第一章 3 集結した面々

 恐れていた知らせは、つぎつぎと東亰トウキョウへ届いた。


 一〇月二四日、『旋風連センプウレンの乱』

 同  二七日、『明月アキヅキの乱』

 同  二八日、『葉稀ハギの乱』

 同  二九日、『思庵橋シアンバシ事件』


 おいらたちが第一報を警視庁のすぐ前で聞いた『旋風連の乱』の後、サムライの反乱があいついで起こった。

 とくに潮州チョウシュウの『葉稀の乱』は規模も大きく、一時は政府の最高責任者である参議を務めていた真栄原マエハラ一誠イッセイが先頭に立っていたことから、リョウマたち大人は大きな衝撃を受けていた。


 遠い西国での出来事は東亰トウキョウではあんまり実感がなかったが、二九日に勃発した『思庵橋事件』は、おいらたちが住む千波チバ道場からもそう離れていない日ノ本橋ヒノモトバシが舞台となった。

 名賀岡ナガオカ久茂ヒサシゲという犯人の首領の名を聞いておいらも驚いた。

 東北の最果ての地・十南トナミでリョウマが会うことになっていた人物だったのだ。


 ワガハイと屋根の上で話したときには、危機が迫っているという実感がわかないことがむしろ不安だった。

 だが、いきなり身近で、しかもまんざら無関係ではない人物が関わった事件が起こってみると、事態は一気に緊迫してきた気がした。

 事件そのものは反乱というより強盗事件くらいの規模のもので、たちまち警察に鎮圧されたらしいが、そのときは通りを駆ける気ぜわしい足音や怒号が聞こえ、今にもきな臭い硝煙の匂いが漂よってきそうだった。


 市中の警戒はいちだんと強化され、街を往きかう人々の顔には例外なく不安な表情が張りついた。

 そのうえ、おいらたちには暗殺者オキタがリョウマの命を狙って暗躍しているという問題もある。

 リョウマがさな子さんにだけはそのことを打ち明け、彼女も子どもたちも一人ではけっして外出しないようにと警告した。


 リョウマがサナコさんにいった会合というのは、『思庵橋事件』の一週間後、冷たくなってきた秋の風のせいばかりではない、寒さの身にしみる日に行われた。

 カイシュウ先生が呼びかけ、〝民権派〟と呼ばれるおもだった者を集めて集会をやるという。

 カツ邸に行ったときに決まったことだったが、危惧していた士族反乱が続発したことで、よけい緊急性が高まった。

 おいらやワガハイにも感じられたように、同志になってくれる者を一刻も早く、一人でも多く探し求めなければならなくなったのだ。


「待ってくれ……やけに連れが多いな」

 夕方待ち合わせの場所に指定された上埜ウエノ不偲池シノバズノイケのほとりに着くと、先に来ていたヒジカタがおいらたちを見て眼をむいた。


「少しまあ、予定が変わっちもうたんじゃ。こちらの女性は、わしらが世話になっちょる千波道場のさな子さん」

「さな子と申します。まあ、あなたが、キョウの街を騒がせたというお噂に高い肘方ヒジカタ歳三トシゾウさまですのね!」

 サナコさんはにこやかにほほ笑んであいさつした。

「いや、騒がせたのは薩潮サッチョウをはじめとする勤王キンノウの志士で、おれはそれを取り締まった新殲組シンセングミのほうですが……」

「そうではありませんよ。新殲組は色男ぞろいで、祇苑ギオンの芸妓などにたいそう騒がれたとうかがっております。中でも、肘方さまがいちばんおもてになったとか」

「それは、たぶん熾田オキタ総司ソウジのことでしょう。人ちがいですよ」

 ヒジカタは、まじめな顔のまま赤くなった。

「いえいえ。若いおなご衆には熾田さまも人気がおありだったようですが、大人の女性やクロウト筋の間では、肘方さまのほうがだんぜん男前だといわれていたそうですよ。お歳をめしたぶん渋みを増されて、いっそう殿方ぶりがお上がりですわ」

