第三章 6 つぎは飛翔器を命名する
「
昼過ぎになってようやく起きてきたワガハイは、開口一番、そんなことをいい出した。
「おい、キンちゃん。それは完成品ができてからにしな。これをぶっ壊したらまたすぐ新しいのを考えなきゃならなくなるぜ」
ダイキチが笑ってまぜ返した。
「いや。わが輩はもう失敗をくり返す気はない。だから、これをなんとか改良していって完成させてほしいんだ」
ワガハイは決然としていった。
眼つきも昨日までとなんだか微妙にちがっている。
ギエモンさんもそれを察し、あらたまった口調でいった。
「金之助くん。君の意気込みはわかった。ばってん、初めての縦型や。根本的な改造が必要とわかって、直すよりそっくり新品に代えたほうが早い場合もあるかもしれん。それになにより、この形になってはもう君一人の力ではけっして飛ばせん。言子さんとボコイの協力が不可欠だということもわかっとるな?」
ワガハイはためらいがちにうなずき、おいらのほうを見た。
「おいらはボコイを名づけたよ。だから、名づけたい気持ちや、名づけることの大切さもわかる。おまえが好きな名前をつけたらいい」
おいらがいうと、ワガハイはパッと眼を輝かせた。
「では、こうせんか。飛翔器の命名権は金之助くんに進呈しよう。ただし、今はまだ胸に秘めとってくれ。めでたく完成のあかつきに、堂々と披露してもらおうではないか。どうかね?」
ワガハイは、こんどこそ頭を大きく振って深くうなずいた。
その日からさっそくまったく新しい訓練が始まった。
何十メートルもある高い二本のモミの木の梢に滑車を取りつけ、そこから垂らしたロープを地上に立てた飛翔器の先端に結びつけた。
西洋の絞首台を思い出し、おいらはちょっとブルッてしまった。
でも、それは新しい飛翔器を離着陸させる練習を安全に行うための仕掛けだとわかった。
「いったん空中に浮かんでしまえば、キンちゃんが傷だらけになって身につけた飛行技術がものをいう。ばってん、まずちゃんと離陸せないかんし、それ以上にどんな場所にも安全確実に着陸できるようにならなければいかんとです」
ギエモンさんが説明した。
たしかに、
人の眼につかない場所を選ぶ必要もあるだろう。
やむなくここと同じような山や林の中になることもありうる。
直立型というのは、そういう狭い空間に離着陸するために考案されたのだ。
おいらのいちばんの心配は、こんなに大きくて重そうなものが、まったく滑走せずにボコイの噴射だけではたして空中に浮くのかということだった。
「こいばっかりはやってみるしかありませんな。ボコイにがんばってもらいましょう」
ギエモンさんのその言葉が開始の合図になった。
ところが、問題はむしろおいらとワガハイのほうにあった。
おいらが火を噴かせる加減をうまく調節しないと、衝撃ばかり強くてスムーズに器体が持ち上がらない。
それに、浮き上がったらすぐにワガハイが対応して器体を安定させなければならない。
「引け、引け、引け!」
飛翔器が上昇しはじめると、そばで見張っているダイキチが両側の木の下でロープを握った部下たちにむかって怒鳴る。
上昇に合わせてロープを引きしぼることで、とんでもない方向に飛んでいったり、浮力を失って地面に落下することを防ぐためだ。
離陸の訓練には、そのつど予想もしていない事態が生じた。
訓練にかかわっている者は、全員が連係してそれに対処しなければならない。
だれ一人として一瞬も息を抜くことができなかった。
五回もくり返すと、おいらとワガハイは器体から降りるたびに地べたにヘタリ込むことになり、一〇回めには大人たちも全員がくたばった。
ワガハイが名づけると意気込んでいた新型器第一号は、何度も横の木にぶつかったり着地の衝撃が強すぎたりして、あわれにもその日のうちに廃棄される運命だった。
新しい訓練は翌日もその翌日もくり返し行われ、おいらたちは身体のあちこちにあざやたんコブやすり傷を作りながら必死で取り組んだ。
ギエモンさんはつねに器体を二つ用意し、交互に実地訓練に使うことで改良が同時並行に進められるように工夫した。
おいらたちの連携や技術も毎日目に見えて進歩したが、それによってさらに新しい課題が見つかり、それはすぐさまもう一つの器体に反映されていった。
縦型になっただけでも眼を見はったのに、一週間もするとその姿はまるで別モノのように変わってしまった。
翼は固定式から浮動式になり、さらに扇子のように完全に折りたためるものになった。
離着陸用の三本の支柱が器体を囲むように横に取りつけられたと思うと、それはすぐに可動式に変更され、また数日するとそこに安定翼という小さな翼が加えられることになった。
真冬の寒空を飛ぶことになるのだからと、ギエモンさんはおいらたちが直接風や雨にさらされないように外装を整えてくれただけでなく、近くの村から何人かの女の人を呼んで羽毛入りの飛行服なんてものもこしらえてくれた。
