第一章 2 軍隊のいらない戦争

「おまえ、あいつに何かろくでもないことでも吹きこまれたのか?」

「ちがうよ。おまえらの後をついてったりしているうちに、考えるようになってきた。もしかしたら、自由に生きるっていうのは、この男みたいな生き方なんじゃないか、ってな」

 それを聞いたとたん、おいらは口があんぐりと開いて、すぐには返答することができなかった。


 ひと呼吸おいてゴクリとつばをのみ、あらためていった。

「……おまえなあ、大きなかんちがいしてるぞ。リョウマはまともなやつじゃないんだ。あいつは好き勝手やってるだけで、自由なんていう高級なもんじゃない」

 ワガハイは、おいらの意外な語気の強さに驚き顔で見返した。

「そ、そうかなあ……」


「そうさ。あいつは『わしは幽霊みたいなものじゃき』とか冗談めかしていってるが、おいらにいわせればまさに幽霊そのものじゃ。生活のことも、将来のこともぜんぜん頭にない。おまえが見習えるような生き方なんてものはあいつにはないんだ」

「娘のくせに、そこまでいうのか!」

「娘だからじゃ。娘だからわかるし、おいらが気をつけてやっていなきゃ、あいつはまっすぐ歩くことさえおぼつかないんだぞ」


「だけど、樹戸キド孝允タカヨシカツ海舟カイシュウには信用されてるじゃないか。龍馬ならなんとかしてくれるんじゃないかと、あいつらは大きな期待をかけているんだぜ」

「どうだかな。おいらがリョウマといっしょに会ってきた連中っていうのは、例外なく死んだことになってたり、戦いに負けたり、重要な役職からはずされたようなやつばかりだ。自分たちじゃもう戦えないもんだから、リョウマなんかを当てにしてるだけなのさ。そういうのを、〝負けイヌの遠吠え〟っていうんだろ?」


「革命っていうのは、勝ったやつが目指すことじゃない。もう一度理想をかかげて失敗や逆境にくじけずに立ち向かおうとすることの、いったいどこが悪いっていうんだ」

 ワガハイは、まじめな顔で憤然といい返した。

「革命ごっこならかまわないさ。危険人物ってことでマークされて、何者かになったような気分を味わえるだろうしな。だけど、リョウマたちにはかんじんな戦力がない。それじゃだれにもまともに相手にされっこないだろ。だから、理想、理想と無責任に吠えたてていられるんだ」

 いえばいうほどおいらは腹立たしくなり、自分でもますますそれがまちがいなく真実であり、厳然とした事実だと思えてきた。


「そうか。……おまえ、ほんとは龍馬に置いていかれるのが怖いんだろ? あいつが本気で戦いに乗り出したとき、自分が足手まといにされて、ここに一人でとり残されてしまうんじゃないかって」

 ワガハイはおいらの顔をのぞきこみ、皮肉っぽい表情でいった。

「ふん。そんなことができるもんか。ボコイだって、おいらでなけりゃ火を噴かせられない。置いてけるわけがないだろう」

「たしかにボコイは貴重な戦力だろうけどさ。でもな、いざ戦争というほどの規模の戦いになったら、それどころじゃなくなるぞ」


「戦争をしようったって、リョウマには軍隊がないじゃないか」

「軍隊がいらない戦い方だってある」

「もしかして、暗殺ってやつか? ヒジカタがやろうとしてたみたいな……」

「もうすこし大がかりなものだが、〝クーデター〟って方法だ。政府の中枢にいる要人をいちどに暗殺するか拘禁して、政府自体をそっくり乗っ取ってしまうんだ」

「そんなことができるのか……」


〝くうでたあ〟というどこか凶々しい響きのある言葉を聞いて、おいらはゾクッとするものが背筋をはい下りるのを感じた。

 克邸でリョウマがいっていた「政府を倒す」というのは、そういうことなのだろうか。


「いちかばちかっていう危険な暴力革命さ。民衆や軍隊の支持が得られなけりゃ、たちまち鎮圧されちまう。いずれにせよ、あぶない場所、殺気立った連中がいっぱいいる中に飛びこんでいくことになるだろう。おまえ、それが怖くないのか? それとも、やっぱり龍馬と離ればなれになるのがイヤなのか?」

 さあ、どうなんだろう……

 おいらは首を振って、どちらの問いにも答えられないことを示すしかなかった。

 自分の気持ちがわからない。


「おまえも、リョウマのまねして革命がやりたいのか?」

 ワガハイにたずねた。

「いや、革命家とか政治家とかいうガラじゃない。わが輩が日ノ本ヒノモトにもたらしたいのは、もっと文化的な変革だ。こせこせして志の低い日ノ本人の頭の中身を、欧米以上に上等なものに変えていきたい。そのためには、もっともっと勉強しなくちゃならない」


「いい心がけじゃ。おまえはそうやって自由になればいい。どうせ、おまえなんか戦力として当てにしちゃいないよ」

「まあ、そうあからさまにいわれるとおもしろくないんだが……」

「とにかく、戦えそうな味方は、とりあえずヒジカタくらいしかいないんだよなあ」

 おいらは腕の中に抱きこんだ膝小僧にあごをのせ、ため息をついた。


「いいえ、味方はいますよ!」

 空き地にいきなりかん高い声が響いた。


 おいらとワガハイは、驚いて屋根の端から下をのぞいた。

「まあまあ、そう大声でほたえんでも……」

 リョウマが後ろ向きでそろそろと土蔵の中から出てくるのが見えた。

 猛烈な剣幕でつめ寄ってくるサナコさんを、両手を上げてなんとかなだめようとしている。


「あなたは昔からそうです。肝心なときになると、わたしを放り出して黙ってお一人で行ってしまう。どうせ女なんてものの役に立たないと思っていらっしゃるんでしょ!」

「いや、いや、そんなことはないぜよ。だが、あんたにもしものことがあっては、兄上にも、亡くなられたお父上にも申し開きできんのじゃき」

「さな子はとっくに一人前の女です。女だって、自分の運命は自分で決められますわ。あなたは、そういう世の中を作りたいんじゃって、いつもおっしゃってたじゃありませんか。あれはウソでしたの? いつものいいかげんなホラ話なの?」

「そ、そりゃまあ……まいったのう」

 空き地に一本だけ残った柿の木を背にしてもう後退できなくなると、リョウマは困りはててボサボサ頭をかきむしった。


「ぽつんと取り残されて、心配で胸が張り裂けそうな思いをしているのがどれほどつらいものか、あなたにはおわかりにならないのよ。それくらいなら、いっそいっしょに戦って死地を切り抜けようと奮闘するほうが、わたしにはよっぽど楽ですわ!」

 リョウマは口をへの字に曲げ、しぶしぶうなずいた。

「わかった、わかった。では、こんどの会合にはいっしょに連れてくぜよ」

「まあ、ほんと? うれしいっ!」

 サナコさんは叫んでリョウマに飛びついていった。


 リョウマは馬鹿みたいに両手を上げ、抱きつかれたまま身動きできずにいる。

 その格好を見て、おいらとワガハイは同時にプッと吹き出してしまった。


 リョウマは屋根の上にいる二人に気づき、あわてて口に指を当てて「黙っちょれ」というポーズをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る