 まんざらお世辞でもないらしく、サナコさんはヒジカタにすり寄らんばかりだ。


「は、はあ……。では、そちらは?」

 サナコさんをなんとかかわそうと、ヒジカタはその後ろを指さした。

「ああ、この子はキンちゃんです。さ、ちゃんとご挨拶なさい」

 サナコさんはワガハイを前に押し出した。

「わが輩はキンちゃんではないぞ。夏芽ナツメ金之助キンノスケという者だ」

 初対面の大人をまず信用しないワガハイは、ヒジカタを上眼づかいににらみつけ、挨拶ともいえない名乗りを上げた。


「龍馬さん、これはしかし……」

 ヒジカタは、その二人の取り合わせに当惑の表情になって、リョウマのほうを見た。

「いや、さな子さんは、れっきとした北晨一刀流ホクシンイットウリュウ千波道場の跡取りじゃ。護衛をするといってきかぬ……いや、親切にも護衛をやってくれるというので来てもらった。キンちゃんには、今夜来る連中の人物鑑定をしてもらおうと思っちょる」

「人物鑑定?」

「娘と同い年じゃが、どうしてなかなか人を見る眼を持っちょるのだ。とくに、大人の偽善を見破ることにかけてはわしも顔負けじゃ。恐ろしいほどの批評精神を発揮する。こいつの意見もぜひ参考にしたいと思うて連れてきたんじゃ」

 サナコさんは三味線の袋から愛刀のツカをのぞかせてほほ笑み、ワガハイはリョウマからそれなりのほめ言葉をもらってニヤけている。


 ヒジカタはあきらめたようにうなずき、不偲池のほとりをまわって会合場所の池之畑イケノハタの料亭『蓮華レンゲテイ』に案内していった。

 その名のとおり、敷地の裏はハスの葉が密集した池に面している。

 表のほうだけを警戒すればいいというのが、ここを選んだ理由だろう。


 料亭の離れにはカイシュウ先生が待っていた。

「この上に昇れっちゅうんですか?」

 リョウマは、あんぐりと口を開けて部屋の天井を見上げた。

「今日の会合は内密のことにはなっとるが、おまえとは初対面の人間もおる。いきなり死んだはずの坂元サカモト龍馬リョウマが現れては話がややこしくなるし、無用な警戒もされよう。まずは各人の考えと覚悟のほどを客観的に見定めるこった。具体的な説得や相談は、これと目星をつけた相手に、後日あらためて個々に会いにいけばいいじゃないか」

「なるほど、スパイのまねごとをするんじゃな」

 おもしろそうだとわかると、リョウマは眼を輝かせてうなずいた。


 料亭はカイシュウ先生のなじみらしく、天井裏にひそむ準備もしてくれていた。

 建物の裏手にハシゴがかけてあり、それを昇ると換気用の小窓から中に入れる。

 長時間の潜伏になるのにそなえて、ロウソクの横には握りめしや水も用意されていた。


 会合にはまだ間があり、いったん下の座敷にもどると、そこにやって来たのは、薄っぺらい粗末な着物姿をして、ほお骨が印象的に高い、ひょうひょうとした青年だった。

「はて、どっかで見た顔じゃな」

 リョウマは男の顔をまじまじと見つめて首をかしげた。

「憶えていてくれましたか! 龍馬さんが海演隊カイエンタイを組織していた頃に、長埼ナガサキで隊の宿舎に居候させてもらっちょりました。土左トサ出身の語学生じゃった中柄ナカエ篤介トクスケです」

「なかえとくすけ……」

「ええ。今は『中柄兆民チョウミン』と号しちょります。ぼくは、龍馬さんに頼まれてタバコを買いに走ったこともありましたよ」

「おお、そうか! ……いや、まったく憶えとらん」

 チョウミンは肩すかしをくらってガクッとよろけたが、顔はニコニコ笑っている。


「ところで、おんし、ここへ何しに来た?」

「中柄くんはなあ、数年前までフランセに留学して、ルサウの民権論を学んできたんだ。今夜の会合は、わしらが彼からその民権論の講義を聴くという趣旨になっとる。その後はまちがいなく談論風発、カンカンガクガクの議論になるだろう。それを聞いていれば、出席者おのおのの考え方だの立場だのが、おのずから見えてこようというものだ」

