第二話 弟子たちの憂鬱(2) ‐ リナリー
「あの、どこに向かっていますの……? ずいぶん深くまで潜ってますけれど」
「リナリーが修行している場所だ」
ネロは木々を掻き分けながら、森の奥まで進んでいく。
「え、こんな朝早くからですの?」
「貴様と違って奴は真面目だからな。ちなみに俺より早く起きているぞ」
「……信じられませんわ」
フロリスが疲労を滲ませながら言う。太い木の根っこに足を取られながら、平然と歩いていくネロについていく。
「おい大丈夫か? このあたりは地面の起状が激しいからな。なれていないとすぐに転んでしまう。ほら、俺の手を握っているといい」
そう言って差し出された手を見て、フロリスは疑いの眼差しを注ぐ。
「……わたくしの手でどんなセクハラを?」
「せんわ! いくら俺とて常日頃からそんなことを考えれているわけではない!」
「ということは、修行のときのあの手つきはわざとだったんですのね?」
ネロがぴたりと動きを止めた。
しかしほどなくして腰に手を当てて高笑いする。
「フ……フゥーハハハハハハハ! この俺に誘導尋問とはやるではないか我が弟子フロリスよ! 褒めてつかわそう!」
「そんなので誤魔化されませんわよ。ですがそうですわね。今回はわたくしも辛いので、お言葉に甘えておきますわ」
「うーむ。そうするがよいぞ」
ネロは重ねられたフロリスの手を軽く握り、ぐいっと引き上げる。
「ですがリナリーはここを一人で進んでいるんですよね?」
「あいつも最初は苦労していたぞ。最近は自分だけの道を見つけているようだから心配はないが、以前は凶暴な魔獣と鉢合わせしそうになってひやひやしたぞ」
ネロは当時を思い出して苦い顔をする。
あのころのリナリーは見ていてほんとうに危なっかしかったのを覚えている。
「……あなたでも心配はするんですのね」
「あん? 俺はいつでも貴様らのことだけを考えているぞ?」
不服そうに眉をしかめたネロ。
「しかし無意識にとはいえ、自分だけの道を見つけるというのはいいことだ。そういうのも後に生きてくるものだ。戦場が常に自分に優位に働いてくれるわけではない。むしろ不利である場合が多い。貴様も早起きができるようになったらここを進んでみるといい」
「……ぜ、善処しますわ」
「それはやらない奴のセリフだ。――さて、見えてきたぞ」
ネロが言った先には大きな湖があった。見事な滝も流れており、打ち付けられた飛沫で幻想的な光景が作り出されていた。
人差し指を立てて静かにしろと言外に告げてくるネロに従って口を閉ざし、大木に身を隠して顔だけを覗かせる。
「リナリーはどこにいますの? とても修行しているようには見えませんけれど」
「待っていろ。……ふむ、もう少しだな」
ネロの見たこともない真剣な表情に、フロリスの気も引き締まる。
今から何が始まるのか。同じ弟子として見ておかなければとじっと見つめる。
そしてほどなくしてリナリーが現れた。――一糸まとわぬ姿で。
「へ?」
「馬鹿者! 静かにしろ気づかれる!」
「むぐっ!?」
ネロの手に口を塞がれ息が詰まる。
じたばたと暴れるが、それさえ一瞬で拘束されてしまった。
「むー! むー!」
「ええい静かにしろ! 貴様のない乳を揉んでもまったく楽しくないのだ! 貴様は尻が魅力的なのだから黙っていろ!」
「むぐー!」
羞恥で頬を染めるフロリスをネロは必死になって黙らせようとする。
しかし己の発言のせいで悪化させてしまったのに気づいていなかった。
「いつ見ても見事な肢体だ。女神に愛されているとしか思えん絶妙な均衡を保った双丘。背中から腰にかけてのラインはまさに神秘的だ。あれの前ではかの救国の王女ですら霞む。ククク、あれを拝めるのも俺だけだろうな! フゥーハハハハハハハ!」
「ぷはぁ! り、リナリー! 覗かれてますわ!」
「ばっ、貴様!」
ネロの拘束が緩んだ瞬間に叫んだフロリスの口封じをしようとするがすでにとき遅し。
こちらに気づいたリナリーが、胸を下腹部を隠し、涙目になって睨んできていた。
