第一章 6 不偲池誘拐事件
木くずとほこりを身にまとって円卓の上に飛び降りてきたリョウマを見上げ、その場のだれもが眼を丸くした。
「りょ、りょうま……!」
最初にそれと見分けたのは、やっぱり一度会っているカツラだった。
「りょうま? というと……
「まさか――」
リョウマは床の上にスタッと降り立ち、いつものニヤけ顏で周りに笑いかけた。
「いや、たしかに龍馬だ。変わり果てるどころか、信じられんほど昔のまんまだ!」
「坂元さん、生きてたんですね!」
まるで二〇歳そこそこの若者のようにリョウマにむしゃぶりついていったのは、ムツヨウノスケだった。
居並ぶ維新の功臣たちの前であるのもかまわず、奇跡を眼にした者がするように無垢の瞳をキラキラさせてなつかしい兄貴分の顔を見上げ、恥も外聞もなくぼろぼろと涙を流してしゃくり上げた。
「
「
ユリキミマサも、万感の思いが胸にせまるのか、声をつまらせながらいった。
「いやいや、わしは外国からもどってきたばかりじゃ。まだ
カイシュウ先生は一人だけ椅子にかけ、あきれた顔をしたままだ。
その横には、騒ぎを聞きつけて現れたサナコさんが、お盆を胸の前にかかえて驚きの表情をしている。
「おい、上の子どもたち、あぶないからわしのまねはよせ。ハシゴから降りてくるんじゃぞ。さな子さん、すまんが酒と何か腹に入れるものをもらって来てくれんか? まずは旧交を温め、それから日ノ本を救う手立ての大議論じゃ!」
リョウマは手近な椅子にドッカと座り、上機嫌で吠えるようにいった。
すると、リョウマとは初対面らしい紳士然としたソエジマや、政治家というより軍人といった風貌のイタガキが、円卓ごしにつぎつぎと笑顔で握手を求めてきた。
「なんてむちゃなことをするんじゃ!」
天井の破れめから下をのぞき、おいらは小声でつぶやいた。
「まあ、いちおう歓迎されたらしくてよかったじゃないか」
ワガハイがいい、おいらたちは天井裏を後にすることにした。
ボコイは梁をピョンピョン飛びつたってついてきた。
ハシゴを降りはじめると、
維新の戦争では
山と呼ばれるのは、目立つ高峰が遠くの
どんな会合になるのかとずいぶん緊張していたおいらだったが、肩すかしをくらった感じですこし気が抜けた。
上埜の〝お山〟と同じだ。
ハシゴがグラッと揺れた。
先に降りたワガハイが、段を踏みはずしたにちがいない。
「おい、だいじょうぶか?」
身体をひねって下を見てドキッとした。
ワガハイが、地面に手足を投げ出したような妙な形で横たわっていた。
しかもピクリとも動かない。
「ワガ――」
月がいきなりヒュッと動き、呼びかけようとしたおいらの声が途切れた。
何者かに身体を抱きとめられ、口をふさがれたのだ。
と思うと、バサッと顔に布がかぶせられた。
「その子は気を失っているだけです。あなたも痛いめにあいたくなければ、いたずらに騒ぎたてないことですよ。いいですね?」
耳元に若い男の声がささやきかけた。
ていねいな口調だが、切迫していて、太い声で恫喝されるよりむしろ恐ろしかった。
声を上げようにも、口は布の上からきつく押さえつけられている。
どんな風にかかえられているのか、いくら足をばたつかせても地面にも相手にも当たらない。
靴がコトンと木を踏む音がしたと思うと、じきにすーっと身体が空間を横にすべっていくような感覚に襲われた。
(舟じゃ……そうか、この賊は池のほうから忍びこんできたんだ!)
ヒジカタが見張っているのは、道ぞいに板塀がめぐらされている表側だ。
庭は渡り廊下や母屋の座敷からまる見えだが、ハシゴがかかっている離れの裏手は完全な死角になっていた。
舟はそのあたりに着けられていたにちがいない。
カタッ、ザザザザザ……カタッ、ザザザザザザ……
かいがくり返したてる音が、水面を渡っていく。
だが、それは悲しいくらい静かだった。
ハスの葉が舟の側面をこするかすかな音さえ聞こえるくらいだ。
不偲池は、幅はどこをとっても数百メートルしかなかったはずだ。
どこかの岸に上陸してしまったら、跡を追うのはむずかしくなる。
(そうだ、ボコイはどうしたんだろう?)
おいらはハッとした。
おいらが危なくなるとボコイはきまって何かの形で助けてくれた。
ワガハイが襲われたうえにおいらが拉致されようとしているのに、こんどに限っては、まったくその気配すら感じられなかった。
気が動転している証拠だろうか、自分のことより、ボコイがどうなってしまったのかということのほうがひどく気になった。
舟はさほど離れていない岸辺に着けられた。
人力車にも乗らず、若い男はおいらを横抱きにしたまま、夜道を速足でどんどん歩いていく。
ギイッ……
塀のくぐり戸でも押し開けたのか、何かがきしむ音がして、すぐにむせかえるようなキクの花の香りに包まれた。
どこかの庭の中に踏み込んだらしい。
すぐに建物に入ると、廊下をカツカツと革靴の音が進んでいく。
かなり大きな洋館建てなのにちがいない。
「ただ今もどりました」
やわらかな挨拶の声。
(どこかで聞いた憶えがある……)
「ああ、ご苦労。うまくいったようだな」
それに応えたひきつぶれたような声!
まちがいなかった。
この二つの声の取り合わせは――
頭にかぶせられていた布袋が、ハラリと取りのけられた。
眼の前に現れた光景に、おいらは思わず息をのんだ。
頭上を見上げると、のしかかってくるほど巨大なシャンデリアが輝いていた。
「ここは……いったいどこじゃ?」
分厚いカーペットの上には、高級な革張りのソファやテーブルがあちこちに配置され、深い光沢のある壁には、西洋絵画を収めた額縁がいくつも飾られている。
こんな豪華な空間を眼にするのは、ウェンナのシェーンブラン宮殿に迷いこんだとき以来だ。
「手荒にしたことをおわびします。どこかケガはありませんか?」
おいらをふかふかのカーペットの上に下ろしながら、スーツ姿の青年がいった。
そして、ソファに深々ともたれてバハナ葉巻をくゆらしているのは、まちがいなく
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