第四章 Journey to the West 戦争をやめさせに行こう
第四章 1 いざ、大空へ!
飛行訓練を五日間で切り上げると、晴れて『テンペスト』と名づけられた飛翔器をそれとわからないように解体して荷車に積みこんだ。
警戒厳重な
おいらたちは山沿いの道をたどり、
「志茂田は、幕府が結んだ条約で外国船の寄港地として開港されたんだ」
ワガハイが知ったかぶりして解説した。
「どうりでえらくにぎわっとるな。だけど、だったら警察もいっぱいいるだろう。こんなところにリョウマが来てだいじょうぶなのか?」
「龍馬さんのためやなか。龍馬さんば乗せてくる船が怪しまれないためなのだよ」
ギエモンさんはおかしなことをいう。
おいらたちはそこからもうすこし南へ向かい、
徹夜の作業で浜辺にテンペストを組み立てていると、夜明けの海の沖合に黒い大きな船影が見えてきた。志茂田の港に輸出品を運んできた商船らしい。
すると、ボコイがいきなり走りだし、なんのためらいもなく海に飛びこんだ。
「ボコイ!」
おいらは驚いて呼びかけたが、ボコイはどんどん沖にむかって泳いでいく。
気がつくと、蒸気船から降ろされたボートがこちらに近づいていた。
ボコイが飛びついていったのは、ボートの上に立つシルエットになった長身の人影だった。
「リョウマ!」
浜辺に降り立つと、リョウマはおいらもいっしょに抱き上げた。
力いっぱい抱きしめて頭をクシャクシャにかき回した。
「ちょっと見んうちにでかくなったかのう。おお、キンちゃんもおるじゃないか。そのメガネがついちょるのは飛行帽か? では、みごとに操縦士に合格したんじゃな」
「あたりまえさ。あんたら父娘を乗せて飛んでやるぞ。だからもう、そのキンちゃんて呼び名は……」
ワガハイは得意そうにいいかけたが、リョウマの眼はもう砂浜に立ち上がった飛翔器を見上げてうっとりと細められていた。
「ウーン。これほど素晴らしい造形物は西洋にもなかった。雄々しく、しかもこの上なく優美じゃ。よう作ってくださった!」
「おいも、一世一代の傑作やと思っとりますよ」
リョウマとギエモンさんは感激の面持ちで固く握手を交わした。
すると、ボートの中から聞き憶えのあるひき潰れたような声が聞こえた。
「おい、リョウマ。船に乗せてきてやったわしにも礼くらいいったらどうじゃ」
それはなんと、三つ揃いのスーツに蝶ネクタイのヤタロウだった。
「そうだったな。だが、おまえとはお互いさまじゃ。
リョウマの言葉で、おいらにも北海堂で起こったことの一端がわかった。
〝保険〟と称してラメリカに炭鉱の利権を譲渡しようとしていたオグリとオオクボの陰謀を、未然に防ぐことに成功したのだろう。
オグリの狙いは、同時にヤタロウの命も奪い、三樫の実権を握ることにあったにちがいない。
そして、救われたヤタロウは、志茂田に輸出品を運ぶという口実でリョウマを北海堂からここまで乗せてくることになったのだろう。
ギエモンさんが〝リョウマを乗せてくる船が怪しまれないため〟といっていたのはそのことだったのだ。
「ま……まあ、おあいこってことにしてやる。だが、おかげでわしまで戦争に巻きこまれそうじゃ。おまえには勝算があるんだろうな? とばっちりを受けるのはごめんだぞ」
「さあな。どうなったらわしが勝ったことになるのか、かいもく見当がつかん。まずは急いで
「なんていい加減な……。とにかく用心にこいつを持っていくことだ」
ヤタロウが持ち上げたコモ包みは、これも見憶えのある回転式の連発銃だった。
ショウザン先生が秘密工場の洞窟で見せてくれたものだ。
「いや。
「どうしてだ? おまえはいたいけな言子ちゃんまで連れて危険な戦場に乗りこもうっていうのに、時代遅れの日ノ本刀だけではどうにもならんぞ」
