第五章 People in the Battlefield おいらの冒険

第五章 1 敵陣まっただ中

 おいらが目覚めたのは、暗い土蔵の中だった。


 土蔵らしいとわかったのは、唯一外の光が入ってくる小さな明かりとりが、厚い壁板の上のほうにひとつだけポツンとあって、それが東亰トウキョウ千波チバ道場と同じだったからだ。


 いや、目覚めたのはそれが二回めだ。

 最初は、降りしきる雨の中を何人もの大人たちが引く荷車に横たえられていた。

 周囲には、頭や腕に包帯を巻いたり、人の肩にすがったり、足を引きずっている者などが何人も歩いていた。


(どこに向かってるんだろう……)


 ぼんやりとした頭でそう考えたが、声には出さなかった。

 周りにいるのはすべて政府軍の制服姿の兵士たちだったのだ。

 おいらも身体が思うように動かなくて、荷車がちょっと揺れただけでひどい痛みが走り、気を失ってまた泥のような眠りの中にもどった。


(リョウマとワガハイはどうなったんだろう。そして、ボコイは……?)

 ここがどこかの土蔵だとわかったとき、真っ先にそのことを考えた。

 そしてすぐ後に思い出したのが、あの恐ろしい光景だった。


 戦場が近づいてくるにつれ、夜でもないのに明るすぎる炎のせいで、舞い飛ぶボコイの小さな姿が黒々としたシルエットになって見えた。


「ボコイーっ!」

 吹き上がる熱気の中に器体から身を乗り出し、おいらは必死で叫んだ。


(もういいよ。もどってくるんだ……)

 そう呼びかけようと思うのに、口がカラカラに乾いて言葉が出ない。

 だけど、ボコイは戦場を焼きつくすまで火を吹くのを止めそうになかった。


 そのとき、おいらたちを狙ったのか、それとも猛火でたまたま暴発したのかもしれないが、どこからか大砲の弾が飛来し、テンペストの片翼をバリッと貫いた。


「うわああああっ」

 悲鳴を上げたのは、たぶんワガハイだろう。

 その声が吸い込まれるように急速に小さくなっていく。

 自分の身体が傾いたテンペストから投げ出されたのだとわかったのは、一本の立木の真上に墜落する寸前だった――。


 身体の痛みは土蔵の中で眠りから覚めるたびに消えていったが、自由に動けるかどうかはよくわからない。

 手足と胴体を荒ナワで縛られているからだ。

 これが薩磨サツマの陣地だったらどういうあつかいを受けるのだろうとも考えたが、どっちだろうが戦いを妨害したことにはかわりない。

 おいらは〝敵陣〟に捕まっているんだと思うと、自然に気持ちが引きしまった。


〝じんもん〟は五回受けた。どういう字なのかわからないが、将校らしい男が来るたびにそういうから憶えてしまった。

 おいらはもちろん何もしゃべらなかった。

 受け応えさえしなかった。

 リョウマが「何も知らなけりゃ、どんなにきつく問いただされたって平気でいられようが」といっていた。

 ひと言も口をきかなければ、つけ入られることもない。


 リョウマとワガハイは無事だろうか?

 テンペストは壊れてないのか?

 そして、ボコイはまだ暴れているんだろうか……

 沈黙とひきかえに、おいらはヒリヒリするような不安をいくつも抱えつづけていた。


 そうやっていったい何日が過ぎたのだろう。


「これに着替えろ」

 きれいな着物を差し出された。

 逆らって面倒なことになるよりはと、素直に着替えた。

 初めての和服だが、サナコさんたちの様子を毎日見ていたからなんとかサマになった。


「なんだ。若い娘っちゅうたが、まだ子どもじゃないか。まあ、しゃあない。戦場じゃからな。女っ気があるだけましよのう。ここへ来て酌をせえ」


 連れて行かれたのは、同じ屋敷の母屋の端にある小さな書院だった。

 途中の部屋はたいがいふすまや障子が開け放されていて、政府軍の軍服姿の男たちが声高に話し合ったり、忙しそうに事務仕事をしていた。

 臨時に司令部にされている地主の屋敷という感じだった。

 家の者たちは、追い出されたか逃げたかしたのだろう。

 おいらが着せられた着物は、この家の娘のものにちがいない。


 手招きする男を見て、おいらは驚いた。

 見憶えがある。

 オオクボの書斎にやって来た大蔵卿の井藤イトウ博文ヒロブミだ。


「酌っちゅうは、こうやって徳利を横に傾けるんじゃ。ああ、そんなについだらこぼれちまう。そのボサボサのザンギリ頭じゃ、どこぞの農民の子か。そりゃ、薪橋シンバシの芸者のようなわけにはいかんわのう」

