約束

 礼拝堂に一台の車が到着する。その車の屋根の上から飛び降りた二国領土にこくりょうどは、少女の鎖によって捕まっている集団を見て苦笑した。

「扉め、設定したタイミングで魔術が発動するよう暗示したか。それでこうも見事に一網打尽にするのだから、大したものよ。これは俺も負けてはいられんな」

「領土様!」

「おまえ達、鎖に巻き取られてるマヌケどもを拘束しろ。俺は扉の元へ行く」

 執事達に拘束を任せ、二国領土は礼拝堂に入っていく。そして感じられる六錠扉りくじょうとびらの魔力を頼りに、裏口を探し始めた。

 それと同時刻、六錠扉はナイフで対抗してきた火男ひょっとこを殴り飛ばしていた。面を割り、前歯が折れてしまった情けない顔を見せる。

 般若はそれに怯え、さらに六錠扉の魔力を憶えているせいでさらに怯え、まともに立っていられない。結果、般若は六錠扉が一睨み効かせるだけで、慌てて逃げてしまった。

 残るは翁の面、ただ一人。

「逃げないのか」

「逃げる? バカな。ここに六番目の魔術書の鍵があるのだ。大いなる魔術が手に入るというのに何故逃げる」

「まるで俺を殺せると言った風だな。力の差も知らずに……!」

 六錠扉が肉薄する。翁はそれに対して風を吹かせようとしたが、風の塊ができずに霧散する。そのスキに殴り飛ばされ、面の一部が砕かれた。

「バカな……」

「この地下全体に俺の結界を張った。結界以外の魔術はすぐに殺されて、使えなくなる。わかるな? 魔術師じゃ俺には勝てねぇんだよ」

 同時、古手川姫子こてがわきこが起きる。見えたのは六錠扉が翁の面を追い詰めているシーンだった。六錠扉が拳を振るい、とどめの一撃を叩き込もうとする。

 だが次の瞬間、聞いただけで悪寒の走る音が鳴り響く。

 それは、ごくごく普通の暮らしをしてきた古手川姫子が聞くのは初めての音。なのに理解できたのは、それを出すものを見たことがあるからで、それに似た音をTVドラマなどで見たことがあるからだった。

 銃声。それは命を刈り取る音。命を摘み取る高速の弾を撃ち出す音。その音が聞こえた瞬間に、六錠扉が背をのけ反らせていた。

「せん、ぱい……? 先輩!」

 六錠扉が力なく倒れる。うつ伏せに倒れたその陰から血がジンワリとにじみ出し、動かない。

 煙を吹く小型の拳銃を持った翁は立ち上がり、現状を遅れて理解して笑い出した。六錠扉の結界が消えていく。

「ついに! ついにやったぞ! これで第六魔術書は我らの物だ! 全世界よ! これで我が国にも最強の兵力が――!」

 翁の胸が貫かれる。それは、水でできた細長い刀身の刀。翁の血を吸い、赤く染まる。そしてそれを使って刺した彼女は、血に濡れたその目で憎らしく睨む。

「き、貴様……!」

「先輩の仇です……許せないのです……よくも、よくも先輩を!」

 刀を抜き、返り血を浴びる。翁は力なく倒れ、そのまま気を失ってしまった。

 とどめならさせるが、古手川姫子の意識はもう翁にはない。倒れている六錠扉に駆け寄り、大きく揺すった。

「先輩! 先輩! 先輩! しっかりしてください! 仇は私が取りました……から……」

 古手川姫子はここで気付く。今、自分が人を刺したことを。その心臓を、確実に貫こうとしたことを。

 手にはまだ刺したときの感覚が残り、血は臭いを残す。すべてを今鮮明に憶えていることが、怖くてたまらなかった。

 手は震え、そこから体全体に震えが広がる。顔を覆えば鉄臭い血の臭いが鼻を突き、これが夢ではないことを突き付けられた。

「わ、たし……人を……! あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 古手川姫子の魔力が暴走する。地下は天井から亀裂が入って崩れ出し、周囲の水道管は破裂する。水がことごとく刃に変わり、その場を破壊した。

「私は……私は……!」

 古手川姫子は泣きじゃくる。魔力の暴走にも気付かず、ただただ泣く。

 そんな彼女を止めたのは、他の誰でもない。目の前の彼のチョップだった。力はない。彼女を少し俯かせる程度の力しかない。だがその弱弱しい制裁が、古手川姫子の暴走を止めた。

「うるさい、黙れ。頭に響く」

「先輩……先輩! よかった、よかったです……先輩……でも、どうして……」

 仰向けになった六錠扉の胸ポケットに穴が開いている。だがそこには、すでに先客がいた。少女から没収した、小型ナイフだ。それが弾を弾いたらしい。

 六錠扉はナイフを出すと放り投げ、撃たれた胸を押さえた。直接当たっていないとはいえ、痛いものは痛い。

「偶然に、助けられた」

「……」

「あれはおまえがやったのか」

 六錠扉の視線の先で、翁の面が倒れている。古手川姫子はそれでまた思い出し、ボロボロと涙を流し始めた。

「私、先輩が殺されたと思って……仇だと思って……もうわけがわからず、刺して……殺して……それで、それで……」

「そうか」

 六錠扉は手を伸ばし、涙を拭う。そしてその後頭部に持っていくと、ゆっくりと彼女の耳元に自分の口を近付けた。

「よくやった」

「! よくないです! よくないです!!」

 古手川姫子は首を振るう。六錠扉の手も払い除けて、激しく首を横に振った。

「私は約束したのです! 死んだ兄と、誰でも守れる魔術師になるんだって! 誰かを傷付ける全部から、全部を守れるくらいの魔術師になるんだって! なのに、なのに私は今、人をぉぉ……」

