第一章 5 日ノ本を出発させた宣言
談話の糸口も、チョウミンが切った。
「……たとえば、だれもが知っている『五箇条の御誓文』の第一条に〈広く会議を興し万機公論に決すべし〉とあります。新生
「そのとおりだ。革命を起こしたフランセや、イグランドからの独立を勝ち取ったラメリカは、みなルサウの民権論を根拠にして議会制を打ち立てた。新国家日ノ本もそれにならわねばならんという思いが『御誓文』になった。その原案はわたしが書き、ここにおられる
冷静沈着な、いかにも人格者然としたユリキミマサがいった。
カツラのほうも、ほめ言葉をもらって不愉快なはずはなく、重々しくうなずいた。
「ご本人たちに会えて光栄です。ところが、これには元ネタがありますね」
ユリがうなずいた。
「ああ、幕府に王朝へ政権を返上させた『大政奉還建白書』のことだな。苦境に立たされていた幕府に対して、
「そして、そのまた元となったものがあるのでしょう?」
「その原案は、やはり四賢侯だった
ユリは、同意を求めるように土左のイタガキタイスケとゴトウショウジロウをかわるがわる見た。
リョウマより若そうな割にえらく恰幅のいいゴトウが、しぶしぶ口を開いた。
「うーむ……どういういきさつだったかな」
「寝ぼけてるのか、
細おもてのムツヨウノスケが、いかにも切れ者らしい口調で鋭くつっこんだ。
「あんた、四侯会議がまとまらんといって、あわてふためいて
そういえば、ヤタロウが「小生意気な若造だった
ムツはその当時、リョウマが組織した
「さては伍藤どん、おはん、手柄をひとりじめしたな」
鬼ガワラみたいなおっかない顔をしたオオクマシゲノブが、ずっとへの字に曲げていた口を大きく開いて笑っていった。
イタガキが、苦笑いしながら同郷のゴトウに助け舟を出した。
「容堂公は天下一の気まぐれだ。あのお方がもうすこし素直だったら、土左は
ゴトウは顔を不満そうに赤らめたが、一同はどっと笑いに包まれ、はじめてなごやかな雰囲気になった。
「今の話はほんとか?」
おいらはリョウマにささやきかけた。
「ああ。伍藤に頼まれて亰へ急行する船の中で、頭をかかえてなんとかひねり出したんじゃ。たしかに、あの一文にはわしの理想が余すところなく盛られちょる」
「すると、あんたの案が、新国家・日ノ本の建国の理念になったってことかい?」
ワガハイはのぞき穴から顔を上げ、ニヤニヤしているリョウマをあらためて驚きの眼で見つめた。
「そういうことになるのか。そのころにはもう日ノ本にいなかったからよう知らんが」
リョウマはさして得意がる風もなくいった。
下ではそれをきっかけにいよいよ活発な議論がはじまった。
明確に定義された人権論によって高揚した理想と、現実をふまえた改革への構想が激しく交錯する。
「
「キンちゃんと呼ばないでくれ。講義をいちばん真剣に聴いていたのは、
「ほほう、なるほど」
「的確な理解を示していたのは、やっぱり樹戸だな。あいつを基準にしてほかの連中を見ているとよくわかる。国民という定義を、だれもが平等なんだという意識でちゃんととらえているのは、樹戸と
「さすがはキンちゃん、よく見ちょるな。だが、そもそも自由民権運動自体が、
「そうか、むずかしいものなんだな……」
ワガハイの声はしぼむように小さくなった。
おいらと同じで、リョウマが考えているようなところまで考慮して、あの連中を見定めることはとてもできそうにない。
「いや、そう悲観したもんでもないぜよ。やっぱり具体的な人物をこうやって眼にすれば、夢想にすぎなかったものにもはっきりした輪郭が見えてくるものじゃ。この連中も、事態がここまで切迫すれば、自分たちももはや腕をこまねいているわけにいかんことは痛いほどわかっちょる」
リョウマは、何ごとか胸に秘めたものをほのめかすような口調でいった。
「どんな夢想じゃ?」
「新しい政府さ」
おいらとワガハイは、ギョッとしてあやうく大声を上げそうになった。
「今の政府の連中を追い出して、こいつらを後ガマにすえようっていうのか?」
ワガハイが息をのんでたずねた。
おいらも、ワガハイがいっていた〝クーデター〟という血なまぐさい危険な革命のことを思い出していた。
「そうじゃない。この国の中に、もうひとつ別の政府を作っちまうんじゃ」
リョウマはわけのわからないことをいう。
おいらとワガハイは、キョトンとして眼を見合わせた。
「内閣は葛連さんと
夢想というより妄想だろう。
リョウマはそんなことをブツブツつぶやきながら、勝手に眼を輝かせはじめた。
下では、おいらたちの予想を大きく越えた盛り上がりを見せている。
チョウミンの眼のさめるような理論に刺激されたせいで、みんな精神が高揚していた。
議論に加わっていない者は一人もなく、最初は傍観していたカツラも、ほほを赤らめて鋭い声で意見を差しはさんでいく。
彼らをたがいに噛み合わせ、本音を引き出す役割だったはずのカイシュウ先生でさえ、どうやら本気になって参加してしまっているようだ。
「ようし、わしも行くぜよ!」
リョウマがいきなり腰を上げ、屋根の垂木に勢いよくゴツンと頭をぶつけた。
「な、なんだって?」
おいらは、顔をしかめて頭をさすっているリョウマを見上げた。
「アイテテテ……こんなところでこっそり見物なんぞしとる場合じゃない。やつらがみんなその気になっちょる今こそ、まさに話し合う好機なんじゃ!」
そういうなり、リョウマは天井板をバリッと蹴り破った。
おいらたちが止めるひまなどなかった。
つぎの瞬間、リョウマは突然の物音に驚いて見上げる男たちのど真ん中めがけて、ためらいもなく飛び降りていった。
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