第一話 弟子たちの憂鬱(1) ‐ フロリス

 

 ネロ・クロウリーの朝は早い。就寝するのがどれだけ遅かろうと、日が昇るころには起床し、屋敷の前で日光浴するのが彼の日課だった。

 周囲が森で覆われていてほとんど日は差し込まないのだが、日光浴をするためだけに開拓をしてしまうほどである。


「ふうむ。爽やかな朝だ。見に染み込むような暖かな陽射し。世界もこの俺のことを祝福してくれているのだろうな。実にいい気分だ! フゥーハハハハハハハ!」

「朝っぱらからやかましいですわ!」


 屋敷のドアを蹴破り、フロリスが飛び出してきた。頭はボサボサで寝巻きの格好であることから、彼女が寝起きであるのは一目瞭然だった。


「今は何時だと思ってますの!? 普通の人はまだまだ夢のなかですわよ!?」

「この俺をそこらにいる凡夫共と一緒にするな! 世界最強の魔法使いはな、常に自身の体調を万全にし、来るべきときに備えているものなのだ!」

「なんですか来るべきときって。後生ですから静かにしててください。こうも毎朝騒がれてはお肌が荒れてしょうがないですわ」

「なんだ貴様。そんなことを気にしているのか?」


 ネロが何の気なしに言えば、フロリスがカッと目を見開いて大股で近づいてきた。


「そんなこと? そんなことと仰いましたかこの鬼畜外道お師匠さまは」

「どぅあれが鬼畜だ我が弟子よ! たかだか肌程度で騒いでいては、俺のような魔法使いにはなれんぞ!」

「あなたはいいかもしれませんは。結婚などせずにずっと独り身なのですから。ですがわたくしは魔法使いとして歴史に名を残すほどまでに成長し、バーミリオン家を再興しなければなりませんの! そして白馬の王子さまと結婚するのですわ!」

「お、おう。そうなのか。夢は、その……大きいほうがいいな」


 目をキラキラと輝かせて赤裸々に願望を語るフロリスに、ネロは頬を引き攣らせる。

 フロリスがネロの元を訪れたのは、没落した貴族であるバーミリオン家を再興させるためだった。どうやら貴族特有のどろどろした抗争に巻き込まれ、貴族の称号を剥奪されてしまったらしい。

 ここを訪れた当時には驚かされたものだ。身につけている衣服は森のなかの魔獣に襲われてボロボロになっており、息も絶え絶えで、風に吹かれればそれだけで命の灯火が消えてしまいそうだったのに、目だけは強烈な意思を放っていた。

 ほんとうに藁をも縋る気持ちでここに来たのだとひと目でわかった。

 だからこそネロは彼女の弟子入りを認めたのだ。


「しかし貴様は見えていないぞ。白馬の王子さまは、すでに近くにいることをな」

「どこですの!? どこにいますの!?」


 血眼にして周囲を見渡すフロリスを見て、ネロが小さく笑う。


「貴様の目は節穴か? 目の前にいるではないか! この世界最強の魔法使い――否! ネロ・クロウリーがな!」

「はぁ? 寝言は寝てから言ってください。絶対にありえませんわ」


 絶対零度の目で見つめられ、ネロは身をくねらせる。


「よいぞよいぞその視線! 虫けらを見るような眼差し! 実に気持ちがいい!」

「……シャルが出ていった気持ちがよくわかりますわぁ」


 フロリスは二の腕を擦り、ネロから遠ざかる。

 その間にもネロは体をくねらせていた。ほんとうに気持ちが悪い。


「ともあれフロリスよ。肌を気にするのもよいが、早起きするのも力を身につけるのには必要なことだぞ?」

「え?」


 急に真面目な表情になったネロにフロリスは困惑の声を上げた。

 ネロは人差し指を立てて解説を始める。


「一般的には人に潜在的に宿っている魔力は、子供から大人になる間に最大量が決定されると言われているが、あんなものは嘘っぱちだ。それでは最初から才能がある人間が上位に立つ世界になってしまうだろう?」

「それはそうですけど、でしたらどうだと言いますの?」

「いいか? 人の魔力が一番に活性化するのは魔法を使用するときと早朝だ。例外的に深夜になる者もいるが、基本は早朝だ」


 フロリスは黙って耳を傾ける。


「魔法の使用時は当然魔力が活性化するが、その場合は魔力を使用するため、魔力を貯蔵している格部分に変化はない。だが、早朝に日の光を浴びるなどをすれば少しずつではあるが魔力を貯蔵できる最大量が大きくなるのだ」

「ほんとうなんですの……?」

「俺は嘘は言わん。魔法使いの基本は規則正しい生活を心がけることだ。貴様も大賢者と呼ばれる女のことは知っているだろう?」

「サフラ様でしょう? バカにしないでくださいまし」

「うむ。あいつは元々貴様よりも魔力量が低かったのだが、俺の言ったことを素直に実行することで、この俺と並ぶまでの英雄となったのだ」


 フロリスが信じられないとばかりに頭を振った。


「わたくしはサフラ様の演説を何度も聞きましたが、そんなことは一度も言っていませんでしたわ。努力は裏切らないとは言ってましたけど……」

「あいつは典型的な夜型だ。早起きするのが苦手なのだ」

「えー……」


 疑いもないわけではないが、かの賢者――サフラ・サフラントの言う努力が早起きなどと言われて信じられるわけがなかった。というより、自分が憧れている人物がそんなことで強くなったとは思いたくなかった。


