第三章 7 『地球獣+ボコイ』
どうやら、こちらが本当のクロークの顔らしかった。
ラメリカやユーロピアではさまざまな種類の人間に出会ってきたが、学者というのはめったにいなかった。
さっきの大げさな芝居ぶりを見ると、知的であると同時に、ユーモアのセンスもあるようだ。
「ああ、ワタシの
クローク先生は、こともなげにいった。
「ポケッとつっ立ってないで、そこに転がっているランプを持ってきてもらえませんか。この珍しい動物をよく見てみたい。ワタシは動物学者でもあるのです。火を噴く生き物など、見たことも聞いたこともない。世界的にもまれな貴重動物かもしれません」
クロークは、おいらが抱いたボコイの顔を正面からのぞきこんでいった。
リョウマは、しかたなさそうにランプを拾い上げ、消えた火をふたたびともしておいらたちのほうへやって来た。
ヒジカタも、もはや決闘やクロークを殺すことへの執着はすっかり失せてしまい、剣をおさめてリョウマの後をついてきた。
「ほほう、この甲虫類のような羽が広がって、尾までふくめて身体をすっぽり包みこむわけだね。すると、尖った端から炎を噴出する、と」
おいらがクロークを信頼できそうな人間だと思ったのは、クロークが最初からボコイにやたらに触りまくったり、無理に火を噴かせてみろなどとは要求しなかったからだった。
まるで、赤ん坊をあやしながら検診する小児科医のように、まず自分の指をなめさせてみたり、動物がたいがいよろこぶ耳の後ろを軽くくすぐってやったりして、ボコイの警戒心をけっして刺激しないように気をつけている。
「クローク先生、見当がつきますかいのう」
リョウマは、ランプの明かりを射しかけながら、医者に子どもの容態をたずねるようにいった。
おいらも、ボコイがどういう動物なのかをぜひ知りたかった。
〝先生〟と呼びかけたところをみると、リョウマもだんだんとクロークを信頼しはじめたらしい。
クローク先生は、学者らしい落ち着いた口調で説明した。
「この生き物がなめた指を嗅ぐと、あきらかに燃えたイオウの匂いがします。つまり、まちがいなく生き物自身が身体の中から火炎を吐いたということです。しかし、おそろしく奇妙なのはむしろ、背中に黒い甲殻状の羽がある以外、この動物は体温もべつだん高いわけでもなく、毛並みもきれいで、まったく他の齧歯類――つまり、ネズミや、ビーバーや、リスなどと同じ特徴をそなえているということなのです」
「てことは、どうみても火を噴くような生き物らしくないちゅうことかね?」
リョウマの質問に、クローク先生は深くうなずいた。
「いったい、このような珍獣をどこで、どんな風に見つけたのです? よければくわしく教えてください」
おいらはリョウマのほうを見た。
ボコイのことを納得できるように説明するには、おいらたちが海外を旅してもどってきたいきさつまで語らなければならないのだ。
リョウマはうなずいた。
「いいよ、コトコ。隠すことはいらん。みんな話しちゃれ」
おいらは、一〇年前に日ノ本を出国したことからはじまって、ラメリカからユーロピアの各地をへめぐってきたことを語り、最後に捕鯨船に乗ってたどり着いたアリョーシャン列島の火山島での出来事を説明した。
「信じがたい体験をしてきたのですね!」
そういったのは、ヒジカタだった。
おいらはクローク先生にずっとイグランド語で話していたが、同時にその内容をリョウマがヒジカタにもわかるように説明してやっていたのだ。
安酒屋でリョウマの話を聞いたときは、信じるとはいったものの、まるで夢物語のようで想像もつかなかったのだが、これでヒジカタもようやく納得できたのだった。
クローク先生は、聞くにつれてしだいに粛然としたおももちになっていった。
「ワタシは敬虔なクレスチャン――クレスト教徒だといったでしょう。自然科学の学者でありながら、どうしてもクレスト教的な発想をしてしまうところがあります。たとえば、旧約聖書にリヴァイアサンという怪物が出てきます。大海に棲み、巨大で、硬いウロコに覆われ、口から炎を、鼻から煙を吹く、というのですが、ワタシはこういう神話や伝承にも強くひかれるのです」