ネロの背中に冷や汗が滲んだ。
「や、やあリナリー。今日も素晴らしい快晴だな。こんな日には水浴びをするに限る!」
「こ、こ、この……!」
リナリーの夕焼け色の髪が魔力の奔流で浮かび上がる。
湖の水もそれに呼応するよう、いくつもの水柱を作り上げた。
「変態師匠がぁ!」
悲鳴にも近い絶叫を上げたリナリーに応えるよう水柱が槍となってネロに迫る。
フロリスがネロの腕のなかでじたばたと暴れる。
「ちょ、わたくしまで巻き込まれてしまいますわ! 早く離してくださいまし!」
「――問題ない。魔法を使ったからには俺も全力で対応する」
ネロの言葉を聞いた瞬間、直前まで迫っていた激流の槍が音もなく爆散した。
「え……?」
フロリスが目の前の光景に唖然とした。
ネロは詠唱どころか、身動き一つしていない。にも関わらず魔法で発生させた水槍が弾かれ、水飛沫さえここまで飛んできていなかった。
「まだまだ精度が甘いぞリナリー。いつもの半分の威力も出ていない。よもや羞恥心で魔法の扱いをしくじったなどということはあるまいな?」
「……っ!」
厳かなネロの声音に、リナリーの肩がびくりと震えた。
「悪いが魔法を使うのであれば俺はいっさいの手加減をしない。たとえ格下であろうと、無論弟子であろうとだ」
離れておけ――と、そっとネロはフロリスを開放する。
フロリスは息を飲みながら下がり、事の成り行きを見守る。
「服を着るがいい。いつか服を剥がれた状況で戦う場面が訪れるかもしれんが、俺はな、俺以外に貴様の生まれたままの姿を見せるつもりはない」
「なっ……! わ、私とていつかは結婚する! そうなったら、その相手に――」
「裸を見せるというのか!? 許さん……お父さんは許しません!」
「誰がお父さんだ! お前のような不埒な男が父であってたまるか!」
バカのような会話を交わしている間にリナリーは服を着終えた。
その直後、ネロからふざけた空気が消えた。
「今回はハンデをやろう。俺はここから一歩も動かん。いや、指一つさえ動かさない。その上でフロリスに触れることができれば貴様の勝ちにしよう」
「――ッ、いいのか? そこまで私に有利な条件で」
「阿呆め。これでも足りぬくらいだ」
不遜な態度で告げるネロは過剰な自信から言っているわけではないのは、リナリー自身もよくわかっていた。積み上げてきた実績と実力に基づき、冷静に分析した結果を口にしているだけだろう。
その上で、ネロはさらに続けた。
「フロリス、貴様はリナリーの元に行くがよい」
「え? い、いいんですの? さすがに、それではハンデをつけすぎでは?」
「貴様も阿呆か。俺は貴様に攻撃は加えんが妨害はするのだぞ? いわばこれは、貴様が敗走する場面でいかにして味方の元にたどり着けるかの訓練となる。もちろん、そんなことにならんよう、これから鍛えていくつもりなのだが」
「……わ、わかりましたわ」
フロリスがじりじりと後じさりし、ネロから距離を開けていく。
「ではこの石が地面に落ちてから開始にしよう」
ネロは拾い上げた小石を二人に見せる。
二人の少女は無言で首肯する。
そんな二人を見てネロは小石を真上に放り投げ――猛烈な勢いで地面に埋まった。
「はぁ!?」
「――終わりだ」
リナリーが驚愕している間に、すべては実行されていた。
いつの間にかリナリーは木樹に体を拘束され、フロリスもまた地面から生えた枷に足を縫い付けられていた。
「い、今何を……!? いや、その前に動かないと言ったではないか!」
「ああ。俺はここから一歩たりとも動いてはおらん。魔法だって発動させていない。ただ、魔力を操っただけだ」
淡々と告げるネロに二人は唖然とする。
「あのな、貴様は敵がわざわざ名乗りを上げて戦闘を始めるか? そうだとしたら、そいつはただの間抜けで愚か者だ。生死がかかった場面でそんなくだらんことをしている余裕があるのであれば、いかにして敵を欺き、陥れるかを思考しろ」
「ぐっ……」
リナリーは唇を噛んで悔しそうにする。