「何か勘違いしているようだが、こんなものはただの習慣の問題だ。あいつの努力は今の貴様程度の比ではない。何度も生死の境をさまよい、何度も心臓の鼓動を止めながらも、奴は民を救うために身を削り続けた。だからこそ大賢者の称号を得られたのだ」


 彼女のことを語るネロの表情は、実に慈愛に溢れていた。

 いつものふざけた態度は鳴りを潜め、ほんとうに誇らしげにしている。


「奴はほんとうに綺麗な魂をしていた。世界最強の魔法使いたる俺が認める魔法使いだ」

「…………」


 ちくり――と。フロリスは胸が痛んだのを感じた。

 ネロに何と言われようがどうでもよかったはずなのに、こうやって彼が手放しで誰かを賞賛しているのを見て、どうしようもない不快感を覚えた。


「だが、俺は貴様もサフラに劣らない魔法使いになると確信している」

「え?」


 おもわぬ言葉にフロリスは目を丸くした。


「俺は才能の有無に関わらず、ほんとうに強くなりたい者だけを受け入れる。世界最強の魔法使いの弟子の肩書きだけを欲する奴はお断りだ。無論、俺に従うだけの傀儡もな。その点、フロリス・バーミリオン。貴様は見込みがある。決して才能があるわけではないが、貴様には頂点を目指そうという気概がひしひしと感じられる――ゆえに!」


 ネロは両手を大仰に広げて宣言する。


「貴様はいずれ世界に名を刻む魔法使いになるだろう! フゥーハハハハハハハ!」


 フロリスは胸の奥で熱い感情がこみ上げてくるのを感じた。

 目の前の男はふざけた態度をしているが、事実世界最強に恥じない実力を秘めている。そんな彼に褒められて嬉しくないはずがなかった。


「だからまずは、強くなりたければ早起きすることを心がけることだ。夜の自主連もほどほどにしてな。貴様は胸を小さいことを気にしているようだが、それはそれで実に好ましいのだからな!」

「なっ!?」


 フロリスは顔を真っ赤にして胸を隠すように体を抱いた。


「み、見ていたんですの!?」

「フッ。俺は常に弟子の行動を把握しているのだ。貴様が胸の小ささを気にして、豊胸に勤しんでいることもな!」

「この変態! 乙女の秘密を覗いてたんですのね!?」

「人聞きの悪いことを言うな。俺は堂々と扉の隙間から観察していたのだ!」

「それを覗きっていうんですのよ!」


 せっかく見直したのにこれだ。だから好きになれないのだ。


「まあ、そんなことはさておき」

「さておかないでください! いつから覗いてたんですの!? 言え、言えぇ!」

「最初からだ。見られたくなければ、俺の気配を感じ取れるように精進することだな。それまで俺は貴様のあられもない姿を見続けさせてもらう!」

「ふざけないでくださいまし!」


 フロリスは声を張り上げるが、ネロは高笑いするだけで取り合う様子はない。

 すでに諦めているとはいえ、堂々と覗いていると言われて気にならないわけがない。

 大きくため息を吐き出し、ふと思い出したことを口にする。


「ところでリナリーがどこに行ったかご存知ありませんか? 起きたら姿が見えなくて」

「む? 奴ならとっくに起きているぞ。……そうだ。リナリーの様子を見に行くか」

「どこにいるかわかっていますの?」

「さっきも言っただろう? 弟子の動向は常に把握している。――が、その前に」


 ネロはくるりと外套を翻すと、空中に向かって叫ぶ。


「おい貴様ら! そこにいるんだろう!? 俺の弟子に加護をつけろ! でないと、どうなるかわかっているのだろうな!?」

「あの、師匠? 誰に言って――ひゃ!?」


 不意に身体に変化が起きた。素足が淡い光をまとい、ぽかぽかとした暖かさに包まれる。


「な、何ですのこれ!? わ、わたくしに何をしたんですの!?」

「朝はまだ冷え込む。それに素足のままではこれから行く場所は困難だ。だから炎と土の精霊に一時的に加護を与えてもらったまでだ」

「……え?」


 しばしフロリスの思考が停止した。

 ややあって我に返ったフロリスは、慌ててネロに詰め寄る。


「ど、どういうことですの!? せ、精霊ってあの精霊ですの!?」

「どの精霊のことを言っているのかは知らんが、魔法の根源である精霊のことを言っているのならそれであっているぞ?」


 フロリスは目眩を覚えてたたらを踏む。


「規格外だとは散々思っていましたが、まさか精霊とも面識があるだなんて……」

「別に貴様が思っているほどあれらは崇高なものではないぞ? そもそも詠唱などというまどろっこしい手段も、奴らのご機嫌取りのようなものだからな」

「そんな事実聞きたくありませんでしたわ!」


 ショックを受けたフロリスがさめざめと泣き出した。


「機会があれば貴様たちにも会わせてやろう。外見だけは神秘的だから、間違っても惚れたりなどしないよう――あたっ!?」


 ネロの頭に小石が直撃し、情けない悲鳴を上げた。


「おい貴様! 俺は事実を述べただけだろうがッ!! 俺にこんなことをしてただで済むと――あだだだだ! 石をぶつけるな土の! おいこっちを見ろッ!!」

「もう何がなんだかわかりませんわぁ!」


 ネロに向かって石が雨のように降り注ぐ様子を見て、フロリスが絶叫した。


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