「……落ち着け」

「これが落ち着けますか! 私は! 私は人を殺したんですよ! こんなの……こんなの私が目指した魔術師じゃありません! 私なんか! 私なんか!」

「落ち着けって言ってるのが聞こえないのか! バカ!」

 唐突の怒号に体をビクつかせる。まだ痛みの残る体を起こし、六錠扉は見ろと翁を指差した。

 そこには、倒れている翁。しかし彼は本当に倒れているだけであって、気絶しているだけであって、死んではいなかった。血も流れているが、死んではいなかった。

「誰が誰を殺したって? もっと状況をよく見て言え。魔術師が刺された程度で死ぬか、バカ」

「死んで……ない……?」

「あぁそうだ」

「殺して、ない?」

「そうだ」

「……先輩……」

「なんだ」

「……よかったぁぁぁ!!」

 古手川姫子に抱き着かれる。そのまま抱きしめられてワンワン泣かれ、耳元で騒がれた。

 痛みもまだあるしうるさいしで、六錠扉はうんざり顔。だが何も言わなかった。ただ抱き締められ、泣きつかれる。

 だが崩落はまだ続いていて、このままでは二人は閉じ込められる。それでも六錠扉が落ち着いているのは、すぐそこに嫌な奴が来ていることに気付いているからだった。

「邪魔か?」

「うるさい。この状況をなんとかしろ」

「仕方ない」

 二国領土の魔術が発動する。崩落を始めていた地下は静まり返り、崩落は完全に停止した。

「まだ封印の反動でうまく使えんな……しばらくしたらまた崩壊し始める。行くぞ扉。しっかり弟子を抱いておけ」

「うるさい、叩き殺すぞ」

 古手川姫子を連れ、地下室を出る。礼拝堂ではすでに二国領土が呼んでいたのだろう魔術協会の魔術師と二国領土の執事達が、少女が拘束していた敵の集団を拘束していた。

「領土様、礼拝堂にいた全員の身柄は確保しました」

「苦労をかけたな。地下にこの集団の頭目がいる。地下の崩落が落ち着き次第、捕縛しろ」

「先輩、あの子……」

 六錠扉が倒したはずの少女が仲間であるはずの集団を拘束していたことに、古手川姫子は疑問を感じる。六錠扉はその場では答えず、あとで話すと呟いた。

「でも先輩、さっき崩落は治まったんじゃ……」

「領土が全快なら、治まっただろう。だが封印魔術は解けたあともしばらくまともには使えなくする。今の領土には、一時的に止めるのが――?!」

 地震。そう勘違いしてしまうほどの大きな揺れが起こる。

 しかしそれは魔術の振動で、地下から翁が被っている面を半分砕けた状態で地面から飛び出し、礼拝堂の上に降り立った。

「逃さぬ! 第二魔術書も、第六魔術書も! 我が祖国が戦争で勝つために! 必ず手に入れてみせる!」

 暴風を吹かせ、礼拝堂のまえに止まっていた車をなぎ倒す。六錠扉はとっさに結界を張って自身と古手川姫子を守り、二国領土は澄まし顔で耐えた。執事や協会の魔術師達は、いとも簡単に吹き飛ばされる。

 翁はさらに風を吹かせながら、銃弾を放った。古手川姫子を庇い、六錠扉は彼女を抱えて跳ぶ。対して二国領土は魔術で受け止め、灰にして消失させた。

「奴め、冷静さを欠いているな」

「中途半端に倒したのが裏目に出たか」

「そんな……私の、せいで……」

 落ち込む古手川姫子の頭を、六錠扉は再び小突く。そして襲ってくる銃弾を二国領土に任せ、いいかと声が霞む暴風の中で叫んだ。

「おまえの過去に何があったかは知らん! 知ろうとも思わんし聞きもしない! だがなんだか約束か何かがあるんだろう?! おまえの本懐は守ることにあるんだろう?! だったらその本懐を遂げられなかったときに悔やめ! 他は一切気にするな!」

「先輩……」

「おまえが強くなるそのときまで、俺がおまえを守ってやる。だからおまえはその約束を守れ! だから、余計なことを悔やむな」

 古手川姫子は涙を拭う。そして強くはいと頷いた彼女を、六錠扉は一瞬だが撫でた。髪をクシャクシャにされて、ちょっとはにかむ。

「見ていろ、古手川。おまえを守る、魔術殺しの結界魔術フラグマを!」

「はい!」

「領土! 五秒力を貸せ! 文句は言わせん!」

「いいだろう。貸してやる。珍しく、先輩からの要請だ」

 六錠扉が走る。二国領土の魔術によって地面がめくれ、礼拝堂の屋根上まで続く階段ができる。踏めばすぐさま崩れてしまう脆い階段を駆け上り、六錠扉は拳を引いた。

「死ね! 我が祖国の勝利のために!」

「死ぬのは……おまえの魔術だ!」

 銃弾に横顔を切られながらも突進し、跳ぶ。そうして思い切り引いた拳をその顔面に叩き込み、面を完全に砕いて殴り飛ばした。風が止み、翁は屋根を転げ、落下する一歩手前で止まる。

 屋根から降り立った六錠扉は古手川姫子の頭にポンと手を置き、横顔の傷を拭い取った。

「行くぞ」

「……はい!」

 古手川姫子を連れて行く六錠扉の後姿を見て、二国領土は鼻で笑う。頭目の翁の捕縛を命じると、月光に満ちる空を見上げて吐息した。

 ずっと色々あった夜は、もう明けようとしていた。


 

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