「だ、だが魔力を操っただけと言うのはどういうことだ! これは明らかに魔法だろう!?」
「……最初から説明してやらねばわからんか。俺もまだまだ師匠として甘いということか」
ネロは腕を組んで大きくため息を吐き出した。
その態度に自分が馬鹿にされてるように思えて、リナリーは眉間に皺を寄せた。
「仕方がないから最初から説明してやる。まず石のことだが、これは魔力の圧力で地面に叩きつけただけだ。範囲は俺の上空だけに指定してあるから、貴様には何ら影響がなかったはずだ」
次にと、ネロは人差し指を立てる。
「この世にある物体はすべてに魔力が含まれている。形状を維持しているのも魔力だ。貴様も邪神の影響で各地が荒れていたのは知っているだろう? あれは邪神の魔力の影響を受けていたからだ」
「……まさか」
「さすがにここまで言えばわかるか。――そう、俺は有り余る魔力で物体を形成する魔力を強引に変化させただけだ」
そう。ネロがやったのは実に単純なことだったのだ。
「そんなことが……」
「ああ。普通はできん。大賢者ほどの魔力がなければ、せいぜい形を変えるのが関の山だ。さらに言えば、俺ほどの魔力操作ができなければ、ここまでのことは不可能だろうな」
ネロが指を一つ鳴らせば、二人の拘束が解除された。
「俺ほどの魔法使いは世に二人といないが、動かずに同じようなことをする輩はほかに多く存在しているだろう。こんなことでは、名のある魔法使いにさえ勝てんぞ」
「名のある魔法使いには普通は勝てないのでは……」
「フロリス、そんなことでバーミリオン家の再興などできると思うな」
ネロのきつい一言にフロリスが怯えを見せた。
「いいか? 名のある魔法使いはたしかに猛者だ。だが、ただそれだけだ。それだけであるがゆえに、その程度なのだ」
「……何を言ってるんだ?」
「真に恐ろしいのは名の知れていない強者だ。奴らは名前のことなど欠片ほども視野に入れていない。ただただ高みを目指しているのだ。――無論、世界最強の魔法使いたる俺をも食い殺さんとするほどにな。名が知れてしまえば、そこでわずかながらにでも満足を覚えてしまうものなのだ」
「…………」
顔を俯かせて落ち込む二人を見てネロは高笑いする。
「だが心配するな! 貴様らは名を残そうとも決して驕ることはないだろう。何せ近くに俺という最大の壁にして目標があるのだからな! フゥーハハハハハハハ!」
ネロの言葉に、二人がゆっくりと顔を上げた。
フロリスとリナリーは知っているのだ。この男は修行にかこつけてセクハラをするような変態だとしても、決して弟子が浮かれるようなことは言わない。むしろこと魔法に関しては容赦なく突き落としにかかってくる。
そんな世界最強の魔法使いが、心配するなと言うのだ。
これを嬉しく思わないはずがない。
少女たちの頬が自然と緩む。
「――……だからいつか、俺を殺せるほどになってくれ」
「え?」
風に乗ってかき消されたネロの言葉に、フロリスは困惑の声を上げた。
何かの聞き間違いだったのだろうか。そう思ってしまうほどに、現実味のないセリフが彼の口からこぼれた気がした。
「フロリス? どうかしたのか?」
「い、いえ、今この男が……」
「んあ? なんだ貴様。師匠をこの男呼ばわりか? あぁん?」
ネロは顎をしゃくらせ、世界最強の魔法使いの威厳がまったくない表情を向けてくる。
「朝の茶番はこれでしまいだ。せっかくだ。今から修行に入るぞ」
「い、今からですの!?」
「ああん? 何か問題でもあるのか?」
ネロの威圧的な態度に少女たちは体を縮こませる。
今さっきであれだけの実力差を見せつけられ、いつも通りの軽口など返せるはずもない。
フロリスとリナリーは強制的に連行され、厳しい修行の一日を始めることとな
いつか破滅の魔法使い ‐変態の弟子たちはセクハラに耐える‐ しゃも爺 @syamozi_novel
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