ちゃんと採寸して仕立てられたから身体にぴったり合って動きやすく、そのまま着て野宿することもできる優れモノだった。
「どうだ、コトコ。似合うか?」
ワガハイはゴーグルつきの飛行帽までかぶってカッコつけて見せた。
戦争が近づいているという危機感も、ギエモンさんたちとおいらたち二人の子どもを強く結びつけていた。
ギエモンさんの部下が電信で傍受した情報が毎日のように届けられ、
それはカワジの思惑どおりの展開だった。
一月の末には薩磨の地に備蓄されていた武器弾薬が、いきなり政府の軍艦に持ち去られるという事件が起きた。
備蓄そのものは政府のものらしかったが、
「薩磨の連中に奪い取らせまいっていう意図が見え見えだな」
「そうさ。やつらが暴発するって、最初から決めつけてるようなものだ」
「こんな態度をとられたら、薩磨はもう黙ってはいないぞ!」
部下たちが口々にいっていたように、その事件をきっかけに薩磨の情勢は一気に挙兵に向けてなだれを打ち始めた。
「そうか。カワジがオオクボに提案しようとしていたもう一つの作戦って、これのことだったんだ!」
おいらがいうと、ワガハイが苦々しい表情でうなずいた。
「薩磨の決起を後もどりできなくするためのダメ押しの作戦てやつか。きっと
そういう外部の切迫した状況はもちろんあったが、おいらたちはむしろ新型飛翔器とそれを飛ばす技術の完成という目標のほうに夢中になっていった。
すくなくともおいらには、遠く離れた薩磨や政府の動静など想像もつかないし、リョウマ抜きではそれにどう関わっていくのかもわからない。
代わりに心を占めたのは、虚空を自由に飛び回ることへのひりつくような願望とあこがれだった。
二月のなかば、
それとほぼ時を同じくして、政府機能の
開戦はもう時間の問題だった。
そんなある日、ふもとの村からつづく山道をギエモンさんの通信係の部下があたふたと駆け上ってきた。
緊急の知らせにはもうだれもが慣れっこになっていたが、いつもとちがっていたのは、その顔が満面の笑みで輝いていたことだった。
「
ちょうど大木の間に飛翔器を吊るしていた安全索を総出で取り外す作業に取りかかっていた
おいらたちは、やっと本格的な飛行訓練ができるところまでこぎつけていたのだ。
「急がなきゃ。薩磨軍と
地団駄踏まんばかりに力みかえっていうワガハイに、ギエモンさんがなだめるように肩を叩いていった。
「あせることはいらん。この日のために万全の準備ばととのえてきた。あとはキンちゃんの飛行技術とボコイに火を噴かせる言子ちゃんの呼吸を合わせるだけじゃ」
ギエモンさんのいうとおりだった。
器体に乗りこんだおいらの胸はドキドキ高鳴ったが、不安より期待のほうがずっと大きかった。
ワガハイの合図でボコイに噴射させると、器体はゆっくりと持ち上がって地上を離れた。
くり返し練習してもう手慣れた作業だ。
そこからボコイのなめらかな表面をさらに力をこめてさすっていくと、勢いのついた器体は、大空へ突き刺さっていくように一直線に上昇した。
工房や離着陸訓練でつないでいた巨木がみるみる小さくなる。
前に上昇気流に乗ってやっと越えられた崖もあっさり眼下になり、おいらたちが不時着した渓流さえ視界に収めることができた。
「やったぞ、大成功だ!」
ワガハイが興奮を抑えきれない声で叫び、器体を反転させた。
主翼を大きく左右に開き、水平飛行に移る。
役目を終えたボコイが固定されていた木枠からピョンと飛び出し、おいらの横から風防ガラスをのぞきこんだ。
「どうしてこんなところにいるの?」とでもいうようにキョトンとした顔で地上を見下ろしている。
「ボコイ、おまえのおかげだよ」
おいらがいうと、ワガハイもうなずくのがわかった。
「そのとおりだ。ボコイがわが輩たちのとてつもない夢をかなえてくれたんだ。……なあ、コトコ、おまえたちには先に教えとくぞ」
「何のことだ?」
「わが輩が考えたこの器体の名前さ」
「おお!」
「『テンペスト』。イグランドの劇作家、シェイクスペアの作品のタイトルから取ったんだ。〝大嵐〟って意味さ。どうだ、カッコイイだろ?」
「とんでもない大騒ぎを起こしそうじゃな」
「ああ。薩磨と政府軍が度肝を抜かれるだけじゃない。人類がこれだけ大地から遠く離れたことはないんだ。日ノ本じゅう、世界じゅうが驚くことになるだろう」
おいらにも、たしかにその通りにちがいないと思えた。
だが、名前を公開した相手がおいらとボコイだけでよかった。
残念ながらその器体は、ワガハイがいい気になって着陸時に操作を誤ったために、あっさり廃棄処分になる運命だったのだ。
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