第一章 Meeting Beside the Lotus Pond 蓮華亭会談

第一章 1 ワガハイは自由人である……はず

 シバ増乗寺ゾウジョウジにたどり着いたところまでは憶えている。

 金座キンザのほうへ道をとってまもなく眠りこんでしまったおいらは、リョウマに背負われて千波チバ道場にもどってきたらしい。


 竹刀を打ち合う稽古の音がうるさくて眼が醒めると、二階の自分の布団の中にいた。

 しかたなく起き出したが、小春日和に誘われて土蔵の高い屋根に登ってひなたぼっこしているうちに、寝不足のせいでまたウトウトしてきた。


 そこにワガハイがのそのそと上がってきた。

 ワガハイは昨夜、澄田川スミダガワでボコイが最大火力で打ち上げた大火玉を目撃した後、ギエモンさんと小舟で河口近くまで下り、警官に見とがめられることもなく金座に帰り着いていたのだ。

 ワガハイに問われるままに、おいらは澄田川での実験の後の出来事のことを話した。


「ふーん。いよいよ戦いが始まるのかなあ。平和な東亰トウキョウにいると、とてもそんな気はしないけど……」

 となりに腰をおろしたワガハイが、うららかな秋空を見上げながらいった。


 ワガハイにいったのは、警官隊に追われてヒジカタとカイシュウ先生に救われたこと。

 そして、大警視カワジにつきまとわれたが、玖州キュウシュウから動乱勃発の急報が入ったことで巻き起こった騒ぎにまぎれ、カツ邸に逃げこんだところまでだ。

 リョウマは、政府軍や薩潮サッチョウばかりか欧米列強とも対等に戦うような大ボラを吹いてカイシュウ先生やヒジカタとえらく盛り上がっていたが、とてもそこまでワガハイに話す気にはなれなかった。

 本気……いや、正気の沙汰とは思えなかったからだ。


 しかも帰る途中で刺客に襲われたなんて、口が裂けてもいえない。

 リョウマが今も命を狙われていることもそうだが、犯人が死んだはずの新殲組シンセングミのオキタソウジで、そいつが一〇年越しの執念深い暗殺者だったなどということは、おいら自身にもまだ信じられなかった。

 昏闇坂クラヤミザカの妖気に包まれて、悪い夢でも見たんじゃないかと思う。


「平和でもないぞ。目立つ事件が起こってないってだけだ。新政府の手先の警察隊が眼を光らせて見張っているから、だれもがうかつに動けずにいるんじゃ」

 おいらにはそんないい方しかできなかった。

「おまえ、矛盾したことをいってるぞ。薩磨サツマ潮州チョウシュウが戦争を起こしやしないかと心配してるかと思えば、警察のせいで騒ぎが起こせんと不満がってる。いったいどっちが本当の望みなんだ?」


 たしかにそのとおりだ。

 政府軍とサムライとの衝突はたぶん避けられない。

 日ノ本ヒノモトは大混乱になり、外国が侵略してきたりもするのだろう。

 みんな起こってほしくないことばかりだ。

 だけど、リョウマたちはそれを防ぐつもりだという。

 そんなことがもし可能ならとは思うが、あまりにも非現実的な話でとても想像がつかない。


「おいらにはようわからん。おまえにはわかるのか?」

「簡単なことさ。サムライが勝って武士の特権を取りもどそうが、政府がそれを抑えこんで独裁政治を堅固にしようが、徳河トクガワの時代より暗い世の中になることはまちがいないな。どっちに転んでも、その世界でずっと生きていくわが輩たちは、ひどい影響を受けることになるだろう」

「大人たちの問題だと知らんぷりしてるわけにはいかないんだな。おまえは、どうしたらいいと思う? 何を望んでる?」

 ワガハイは生意気にも腕組みなんかして、しばらく考えこんだ。


「……わが輩が生まれたのは慶旺ケイオウ三年、徳河幕府の最後の年だった」

「おいらもそうじゃ。リョウマがキョウで殺されたことになってるのも同じ年だ」

 何をいいだすつもりなのかといぶかしみながら、おいらは応じた。

「そうだったな。おまえは欧米をさまよいながら大きくなったが、わが輩が育ってきたのは、江渡エド東亰トウキョウに変わり、何もかもが激しく移り変わっていく日ノ本の首都だった。立派な大名屋敷は荒れ果てていくし、サムライの姿はどんどん消えていく。その一方で、気取ったスーツや白いスカートで金座のレンガ街を闊歩する者も出はじめた」

「そうか、それはみんな、おいらたちが生まれてからたった一〇年の間に起こったことだったんだな」


「大人たちは最初こそ新しい時代の到来に、文明開化だ、ご維新だと浮かれ騒いでいたが、その実態がわかってくるにつれ、不安になってきた。『おまえは自由に生きられる時代に生まれてよかったな』ときまっていうくせに、大半は新時代に対応できず、古い価値観にしがみつくか、若い世代の者に『なんとかしてくれ』とすがりつくばかりだ」

 ワガハイの口調から、だんだんと皮肉っぽい一種の余裕が消えていった。

「わが輩の生家は先祖代々の名主だったが、時代の波に押し流されるままに没落しつつある。それで、使用人夫婦を独立させて、わが輩をその養子に出した。義理の親たちはわが輩をずいぶんちやほやして育てた。だけど、それはみんな、わが輩に恩を着せて、自分たちを安楽に養ってもらおうという魂胆でしていたことだったんだ。それがあまりにも露骨になってきたんで、実の親はやむなくわが輩を取りもどした」

「じゃあ、親元に帰ってこられてよかったじゃないか」

「そんなことはない。育てるのが負担だったから養子に出したんだ。もどってきたからといって、今さら愛情がわくわけじゃない。やっぱりわが輩はよけい者なのさ」

 ワガハイは口の端をゆがめていった。


「そうか、複雑な事情があるんじゃな……」

「わが輩はたしかに、自由に生きられる時代に生まれ合わせたと思っている。だが、そういう当の大人たちは、だれ一人自由に生きようとしていない。そして、こっちを自由にしてくれようともしない」

「うーん。だったら、もう少し年齢がいけばできるんじゃないか?」

「現実はそんなに単純にはいかないさ。浮き世のしがらみってものにがんじがらめにされてる。大人になればなるほどよけいひどくなっていくだろう。気持ちだけは自由にってのは、いうのはたやすいがどうしたって顔や行動に出る。出れば当然叩かれる」

「そうか……」


「まあ、他人に理解されなくてもかまわないし、自分の理想といえるほど明確なものはまだ見えてきてないが、せめて希望だけでも持っていたいんだよ」

「そうだな。希望を持つくらいなら、だれにも文句はいわれないだろう」

「それが、近ごろなんとなくわかってきた。……というのは、おまえのオヤジと出会ったからなんだ」

「リョウマとだって?」


 おいらは驚いてワガハイのほうをふり返った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る