「うーむ、似ちょるような、似ちょらんような……しかし、どう見てもこいつは、そんな恐ろしげなものではないなあ」
「ええ、そうですね。リヴァイアサンの性質は冷酷無情。危険このうえない破壊的な生き物とされています。しかし、生物学的に考えれば、この生き物の生態や起こした現象は、リヴァイアサン以上に驚異的なものだといえるでしょう。卵から生まれ、溶岩に焼かれず、イオウを食し、変形して炎を吐く……」
クローク先生は、腕組みして深く考えこんだ。
「そういえば、北欧神話にはこういうものがありますよ。『世界樹』というのです」
「世界樹じゃと?」
「世界は一本の巨大な木でささえられており、その木の中に九つの世界がすっぽりと包みこまれているというのですね。その木には、さまざまな動物――ワシ、ヘビ、シカ、ヤギなどが棲んでいるのですが、リスもいるのです。そのリスは、それぞれの世界の間に情報を伝える役目をおびているといいます」
「へえ……」
おいらは思わず声をもらした。
ボコイが世界樹のリスなら、おいらに何を伝えようとしているのだろうと想像したのだ。
「ヒントになりそうな伝説はまだあります。日ノ本にも伝わっているはずですよ。鳳凰とかフェニックスと呼ばれる、聖なる鳥のことです。鳥とリスの違いはありますが、興味深いことに、この鳥は数百年に一度みずから火に飛びこんでその身を焼き、灰の中からまた幼鳥となって生まれ変わって永遠の生命を保つというのです。どうです、この生き物に似ている気がしませんか?」
おいらたちは、ポカンとしてクローク先生の話に耳をかたむけていた。
「知れば知るほど、考えれば考えるほど、この生き物にはとてつもなく強い興味を引かれますね。人を殺傷するほどの火炎を吐いたのは、あなた方がオルシア人に襲撃されたときが最初で、ついさっきが二度めなのでしょう? リョウマさんとヒジカタさんの真剣勝負にはまったく手出しをせず、ワタシが銃を抜き、ヒジカタさんが斬りかかろうとしたときには炎を吐いて介入してきた……これをどう思いますか?」
話を横でずっと聞いてきたヒジカタが、ハッとしていった。
「そうか。救われたのは、クローク先生なのか、おれなのか……それとも、バカなことはやめろという警告だったのか……」
「不思議なことじゃな。この世に生まれたばかりのこんな小さな生き物が、わしらの行為の善悪、理非を判定しちょるというのか……」
リョウマも驚きの表情になった。
そこでリョウマは、クローク先生にむかって、日ノ本には長い間
それに対して、クローク先生とヒジカタがたがいに武器を突きつけ合ったのは、たがいにろくに相手のことも知らず、その場の流れの中で突発的に起こりかけた凶事だったことは明らかだ。
ヒジカタは、苦い悔恨をふくんだ口調でいった。
「その生き物は、すくなくともおれと
クローク先生は、いよいよ神妙な顔つきになって、つぶやくようにいった。
「いたずらに神秘主義に走ることは、クレスト教徒にはかたく戒められているのですが、この生き物には、何か神意のようなものを感じますね。風変わりで、とてつもなく危険なところもあるのに、まるで、おろかな人間たちの営みを、はるかな高みから見下ろす存在であるかのような……」
だが、リョウマは顔をツルンとなでると、アハハハハと高らかに笑った。
「大げさじゃのう、クローク先生。生態はたしかに奇妙このうえないが、動物であることに変わりはないぜよ。生まれつきかしこくて、とくにコトコにはようなついちょる。飼い主に危険がせまれば、イヌだって敵に飛びかかっていくもんじゃ」
まぜっかえすようなリョウマの反論に、クローク先生も意外とあっさり同意した。
「そうですね。もちろん、そう考えるのが妥当です。ですが、『ひょっとしたら』と想像を羽ばたかせてくれる生き物ではありませんか」
「クローク先生は、まっことロマンチストじゃなあ」
「そうおっしゃるあなたもね。捕鯨船に乗ってクジラを追いかけたり、世界じゅうを旅して回りたいなどという人が、ロマンチストでないはずがない。きっと、だからこんな生き物が眼の前に現れたんですよ」
「なるほど、至言じゃ!」
二人は顔を見合わせ、カラカラと笑った。