 イトウはひとりで勝手にしゃべってひとりで納得している。

 おかげで口をきかずにすみそうだ。


 小さな眼をさらに細めて笑う。

 顔は丸く、鼻も口も小作りだ。

 えらそうな口ぶりがあまり板についていない。

 だけど、リョウマはこういうやつがいちばん恐ろしいといっていた。

 表情が読み取れず、何を考えているかわからない。

 計算高くて、驚くほど冷酷なことも平気でやってのけてしまう、と。


 イトウにいきなりトックリを持った手を握られ、おいらはハッとした。

「野良仕事の手伝いばかりにしては、きれいな手をしちょるのう。ボサボサ頭に隠れてよう見えんかったが、こうやって見ると、なかなか整ったええ顔立ちをしちゅう。にらみつけるような眼も悪くないのう。気の強ええおなごはわしの好みなんじゃ。こりゃ、何年もせんうちに人目を引くような娘になりそうじゃな」


 おいらはあわてて手を引っこめた。

「心配せんでええ。わしをだれだと思う? 日ノ本ヒノモト一の権勢を誇る内務卿・大久穂オオクボ利通トシミチに次ぐ地位にある大蔵卿の井藤博文じゃ。大久穂に何かあれば、いよいよわしの出番になる。そんときは軍部も黙っちょらんだろうが、政府軍は今、薩磨相手の戦いでもがいちゅう。勝っても甚大な被害をこうむって、どうせ組織を立て直すのに手いっぱいじゃ。その間に、わしは鉄壁の官僚組織をつくり上げる。法も、軍も、経済も、実権を握るのは、もはや維新の元勲などとふんぞり返っちょる連中ではない。水も漏らさん官僚組織や。それをわしが一手に牛耳るんじゃ」

 イトウはベラベラと得意そうにいった。

「民権派などと称する連中が、やれ憲法をつくれ、国会を開設しろとうるさく騒ぎ立てることじゃろう。もちろん、わしがつくってやるさ。だが、その憲法は、政府に楯つくことをいっさい認めん憲法にするし、国会は政府の方針に賛成するだけの機能しか持たんハリボテの国会となる。そして、その政府も官僚の操り人形じゃ。どうや、驚いたか。わしは天下人になる人間なんじゃぞ」


 たしかにおいらは驚いた。

 オオクボの忠実な配下のような顔をしてるくせに、イトウは日ノ本の支配者になろうと虎視眈々と狙っているのだ!


「そうじゃ、わしが東亰に連れて帰ってやろうか。屋敷は広大じゃ。下働きの娘の仕事くれえいくらでもあるけんのう。いや、それとも……毎日雑巾がけばかりするのがいやなら、馴染みの芸者の置き屋に口をきいてやってもええぞ。おまえの器量なら、売れっ子になるのも夢やない。そうか、そうなったら、わしが請け出して……」

 イトウはぐふぐふと気味の悪い含み笑いをして、勝手にうなずいている。


 おいらはこんどはゾーッとした。

 イトウのいってることの内容はよく理解できなかったが、その下品な笑い方に、本能的に身の危険のようなものを感じたのだ。


 そのとき、ドカドカと縁側を踏み鳴らす音が近づいてきて、イトウはおいらのほうにまた伸ばしかけていた手を引っこめた。


「おお、山潟ヤマガタ

「来ちょったか、井藤。着くがはやいか酒とは、いい身分じゃのう」

 むしり取るように脱いだ軍帽を横に放り出したのは、やっぱり山潟有朋アリトモだった。


「船で福丘フクオカに上陸してから、人力車を乗り継いで昼も夜も駆けどおしだったんじゃ。ろくなものも食うちょらん。酒くらい飲ませえ」

「ふん。勝手にせえ」

 ヤマガタはイトウのほうを見ようともせず、不機嫌そうに大きなため息をもらした。

 乱れた髪と疲れた表情からすると、戦場からもどってきたところらしい。

 もちろん、おいらのことなど気づいてもいないようだ。

 二人ともオオクボ邸で見たのが最初だが、なれなれしい口をきき合っているのは、若い頃からの潮州チョウシュウの同輩だからだ。


「そのようすだと、どうやら戦況ははかばかしくなさそうじゃな。わしぁ、もうとうに熊元クマモトの城下に攻め込んじょるとばかり思うちょったに。太原坂タバルザカっちゅうたか。わしも遠目に眺めてきたが、小高い丘のようなもんにすぎんかった。あれを突破するのに何日かかっちゅう」

「チェッ、知っちょるくせに。こっちは連日、圧倒的な戦力で攻めたてちょる。だが、物量と兵隊の数だけじゃどうにもならんこともあるんじゃ……」


「斬り込み攻撃のことか。まあ、薩磨の示源流ジゲンリュウは天下に聞こえた最強の剣術じゃ。その使い手が日ノ本刀を振りかざして迫ってくりゃ、クワやカマしか持ったことのない農民兵が震え上がるのは無理もないちゃ。どうせ、その程度なのが陸軍ちゅうもんの正体や」

