第一章 5 日ノ本を出発させた宣言

 談話の糸口も、チョウミンが切った。


「……たとえば、だれもが知っている『五箇条の御誓文』の第一条に〈広く会議を興し万機公論に決すべし〉とあります。新生日ノ本ヒノモトはこの輝かしい宣言から出発しました。すばらしい名文だ。みなさんの主張も、これを根拠にしているわけですよね?」


「そのとおりだ。革命を起こしたフランセや、イグランドからの独立を勝ち取ったラメリカは、みなルサウの民権論を根拠にして議会制を打ち立てた。新国家日ノ本もそれにならわねばならんという思いが『御誓文』になった。その原案はわたしが書き、ここにおられる樹戸キドさんが手直しをされてでき上がったのだ」

 冷静沈着な、いかにも人格者然としたユリキミマサがいった。

 カツラのほうも、ほめ言葉をもらって不愉快なはずはなく、重々しくうなずいた。


「ご本人たちに会えて光栄です。ところが、これには元ネタがありますね」

 ユリがうなずいた。

「ああ、幕府に王朝へ政権を返上させた『大政奉還建白書』のことだな。苦境に立たされていた幕府に対して、キョウの都で四つの雄藩の藩主からなる〝四賢侯会議〟が提案して受け入れさせたものだ。あれがあったからこそ、無用な流血を見ずに歴史は大きく動いた。わたしは恵智前エチゼン藩士だったから、四侯の一人だった藩主から聞いて驚いたよ。魔法のようなすばらしい解決策だったと同時に、文の内容も当時としては画期的だった」


「そして、そのまた元となったものがあるのでしょう?」

「その原案は、やはり四賢侯だった土左トサ藩主・山ノ裡ヤマノウチ容堂ヨウドウ公の求めに応じて、坂元サカモト龍馬リョウマが考え出したものだとは聞いているが――」

 ユリは、同意を求めるように土左のイタガキタイスケとゴトウショウジロウをかわるがわる見た。


 リョウマより若そうな割にえらく恰幅のいいゴトウが、しぶしぶ口を開いた。

「うーむ……どういういきさつだったかな」

「寝ぼけてるのか、伍藤ゴトウさん」

 細おもてのムツヨウノスケが、いかにも切れ者らしい口調で鋭くつっこんだ。

「あんた、四侯会議がまとまらんといって、あわてふためいて長埼ナガサキの龍馬さんのところまでわざわざ助けを求めに来たじゃないか。おれはすぐ後ろで聞いていた。あんたが『脱藩したおぬしが土左藩なぞ眼中にないのはわかる。じゃが、一度でいいから藩の危機を救うてくれ』と懇願している光景を、今でもまざまざと思い出せるぞ」

 そういえば、ヤタロウが「小生意気な若造だったムツ陽之助ヨウノスケ」といっていた。

 ムツはその当時、リョウマが組織した海演隊カイエンタイにいたのだ。


「さては伍藤どん、おはん、手柄をひとりじめしたな」

 鬼ガワラみたいなおっかない顔をしたオオクマシゲノブが、ずっとへの字に曲げていた口を大きく開いて笑っていった。

 イタガキが、苦笑いしながら同郷のゴトウに助け舟を出した。

「容堂公は天下一の気まぐれだ。あのお方がもうすこし素直だったら、土左は薩潮サッチョウを押しのけて政権を取っちょったかもしれん。龍馬の案だなどといってみろ、たとえ藩がつぶれることになったとしても同意せんかっただろう。黙っていたのが伍藤の手柄じゃ」

 ゴトウは顔を不満そうに赤らめたが、一同はどっと笑いに包まれ、はじめてなごやかな雰囲気になった。


「今の話はほんとか?」

 おいらはリョウマにささやきかけた。

「ああ。伍藤に頼まれて亰へ急行する船の中で、頭をかかえてなんとかひねり出したんじゃ。たしかに、あの一文にはわしの理想が余すところなく盛られちょる」

「すると、あんたの案が、新国家・日ノ本の建国の理念になったってことかい?」

 ワガハイはのぞき穴から顔を上げ、ニヤニヤしているリョウマをあらためて驚きの眼で見つめた。

「そういうことになるのか。そのころにはもう日ノ本にいなかったからよう知らんが」

 リョウマはさして得意がる風もなくいった。


 下ではそれをきっかけにいよいよ活発な議論がはじまった。

 明確に定義された人権論によって高揚した理想と、現実をふまえた改革への構想が激しく交錯する。


兆民チョウミンは、うまいこと議論の方向をつけてくれたな。どうだ、キンちゃん、やつらのようすを見てどう思う?」

「キンちゃんと呼ばないでくれ。講義をいちばん真剣に聴いていたのは、添島ソエジマ種臣タネオミだ。だが、どうだろうな……純粋に学問的な興味からかもしれない。革命を志しているならいかにも力が入りそうなところで、はかばかしい反応がなかったような気がする」