「おれには、いい教訓になりました。この動物の前で命の恩人の黒多を殺そうとしたりすれば、おれのほうが火だるまにされるような気がする。すっかり眼が覚めましたよ」
ヒジカタは、真面目な顔でいった。
「おお、そうですか。暗殺などはやめたほうがいい。ミスター・クロダは大ざっぱな性格ですが、あのような人がいないと、日ノ本のような新しい国は同じひとつの観念にこり固まったり、極端な方向に走ってしまいがちなものです。今は見逃しておやりなさい」
「わかりました。もう心残りはありません。おれは坂元さんにいわれたように、今夜このまま
ヒジカタはあらためてクローク先生に非礼をわび、おいらから手紙を受け取った。
そのようすを見て、クローク先生がふたたび口を切った。
「ワタシは、ラメリカの大学から休暇をもらって、あこがれの日ノ本に来ました。残念ながら、そんなに長くいられるわけではありません。短い滞在期間にできるだけ多くの有為の若者と会って、彼らの希望の芽をはぐくみ、それを天高くそびえる樹々に育てていく勇気をあたえるつもりです」
「おお、ぜひそうしてくだされ。希望に燃える日ノ本の若者たちが世界にむかって胸を張れる日が、一日も早く訪れるように」
リョウマは感動のおももちでいった。
「サッポロに到着した当日から、あなた方のような日ノ本を代表する精神と精神のぶつかり合いを目撃し、そのお二人と有意義に交わることができて、ほんとうに幸運でした。それと、世界一奇妙でかわいい生き物とその飼い主に出会えたことですね。きっとここから、新しい日ノ本が生まれていくのだと思いますよ。……アッ、そうだ、ワタシはこんな時間にここに来た用事をすっかり忘れていた。ちょっと待っていてください」
クローク先生は、リョウマからランプをひったくり、やぶのむこうにあたふたと駆けこんでいった。
もどって来たときには、スコップと小さな木を一本かかえていた。
「これはポプラの苗木です。ワタシが日ノ本に来た証しにと、ラメリカから持参したものです。これを、わたしたちの出会いの記念として、この場所に植えましょう」
「ほう、ポプラか。西洋の通りにはポプラ並木がつきものじゃった。ポプラの巨木が連なれば、世界一の大通りらしくなりますな。これはその一本めちゅうことになる」
おいらたちは、さっそく手近な場所に穴を掘りはじめた。
もし、だれかこの夜ふけに大通を通りかかった者がいたとすれば、一本のスコップを仲よく順ぐりに回して何かを埋めている、奇妙な一団を目撃したかもしれない。
「碑を建てるわけにもいかんが、さしずめ『坂元龍馬と肘方歳三の対決および、仲裁に入ったクローク先生の出会いの記念樹』ちゅうところじゃな」
土盛りの上に立ち上がった若い苗木を見下ろして、リョウマがいった。
「ちょっと長ったらしすぎますよ、坂元さん。先ほど先生がおっしゃった世界樹にちなんで、いっそ『地球樹』というのはどうです?」
手についた土をはらい落としながら、ヒジカタがいった。
すると、クローク先生がポンと手を打ち合わせた。
「それはいい。ぴったりの名ですよ。……おお、だったら、この生き物は『地球獣』としませんか? 変身した形は、まさに丸い地球儀を思わせるじゃないですか!」
そのとたん、おいらはビクッとして、クローク先生の視線から引き離すようにしてボコイを腕の中に抱きしめた。
「そうか、失礼。飼い主はお嬢さんだ。名付け親の権利は、当然あなたのものですね。どうか教えてください、何という名前をつけたのですか?」
「ボ、ボコイ……ボコイというんだ」
おいらは、なんだか恥ずかしいような気持ちで、その名をやっと口にした。
横で聞いていたリョウマが、くすくす笑った。
「いいじゃないか、『地球獣ボコイ』。クローク先生のお墨付きじゃ。これで、世界中のどんな珍獣奇獣にも負けやせんぞ」
「いやいや。あの火炎の威力は、シシやトラの力強さにだってひけをとりませんよ。地球一のけものということです」
ヒジカタは、ボコイから受けた強い衝撃を隠そうともせずにいった。
おいらも、だんだん誇らしい気持ちになってきた。
そうだ、ボコイにも、新しい意味がつけ加わったのだ。
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