 イトウは、総司令官のヤマガタに当てつけるようにいった。

「うるせえ! 気位ばかり高こうて勝手なことばかりいいよるサムライなど、使いにくうて国の力にゃなりゃあせん。わしゃ、日ノ本じゅうの兵器庫を空っぽにしてでも、へっぴり腰の兵隊にありったけの弾を撃たせて、サムライどもを根絶やしにちゃる。じゃけど、ここの兵どもが尻ごみして意気が上がらんのは、薩磨の斬り込みのせいだけやないんじゃ。ほかにも理由がある」

 ヤマガタは吐き捨てるようにいった。


「ほう、どんな理由や?」

「実は、わが軍と反乱軍がにらみ合う最前線に出現して、戦場をたちまち火の海に変えたものがおる」

 ヤマガタは、一転して他聞をはばかるように声を低めた。

「なんだと? 薩磨の新兵器か!」

「兵器、かどうか……。それを目撃した者の話では、翼のある、つまりムササビか何かのような小さなケモノだったというんじゃ」


(ボコイのことだ……!)

 おいらは、心臓が飛び出しそうになった。


「そいつが、火ダルマになって飛び回ったとでもいうのか?」

 イトウは盃を上げかけたまま、キョトンとした顔でたずねた。

「いや。いっけえ猛烈な炎を口から噴いたっちゅうんじゃ。しかも空中からな」

「おまえ、そげん怪しげな話を、このわしに信じろっちゅうのか」

「もちろん、わしだって信じられん。じゃけえ、そげな話、大久穂卿にそのまま伝えるわけにいくまあが。寝言をいうちょるのかと、怒鳴られるのがオチじゃ。斬り込みに加えて、その恐ろしいケモノの噂のせいで兵どもの士気がいっこうに上がらん。森の中で出っくわしたりしたら逃げられんと、みなおびえちょる」

「そうか。そげなことがのう……」

 イトウは盃を置き、腕組みして何ごとか考えこんだ。


 二人のやりとりを聞いていて、なんとなくそれぞれの個性の違いがわかってきた。

 両方とも野心いっぱいの欲の塊だが、ヤマガタは見栄っぱりで強権を振りかざしたがり、根がいい加減な性格に思えた。

 一方のイトウのほうは陰険で、策略をめぐらすことを密かに楽しむようなところがある。


「なあ、山潟。それを利用できるかもしれんぞ」

 イトウはいっそう声の調子を落としていった。

「何にじゃ?」

「大久穂卿は、だれよりも冷静沈着に見えて、烈火のごとく怒りだしたらだれにも止められん。佐駕サガの乱を見い。士族反乱の鎮圧っちゅうより、自分に反旗をひるがえした江頭エトウ新平シンペイに対する私怨を晴らそうとしたようなものじゃった。みずから佐駕に乗り込み、司法制度をつくった江頭本人に当てつけるかのように正当な裁判も受けさせず、即刻さらし首の刑に処した」


「うむ。まさに、そうじゃったな。で?」

「おまえが弱音を吐くんじゃ」

「なんじゃと?」

「『私一人の力ではもはや兵を奮い立たすことはできませぬ。どうか閣下のお力をお借りしたく』と大久穂卿あてに電信せえ。あのときと同じになる」

「……そうか。怒り心頭に発して玖州キュウシュウに乗り込んでくることじゃろうな。そうなりゃ、戦場では何が起こってもおかしゅうない……」

 ヤマガタは紅潮した顔を上げ、イトウをにらみつけるように眼を輝かせた。


「そこに火を噴くケモノの存在じゃ。大久穂卿を大量の油をまいた中に誘いこみ、火を放つ。ケモノに襲われたことにしてもええし、ケモノに襲われたと思いこんだ兵が見境なく撃った弾が当たったことにしてもええ」

「大久穂が死ねば……あの男さえいのうなれば……」

「そうよ。一挙に天下はわしらのものになる」

「なるほど、そうか!」


 ヤマガタはイトウのほうへ向き直ると、興奮を静めようとするかのように、眼の前の盃をとってトックリを持つおいらのほうへ突き出した。

「この娘は……?」

 ヤマガタはけげんそうな表情でおいらの顔を見た。

「ああ。手酌で飲むのも無粋じゃけえな。そこらの者に女を呼べといいつけて連れて来させたんじゃ」

「司令部には下働きの女など一人もおりゃあせん。この娘は捕虜じゃ。しかも――あの坂元サカモト龍馬リョウマの娘じゃぞ!」

 二人の顔が同時に青ざめた。


 それ以上においら自身が驚いた。

 正体がバレていたんだ!

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