「ほほう、なるほど」

「的確な理解を示していたのは、やっぱり樹戸だな。あいつを基準にしてほかの連中を見ているとよくわかる。国民という定義を、だれもが平等なんだという意識でちゃんととらえているのは、樹戸と友利ユリくらいかな。もう一度革命を起こしてでも、というほどの情熱がありそうなのは、板籬イタガキと睦じゃないか」


「さすがはキンちゃん、よく見ちょるな。だが、そもそも自由民権運動自体が、征乾論セイカンロンで挫折した士族たちの不満の、形を変えたはけ口という側面を持っちょるようだ。佐駕の乱を起こした江頭新平が、『民撰議院設立建白書』の署名者の一人だったということでもわかる。士族の不満というのは、ある意味で特権意識に根ざしているといってもいい。理屈だけ理解していても実行がともなわない者は役に立たんが、革命の情熱を秘めているからといって味方にできるとはかぎらんのじゃ」

「そうか、むずかしいものなんだな……」

 ワガハイの声はしぼむように小さくなった。

 おいらと同じで、リョウマが考えているようなところまで考慮して、あの連中を見定めることはとてもできそうにない。


「いや、そう悲観したもんでもないぜよ。やっぱり具体的な人物をこうやって眼にすれば、夢想にすぎなかったものにもはっきりした輪郭が見えてくるものじゃ。この連中も、事態がここまで切迫すれば、自分たちももはや腕をこまねいているわけにいかんことは痛いほどわかっちょる」

 リョウマは、何ごとか胸に秘めたものをほのめかすような口調でいった。

「どんな夢想じゃ?」

「新しい政府さ」

 おいらとワガハイは、ギョッとしてあやうく大声を上げそうになった。


「今の政府の連中を追い出して、こいつらを後ガマにすえようっていうのか?」

 ワガハイが息をのんでたずねた。

 おいらも、ワガハイがいっていた〝クーデター〟という血なまぐさい危険な革命のことを思い出していた。

「そうじゃない。この国の中に、もうひとつ別の政府を作っちまうんじゃ」

 リョウマはわけのわからないことをいう。

 おいらとワガハイは、キョトンとして眼を見合わせた。


「内閣は葛連さんと大熊オオクマ……睦は海軍か外交か……友利には当然大蔵大臣をやってもらうとして……板籬には陸軍をまかせられるじゃろう……添島と伍藤には議会を……」

 夢想というより妄想だろう。

 リョウマはそんなことをブツブツつぶやきながら、勝手に眼を輝かせはじめた。


 下では、おいらたちの予想を大きく越えた盛り上がりを見せている。

 チョウミンの眼のさめるような理論に刺激されたせいで、みんな精神が高揚していた。

 議論に加わっていない者は一人もなく、最初は傍観していたカツラも、ほほを赤らめて鋭い声で意見を差しはさんでいく。

 彼らをたがいに噛み合わせ、本音を引き出す役割だったはずのカイシュウ先生でさえ、どうやら本気になって参加してしまっているようだ。


「ようし、わしも行くぜよ!」

 リョウマがいきなり腰を上げ、屋根の垂木に勢いよくゴツンと頭をぶつけた。

「な、なんだって?」

 おいらは、顔をしかめて頭をさすっているリョウマを見上げた。

「アイテテテ……こんなところでこっそり見物なんぞしとる場合じゃない。やつらがみんなその気になっちょる今こそ、まさに話し合う好機なんじゃ!」

 そういうなり、リョウマは天井板をバリッと蹴り破った。


 おいらたちが止めるひまなどなかった。

 つぎの瞬間、リョウマは突然の物音に驚いて見上げる男たちのど真ん中めがけて、ためらいもなく飛び降りていった。

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