ヤタロウは細い眼をせいいっぱい見開いていった。
あいつはリョウマの顔さえ見れば文句をつけるが、鼻で笑ったり軽蔑しているのではない。
リョウマのやることなすことにすぐ腹を立ててムキになるのは、いちいち気にかかってしようがないからなのだ。
ウスみたいな顔をまっ赤にして食ってかかる表情を見ていると、ほんとうはリョウマのことが心底心配でたまらないんじゃないかと思えてくる。
まったく不可解な人間だった。
「コトコやキンちゃんを連れていくからこそじゃ。たとえ子連れでも、最新鋭の連発銃を装備していればだれからも凶悪な敵と見なされよう。この飛翔器を眼にしてわしは確信した。これに乗る者は平和をもたらす使いなんじゃ。コケ脅しの武器など無用――」
リョウマは豪快に笑って飛翔器の支柱をたたいた。
おいらたち三人を乗せた飛翔器テンペストは、水平線に朝陽が射しそめるのと同時に離陸した。
ギエモンさんたちが拍手と歓声で見送る姿がみるみる小さくなる。
「アッハッハ。ヤタロウだけは驚いて腰を抜かしちょる。いい気味じゃ」
リョウマはさも愉快そうに笑ったが、すぐにそういうリョウマこそ飛行が苦手なことがわかった。
飛翔器はボコイの噴射で一気に数百メートル高空へ上昇し、そこから水平飛行に移り、風に乗って滑空する。
勢いが衰えたり低空になると、ふたたびボコイの力を借りて急上昇することになる。
上がったり下がったりをひたすらくり返すわけだ。
リョウマは山肌や海面が近づくたびに「落ちる、落ちる!」と大騒ぎするかと思えば、上昇するときの重圧がかかるとこんどは「く、苦しい。死ぬ!」とわめいた。
「
ワガハイが憐れむようにいった。
「う、うるさい。おまえたちとちがって飛ぶのに少々不慣れなだけじゃ。戦争は待ってくれんぞ。わしは一刻も早く行かなきゃならんのじゃ!」
リョウマは意地を張ったが、顔色はだんだん青ざめて元気がなくなってきた。
休息を取ろうにも、玖州に近づくまではできるだけ飛行する姿を人目にさらさないように、とギエモンさんにいわれていた。
目撃者が増えて噂になり、怪しい飛行物体が西へ向かっていることが知られれば、行く先々でどんどん警戒が強まるにきまっているからだ。
その日は好天を利して海上だけを飛び、一気に
テンペストは大河
人家から離れて森に囲まれた渓流に、着陸できる平坦な中州が見つかった。
リョウマより気がかりだったのは、一日じゅう働きづめのボコイの具合だったが、ぐったりしたような様子はぜんぜんなく、ふだんの三倍くらいのイオウをペロリと平げると満足そうに眼を細めた。
疲れ果てたのはむしろおいらたちのほうで、残っていたオニギリなどで腹を満たすと早々に寝入ってしまった。
翌朝、あたりはまだ深い暗闇に沈んでいたが、なんだかいい匂いが漂ってきて眼が覚めた。
「孤島の生活を思い出して、久しぶりにボコイに魚をつかまえてもろうたんじゃ。獲れたての味はやっぱり最高じゃなあ」
先に起き出したリョウマは、昨日とはうって変わって元気いっぱいだった。
「連発銃を持ってきたってことは、アインのコタンに行ってきたんじゃろ。カイシュウ先生はミサトさんを連れて帰れたのか?」
塩焼きにした川魚をほおばりながら、おいらは尋ねた。
「もちろん行ったさ。だが、真冬の北海堂の山は深い雪に埋もれちょる。ご老体の海舟先生にはとても無理じゃ。わしが象山先生から武器を受け取ってきただけさ」
「武器は必要だろうけど、それだけのために北海堂に行ったのか? じゃあ、カイシュウ先生は何しに行ったんだ?」
「海舟先生だけじゃない。
「あっ、そうか。あのときいってたことを北海堂でやるのか!」
