第一章 2 免許皆伝のクジラ捕り
「わしはなァ、何でもかんでも見てみたいんじゃ」
そのセリフもあきるほど聞かされた。
そっちはたしかによくわかる。
アウストリア帝国の都ウェンナでは、どうしても中のようすを見物したいといって、庭園の美しい華麗なシェーンブラン宮殿にずかずかと入っていった。
にこやかに笑みを浮かべ、周囲の貴顕や召使たちに悠然とうなずきかけながら、大層な天井画などで装飾された大広間まですんなり入りこんでしまった。
もしかしたら、連れのおいらがかわいらしかったせいで、奇異には思われても意外と怪しまれなかったのかもしれない。
だが、リョウマのボサボサのチョンマゲ頭とすり切れたハカマ姿はあまりにもみすぼらしかった。
だれかの通報でいかめしい格好の衛兵が駆けつけると、たちまちたたき出されてしまった。
取り調べもされず、身分を問われることもなかったのは助かったが、おいらはヒヤヒヤさせられっぱなしだった。
絢爛豪華なものだけが好きなわけではない。
珍しければ何でもよかった。
イグランドのロンデンでは世界で初めての地下鉄道というものにでっくわした。
驚いたことに、地面の下に掘られた長大な穴ぐらを蒸気機関車が走っていた。
リョウマは一日で三回往復してもあきることがなかった。
二人の顔と衣服はススで真っ黒になり、その後何日もひどいせきに悩まされたものだ。
精緻と壮大さの両極をきわめたアンデルシアのアルハンバラ宮殿はまさに比べるもののない芸術的建築だったし、眼の前の空間を埋めつくすように膨大な水がなだれ落ちるナイアグラの滝の景観を眼にした驚きは、今でも鮮明に憶えている。
そこがいくら遠くても、不便な秘境でも、厳しく警固された立ち入り禁止の場所であっても、リョウマは執念のようにさまざまな手をつくし、ときには危険を冒してでもおいらを連れて見に行った。
そんなリョウマにとって、この捕鯨船というものは、まさにあらゆることが興味をそそる対象だった。
クジラを追ってすばやく船を右へ左へ向けるには、甲板員が総がかりで複雑な帆の操作をしなければならない。
「わしは
漁が始まると、うれしそうに眼を細めてみごとな連係とすばやい作業ぶりを一心に眺めていた。
圧巻は、ロープを結んだ巨大なモリをクジラめがけて大砲で撃ち出す瞬間だ。
モリをくらったクジラは、猛然と暴れて捕鯨船を引きずりまわす。
何時間も、ときには丸一日以上も必死の格闘がつづく。
クジラのスピードと予想もしない動きについていけないと、船のほうが転覆しかねない。
一度など、逆襲されて体当たりをくらい、あやうく船腹に大穴を空けられかかったこともあった。
漁の間、リョウマはだれよりも興奮して、眼前に展開される緊迫感にみちた光景に見入っていた。
クジラが弱りはじめると、命綱で身体をくくった男たちがモリを手にしてつぎつぎその背中にとりつき、とどめを刺すことになる。
それも勇壮な光景で、なかなかの見ものだった。
ところが、そういう場面に何度めかに遭遇したとき、何を思ったか、リョウマはいきなり服を脱ぎ捨てると、日ノ本刀を口にくわえてまっ先に海に飛びこんでいった。
ひっくり返った大型船を思わせるクジラの黒い背中に仁王立ちになり、逆手にかまえた剣をズブリと突き立てた。
世界で日ノ本刀ほど切れ味鋭い剣はないと自慢するだけあって、クジラのぶあつい皮膚をまるでカスタードプディングでもすくうようにスッパリ切り裂いた。
「見たか。これが
リョウマは、剣を虚空に突き上げて雄叫びを上げた。
おいらは息をつくこともできず、呆然と見守るしかなかったものだ。
しかし、そのことがあって以来、乗組員たちの態度ががらっと変わった。
「サムラーイ」「リョマサン」と、畏敬と親しみをこめた眼差しで呼びかけてくるようになった。
エイブラハム船長は、巨大な白クジラと格闘して片足を食いちぎられたという伝説の猛者だったが、気難し屋の彼でさえリョウマには一目置くようになった。
その後は、大物のクジラと遭遇するたびにリョウマは漁に誘われた。
待遇も、それまでとは見ちがえるほどよくなったのはいうまでもない。
ラメリカ式の捕鯨は鯨油を採取するためのもので、クジラから皮の部分だけを切り分け、船上で大きな釜で煮て、採れた油を樽につめて運ぶ。
せっかくの肉はほとんど捨てられてしまい、せいぜい航海中の食料の足しとしていくらかが塩漬けにされるくらいだった。
リョウマによれば、日ノ本ではクジラは捨てるところがいっさいないというほど珍重されているという。
「なんともったいない。ここが美味なんじゃき」
などと言いながら、油を採る作業の横で、切り取った赤身をリョウマは火であぶってかぶりついた。
そのときばかりは、おいらも腹いっぱいになるまでクジラの肉を食わせてもらえた。
たしかに、ラメリカのニューオークのレストランで出された〝ステーク〟なんかより、ずっとうまいと思った。
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