第四章 5 土左ならやっぱり〝カツオのたたき〟
おいらたちは、いったんリョウマの故郷の
火炎に包まれた島が人目を引かないわけがなく、しかもそこから怪しい飛行物体が離陸したのだ。
目撃して騒ぎたてる者がきっといるだろう。
カツラを救いに駆けつけた船が、事情を知らないまま政府や警察に通報するおそれもある。
へたをすれば、葛連を襲った犯人と見なされかねない。
まっすぐ
「いや、
高智は、リョウマの実家もあるという土左の中心地だ。
「捕まりはせんかもしれんが、逆に歓迎されてもこまる。その連中は、
「じゃあ、おまえは玖州に行って何をするんだ?」
「当然じゃろう。戦いをやめさせるのさ――」
しかし、玖州が今どうなっているか、最新の情報を知る必要があった。
最果ての土左ではまだ電信線が四通八達しておらず、だいいち夕暮れが迫ってきていた。
しかたなく電信線が引かれた高智の街の近くの
子どもなら怪しまれないだろうと、おいらとワガハイが電信線を探しに行き、ようやくギエモンさんとの交信を終えてもどるともう真っ暗だった。
驚いたことに、テンペストの周囲にはタイマツや提灯がいくつも揺れ、人だかりがしている。
「しまった! 龍馬が捕まったのか――」
ワガハイがつぶやき、おいらたちは波打ち際を恐る恐る近づいていった。
怒鳴り合うようなきつい土左弁が飛びかい、激しく口論しているようにも見える。
ところが、人垣の真ん中で、リョウマはうまそうなものを食い、酒まで飲んでいた。
「あっさり見つかってしもうた。正体もバレちょる」
やばい状況のはずなのに、意外にもリョウマは機嫌よさそうにいった。
酒が入ったせいばかりではなかった。
維新後、土左藩が廃止されると、反対に幕末に活躍した脱藩浪人のリョウマの名声は、郷土の英雄として一躍高まったのだという。
そのリョウマが生きて現れたのだから、近くの住民たちが放っておくわけがなかった。
「へたに逃げ隠れして、警察に通報されたりするよりはマシじゃからな。わしのほうから正直に名乗ったんじゃ」
おいらはリョウマの娘ということで可愛がられ、ワガハイは空飛ぶ機械をあやつる天才少年だとわかって驚きと尊敬の眼差しを向けられた。
意外な展開にとまどいながらも、おいらたちもちやほやされてまんざら悪い気はしなかった。
夜更けになって、馬を飛ばして駆けつけてきた者たちがいた。
「生きていたのか、龍馬!」
先頭に立って近づいてきたのは、リョウマと同じくらいの年配で、細おもてでスラリとした、スーツ姿がよく似合ういかにも品の良さそうな人物だった。
「
リョウマは盃を放り出して飛び上がり、砂地に頭をすりつけんばかりに平伏した。
そんなリョウマの姿を見るのは初めてだったが、それも当然だった。
冨久岡
「手を上げてくれ、龍馬。礼をいわねばならぬのはこちらのほうじゃ。わたしが
フクオカは、眼頭を熱くしてリョウマの手を握りしめた。
「おお、『五箇条の御誓文』を友利……
リョウマも感激のおももちでフクオカの手を握り返した。
リョウマは、怪しまれて官憲に捕まったりしたときにそなえ、信頼できる旧知の人間宛に手紙を届けさせたらしい。
フクオカは政府の役人になっているが、万が一
そこにリョウマ帰還の話が伝わり、急いで駆けつけてきたのだという。
「政府に出仕している身とはいえ、自分の急進的な改革について来れぬ昔の同志をつぎつぎ窮地に追い込んで切り捨てていくような
折り目正しい外見そのままに、フクオカの意見はまっとうだった。
「まさにそのとおりじゃ。わしも、
リョウマの言葉に、フクオカは深くうなずいた。
リョウマが土左に現れたのが、サムライたちを扇動するためなどではないとわかり、心底ホッとしたようだ。
フクオカは、政府の人間としての立場上、リョウマの計画について深く詮索することは避けた。
その代わりに、ラメリカやユーロピアでの興味深い体験談の数々を聞き、有名なカラクリ
去り際、馬にまたがってからフクオカはふと思いついたようにいった。
「
「ああ、知っちょりますとも。上士階級でありながら、下士のわしのことをとてつもない郷土の英雄を見るような眼で見て、えらく慕ってくれちょるようでした」
「おぬしを救ったのはあの男だぞ」
「なんですと!」
「間違いない。おぬしが襲われたと聞きつけて、谿は真っ先に現場に駆けつけた。斬られたおぬしの最期を看取り、遺体を収容したとわたしには報告してきた。しかし、おぬしが生きていたからには、それは真っ赤な嘘だったことになる。
「あの男が……」
「そうだ。そしてその谿は今、玖州にいる。
リョウマは呆然として、暗闇のむこうにひづめの音が完全に聞こえなくなるまで立ちつくしていた。
「さすがは冨久岡さまじゃ。何気ない風をよそおって、最後に谿干城のことを教えてくれた」
「恩人のタニの命だけは助けてやれってことか? それとも、タニといっしょに薩磨と戦えってことなのか?」
おいらが尋ねると、リョウマは首を振った。
「いや、そのどちらでもあるまい。あの方は、わしに指図する気も、行動を縛るつもりもないんじゃ。そのことを承知したうえで思い切り戦えと、そういう忠告じゃ。これは土左で得られたいちばん貴重な情報じゃったかもしれん……」
翌朝、目立たないように出発するつもりだったが、夜が白みはじめる頃にはもう人がどんどん集まってきた。
子どもや年寄りもいて、とんでもない騒ぎになっている。
湯気のたつ握り飯や、大きな皿にご馳走を豪勢に並べたサワチ料理とか、初物の〝カツオのたたき〟とか、いろんな土左の郷土料理を持ち寄ってくれた人たちもいた。
「ありがたいこっちゃ。つぎにまともなものが食えるのは、いったいいつになるかわからん。たたきはわしの大好物じゃ。遠慮なくいただかせてもらうぜよ」
リョウマは感謝の意味でいったのだが、集まってくれた人々にも玖州の動乱のことは伝わっている。
おいらたちがそこに向かおうとしていることに、だれもがうすうす気づいているにちがいなかった。
でも、土左の人たちは陽気で、おいらたちだけでは食いきれない山のような料理を分け合い、酒まで酌みかわして出発を祝してくれた。
おいらやワガハイと同じ年頃の子どもたちが、屹立する飛翔器を見上げてたずねた。
「こげなどでかいもん、どうやって飛ばすんぞね?」
「この小さな動物がものすごい突風を吹き出すのさ。まあ、見てなって」
ワガハイはおいらの手からイオウをかじっているボコイを指さし、自慢げにいった。
「てんごゆうちょる」
まともに信じる者はなく、ゲラゲラ笑われただけだった。
彼らがちゃんと見届けられたかどうかは怪しい。
なにしろ、ボコイの噴気はもうもうと砂塵を巻き上げ、見物人たちがやっと眼を開けたときには、テンペストはもう大空の彼方の小さな点のようになっていたはずだからだ。
「こんど地上に降り立つときは、たぶん戦場の真っただ中じゃな」
リョウマがのどかな故郷の山や海を見下ろし、独り言のようにつぶやく。
おいらとワガハイは、粛然とした気持ちになってその言葉にうなずいた。
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