 カイシュウ先生は両手を広げ、得意げに説明した。

「そりゃ名案じゃ。ラメリカの独立戦争も、フランセ革命も、ルサウの民権思想にみちびかれて起こったという。わしも、ぜひその講義を傾聴したい」

「願ってもないことです。ぼくは天井裏にむかって力説することにしましょう」


 ヒジカタは、カイシュウ先生のお雇い車夫の風情で表通りの塀ぎわにしゃがみ、外のようすを見張っている。

 サナコさんは料亭に頼みこみ、給仕役の女性のふりをしながら内部を警戒することになった。

 おいらたちが天井裏に昇ってまもなく、立派な馬車や人力車がつぎつぎ到着した。


 現れたのは、土左の板籬イタガキ退助タイスケ伍藤ゴトウ象二郎ショウジロウ

 腓前ヒゼン佐駕サガ大熊オオクマ重信シゲノブ添島ソエジマ種臣タネオミ

 それに、季州キシュウムツ陽之助ヨウノスケ恵智前エチゼン友利ユリ公正キミマサといった面々だった。

 彼らは、上座とか下座の区別なく談話できるようにと用意された大きな円卓の周りに順に着座していった。


「いずれも維新後に政府の高官をつとめた経験のある者たちだが、現在の中枢とはなんらかの形でソリが合わず、いわば冷やメシ食いの立場にあるやつらじゃ」

 天井裏に腹ばいになって三人分天井板に開けられた穴から下のようすをのぞきながら、リョウマが小声でおいらたちに教えてくれた。

 カイシュウ先生がわざとのように名前を呼びながら出迎えているし、どの人物もひと癖もふた癖もありそうな特徴のあるツラがまえだから、すぐに憶えてしまった。


「板籬、伍藤、添島、友利は、政府に『民撰議院設立建白書』というものを連名で提出したメンバーじゃ。国民の投票で選ばれた議員によって、法律や政治の方向を決めていくべきだ、と主張したわけじゃな。政府もそれを無視するわけにはいかず、いずれ国会を開設するまでの間、政府と意見を異にする面々にも公的な議論の場を与えようということで、元老院というものを設立してやつらを議員にすえた。しかし、いちおう立法機関ちゅうことにはなっちょるが、名誉職のようなものでたいした権限はないから不満をかかえとる。そういう連中じゃ」

 リョウマが声をひそめて説明する。


「そうか。〝元老院〟なんて名前だけは重々しくて聞こえはいいが、ようするに野放しにしたら潮州の真栄原みたいに反乱勢力に取り込まれる危険性があるから、政府の中につなぎ留めておこうっていう魂胆なんだな」

 さすがに頭のいいワガハイは、すぐにその意味をさとっていった。

「やっぱり、薩潮のやつらはいないんだな」

 円卓についた顔ぶれを順に見回しながら、おいらはいった。

「薩磨のおもだった連中は、西豪サイゴウさんについて故郷の鹿仔島カゴシマに帰ってしまったか、札保呂サッポロ黒多クロダや警視庁の河路カワジのように大久穂オオクボの配下になっているかのどっちかじゃ。潮州はバラバラじゃな。参議だった真栄原は、故郷の葉稀で反乱を起こして今にも捕まえられようとしちょる。葛連カツラさんにつぐ実力者になりつつある井藤イトウ博文ヒロブミとか山潟ヤマガタ有朋アリトモというやつらは、完全に大久穂の側近になっちょるらしい」


「お、もう一人来たぞ」

 おいらたちと向かい合わせに腹ばいになっているワガハイが、部屋に入ってくるその人物をよく見ようと頭の位置をずらした。


 最後に苦虫をかみつぶしたような顔でその場に現れたのは、忘れもしない潮州の樹戸キド孝允タカヨシこと葛連小五郎だった。

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