは……」

 カンベエが遠い眼をすると、まわりの青年たちも大きくうなずき、中には涙を浮かべる者もいた。

 サカモトリョウマの名前を知らない者はいても、それだけでおいらたちはいっぺんで親しみのこもったまなざしを浴びることになった。


 流刑同然に追いやられた十南に残された人々はもちろんのこと、カンベエのようにしかたなく愛津へもどった者のその後も悲惨だったという。

 旧愛津藩士にはろくに土地も仕事も与えられず、他藩士のように役人や軍人に取り立てられる道も閉ざされた。


 ところが、征乾論セイカンロンに敗れたサイゴウが下野したのをきっかけに、旧士族の不満が一挙に高まり世情が不安定になった。

 治安を維持するために警察力の増強が急務となり、内務卿オオクボと大警視カワジは、旧士族、とりわけ東北諸藩の士族をぞくぞくと警官に採用した。

 愛津にあったカンベエにもその話が来た。


「もつろん、われら愛津人には薩潮サッチョウを中心とする官軍に徹底抗戦した意地がある。今さらそいつらが作った新政府の走狗に成り下がれるものかと思うたけんじょ、若い者はこれからの世をなんとしてでも生きてゆかねばなんねえ。わすがすこすでもその役に立つならと、三〇〇人の若者を連れて上亰ジョウキョウし、警官になったってわけでやす」


「ご苦労されたんじゃな。じゃが、愛津の警官隊がどうして玖州くんだりへ?」

「今は卑職の身で大局は知るよしもねえが、各地で薩磨に味方して立とうとする士族を抑えろと命じられて来ました。あぐまでも政府軍の後方支援という名目ですが……」


 すると、横から副官格の青年がするすると寄ってきて口をはさんだ。

「んだす。ところが、薩磨軍が熊元に通じる亜蘇口に砦をきずきつつあるとの情報が入ったんだす。そいで、おらたつ愛津の者が選ばれ、これからそこへ……」

「やめれ。それは任務の話だ」

 カンベエが厳しい声でたしなめたが、青年は首を振った。

「いや。いわせてくだせえ、沙川さま。これは天が与えてくれた千載一遇の復讐の機会だす。愛津の戦争で死んだ父の、兄の、母や姉たつの仇が討てる。憎っくき薩磨兵を、正々堂々とこの手で斬り殺す二度とねえ機会なんでやす!」


「バカな! おんしらは利用されちょる。愛津が敵とすべきは薩磨ではありゃせん」

 リョウマが驚いていい返すと、周囲の若者たちはたちまちいきり立った。


「んだば、だれが敵だっつうんですか? 龍馬さんも熊元さ向かっとるのでしょう。もしや西豪を助けようというおつもりなら、おらたつの敵だす。抜け駆けすて薩磨軍に通報されてはなんねえ。ここで死んでもらいやす!」

 たちまち剣を抜き放つサヤ鳴りの音があちこちから起こった。


 だが、リョウマは剣に手を伸ばそうともしなかった。

「わしは薩磨を助けに行くんでもなければ、政府軍に味方しようっちゅうんでもない。こんな無意味な戦争をやめさせに行くんじゃ」


 それを聞くと、愛津の若い警官たちはゲラゲラと笑いだし、さすがのカンベエもあっけにとられた様子だった。

「わすは、サムライの子だからという理由で、愛津の戦争に多くの幼い者まで巻き込んで死なせてすまった。坂元さん、あんたはその者らよりもっと小さいお子を二人も連れて戦場さ乗り込んで、お一人でいったい何がおできになるっちゅうんだす?」

 カンベエだけは真剣な顔で問いかけた。


「わからん。わしは何をすればいいのか、その答えを探しに十南を訪ねた。北海堂ホッカイドウをめぐり歩き、愛津をはじめ東北の村々も見た。今の日ノ本は矛盾の塊じゃ。それを変えねばならんことだけはわかった。……そうじゃな、わしはその協力者を探しに行こうとしとるんじゃ。薩磨も愛津も政府軍もない。わしに賛同して新しい日ノ本を作るために力を貸してくれと、だれにでも呼びかけようと思うちょる。それが戦争を止める唯一の手じゃ」


「それは本気だすか?」

 若者が眼を丸くして問い返した。

「本気じゃとも。沙川さん、おんしたちの力をわしに貸してくれんか。いっしょに薩磨と政府軍の戦争をやめさせに行かんか? な、どうじゃ、みんな!」


 リョウマの呼びかけに、シンとして笑う者はなかったかわりに、うなずく顔も一つもなかった。

 やがて、愛津の警官たちは目的地にむけて雨の中を夜通しの行軍へ出発していった。


 翌朝、おいらたちは亜蘇の外輪山にそって流れる川を目印に、熊元を目指して飛び立った。

 川は南から流れてくるもう一本の川と合流し、熊元へと下っていく。

 その合流地点こそ、若い警官がいっていた亜蘇口だった。


 戦いは夜明けとともに始まったらしく、すでに敵味方入り乱れていて介入のしようもなくなっていた。

 上空から見下ろすと、薩磨の軍勢は警官隊の三倍ほどもあり、勝敗の行方は明らかだった。


 リョウマは無言のまま何も指示しようとせず、ワガハイも押し黙ったままテンペストの舵を熊元のほうへと切った。

 おいらは涙でなんにも見えなくなり、ボコイがいくらなめてくれてもどうにもならなかった。

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