「わかったか。さすがキンちゃんは鋭いな。弥太郎の部下じゃった尾栗忠成の陰謀をくじくことはできたが、そのまま放置すれば北海堂が外国の危険にさらされることになる」
「なるほど。そのために
「そればかりではないぞ。日ノ本全体にもっと大きな影響がもたらされよう」
リョウマは串に刺した魚を振り回して得意そうに語り、ワガハイも興奮して眼をキラキラさせている。
「いったい何の話をしとるんじゃ?」
二人がどうして盛り上がっているのか、おいらにはさっぱりわけがわからなかった。
「いや。問題は複雑に入り組んじょるし、さまざまな計画がみんなまだ途上にある。コトコにもそのうち理解できるさ」
たしかに、面倒な説明なんか聞いているより、人がまだ起き出さないうちに出発してしまわなければならなかった。
腹ごしらえがすむとあわただしくテンペストに乗り込んだ。
その日は北西から強い寒風が吹きつけ、なかなか思うように距離を稼げなかった。
木と竹でできた器体は悲鳴をあげるようにきしみ、和紙を重ね貼りして油を塗った、ちょうど番傘のような造りの主翼はバタバタとあおられた。
リョウマは騒ぐ元気もなく、そのかわりウーウーうめきっぱなしだった。
それでもようやく最初の目標だった紀井半島にたどり着いた。
半島は高い山が折り重なり、深い杉の森がどこまでもつづいている。
人目を気にする必要はなく、ちょっとでも開けた場所があれば降りられそうなのに、ワガハイはなかなか決断しなかった。
ようやく冬の間放置されている段々たんぼを見つけて着陸した。
おいらとリョウマはさっそくたきぎを集めたりして野営の準備に取りかかったが、ワガハイは何かの器材を抱えてあぜ道をあたふたと駆けてどこかに行ってしまった。
「ほう、そうだったのか。この近くを電信の線が通っちょったんじゃな」
ワガハイが暗くなる直前にもどってくると、リョウマは納得した表情でいった。
「今や日ノ本じゅうに電信線が張りめぐらされつつあるからな。それを管理してる蟻右衛門さんから、配線を描きこんだ最新の地図をもらってきたんだ。この器材さえあれば、どこにある線からでも送受信ができるってわけさ」
「てことは、おまえ、メールス信号とかって言葉がわかるのか?」
おいらは驚いてワガハイに尋ねた。
「あたりまえさ。いくら電信網が四通八達したって、電信局にそれを受けたり発信したりする通信技士がいなくちゃ無用の長物だ。わが輩が蟻右衛門さんの手伝いに行ってたのは、そいつらの卵にメールス信号を教えるためだったんだぞ」
「おまえが先生だったってことか!」
ワガハイは得意がる風もなくケロリといった。
「まあな。でも、イグランド語や漢詩に比べりゃなんてことない。むしろ困るのは、知りたい情報がそのときに交わされてるとは限らないってことさ」
「では、どうするんじゃ?」
「蟻右衛門さんのところに問い合わすのさ。わが輩が合図の信号を送れば、いつでも応答してくれることになってる。でも、政府に傍受される危険性があるからうかつな会話はできない。いくつも暗号を決めてあって、それを組み合わせてやりとりするんだ」
「おお、まさにスパイ合戦じゃな! それで何がわかった?」
リョウマがたずねると、ワガハイは神妙な顔つきになってコクンとうなずいた。
「
「いよいよじゃな。急がねば」
「それと、政府の
「何?
「玖州に行く前に、極秘に会いたいといってる。何か重大な要件らしい」
「そうか、葛連さんがな……」
リョウマはたき火を見つめ、大きくうなずいた。
さまざまなことが大きく動きだしている。
大空へ飛び出したテンペストには、もう引き返す道はないのだった。
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