いつか破滅の魔法使い ‐変態の弟子たちはセクハラに耐える‐

しゃも爺

序 章 邪神殺しの大英雄

 

「もう無理! 限界! ここ出て行く!」


 小柄な少女はクリーム色の髪を逆立て、怒りの形相で叫んだ。まだ大人になりきれていない顔はどこか儚げで、しかしそれゆえの気品に溢れている。誰が見ても美人と呼べる顔の下にはおよそ無駄と呼べる筋肉のないスラっとした体躯が伸びている。

 他者を寄せ付けない鋭く尖った眦をさらに吊り上げ、少女――シャルロット・ユリエーラは目の前にいる男を睨みあげた。

 男は腕を組んで瞑目しながら、シャルロットに言葉を返す。


「俺は去る者は追わぬ主義だ。貴様がここを出ていくというのならば、俺はそれを止めることはしない。――しかあああぁぁぁし!」


 カッと目を見開いた男に、シャルロットは肩を震わせて後じさりした。


「貴様は必ず後悔することになるぞ? 何せこの俺、世界最強の魔法使い――ネロ・クロウリーの元を去ってしまうのだからなぁ! フゥーハハハハハハハハ!」


 両手を大仰に広げてネロは高笑いする。

 そんな彼にシャルロットは侮蔑の眼差しを向ける。


「何が世界最強の魔法使いよ! あんたのところで修行したら強くなれるって言うからここにいたのに、あんたがやってるのって、た、ただの、セ……セクハラじゃない!」


 肩をわなわなと震わせて指を突きつけるシャルロットに、ネロは大股で近づく。「ひぁ!」と悲鳴をこぼした彼女が、近づかれたぶんだけ後ろに下がる。


「ノン! ノンノンノン! ぬぁにを言っとるんだ貴様は! 世界最強の魔法使いたる俺が貴様の形も感度もよい胸に興味津々だからわざと触っていたとでも言うつもりか!」

「そのとおりよ! ていうか自覚してるんじゃない! この変態! 変態へんたーい!」

「罵りいただきました! あざーっす!」

「もういやぁ!」


 満面の笑みで腰を直角に曲げたネロにシャルロットは二の腕を摩りながら絶叫した。皮膚の表面には鳥肌が立っている。


「む、無理! 生理的に無理! 今日限りであんたの弟子やめるから!」

「ふん。さっきも言っただろう。俺は去る者は追わん! ――だがしかし!」


 ネロは真っ黒な外套の下から一枚の封筒を取り出し、シャルロットの前に突き出す。


「な、何よ、それ。へ……変なものじゃないでしょうね!?」

「フッ。聞いて喜べ。それがこの俺が直々に筆おろし……おっと、筆を走らせた推薦状だ。それを渡せば、どこであろうと貴様を受け入れるだろう」


 シャルロットはおもわず目を丸くしてネロを見上げた。


「な、なんで……?」

「愚問だな我が弟子よ! いいや、元弟子だったな。貴様の才能をここで枯らすのは惜しいと思っただけだ。――後世まで誇るがいい! この世界最強の魔法使いが、シャルロット・ユリエーラの才能を心底羨ましいと感じたのだからなぁ!」

「あ……」


 シャルロットが一瞬だけ嬉しそうに笑みを浮かべたが、すぐに考えを振り払うように頭を振ってネロを睨みあげた。


「ふ、ふん。今さら何を言ったって無駄なんだからね! バイバイ元お師匠さん!」

「うーむ。俺が恋しくなったら、いつでも戻ってくるがよいぞ」

「だ・れ・が! あんたのことなんて恋しくなるもんですか!」


 シャルロットはべえと舌を出して言い放つと、乱暴にドアを開けて屋敷から出て行ってしまった。力いっぱいに開けられたドアの金具だけがキイキイと軋み、虚しい静寂を部屋に漂わせた。


「行ってしまったか。ククク、奴はのちに後悔することになるだろうな。この俺の元を去ってしまったことを! フゥーハハハハハハハ!」

「何をのんきに高笑いしてるんですかバカ師匠は!」

「げばぁ!?」


 脇腹にもろに衝撃を喰らったネロはごろごろと転がり、壁に強かに衝突した。

 よだれを垂らしてピクピクと痙攣していると、メイドの格好をした一人の少女が馬乗りになって胸ぐらを掴み上げてきた。


「どうしてシャルロットを引き止めなかったんですの!?」

「お、おおお落ち着け我が弟子! め、目が回ってしまうではないか!」

「これが落ち着いていられますかってんですのよ!」


 激しく前後に揺さぶられ後頭部を連続で床に打ち付けられる。

 ネロはそのたびに間抜けな悲鳴をあげ、メイド少女に手を止めるように懇願する。


「今月で何人目だと思ってますの!? 何人がここを出て行ったと思ってますの!?」

「そ、そんな些細なことは、世界最強の魔法使いがは覚えていない!」

「覚えておけぇ!」


 首をきゅうっと絞められ、ネロの顔が真っ青になっていく。少女といえば、涙目になりながら小さく唸っていた。


「四人目ですわ四人目! どうしてあなたは最後の最後までああなんですの!」

「し、仕方なかろう! あれがシャルロットの意志だ! いかに俺とて、奴の決意を踏み躙るようなことはできんのだ!」

「何を無駄にかっこいいこと言ってるんですのよバカ師匠はぁ!」


 絞めつけがさらに強くなり、意識が混濁してきた。

 ネロはやむなりとばかりに反動をつけて身体のバネだけで跳ね起き、少女を天井に放り投げた。ようやく確保できた呼吸に安堵の息を吐き出す。


「まったく。師匠に対して何たる暴力を……あ」


 ネロが間抜けな声をこぼして顔を上に傾ければ、何が起こったかわからず硬直していたメイド少女がゆっくりと落下してきた。急な事態で混乱しているのか、ジタバタとみっともなくもがいている。

 ネロはフッと小さく笑みを漏らし、両手を広げた。


「さあ来い我が弟子よ! 師匠の胸に飛び込んで――ごっ」

「誰が飛び込むものですか!」


 ネロが受け入れ態勢を作ったと見るや目にも止まらぬ早さでバランスを整えると、あろうことか彼の顔を踏み台にして床に着地した。

 もろに靴底で踏みつけられたネロは背中から倒れこむ。


「ああもう! せっかく生贄……いえ、同士ができたと思ったのに!」

「落ち着けフロリス。もう過ぎたことだ」


 物陰から一人の少女が現れた。

 夕焼け色の髪とアメジストの瞳が特徴的な少女だった。しなやかに鍛え上げられた肉体ではあるが、女性的な柔らかさは損なわれておらず、シャルロットにも劣らない美しい容姿をしていた。

 そんな少女は、どこか虚ろな目をして遠くを見つめている。


「なんであなたはそんな簡単に諦めてるんですの!? これから被害を受けるのはわたくしたちなんですのよリナリー!」


 フロリスと呼ばれたメイド少女が、リナリーの肩を掴んで前後に揺さぶる。

 成すがままにされる彼女は、誰が見ても諦めに境地に達していた。


「……無駄な力の浪費はしないほうがいい。今日から私たちはまた二人なんだから」

「いやですわ! そんなこと考えたくありませんわ!」


 フロリスは頭を抱えてその場に蹲る。

 そのときだった。二人の少女の背後で、ゆらりと大きな影が起き上がった。


「貴様ら……どうやら仕置が必要なようだな」


 ネロだ。指をコキコキと鳴らし、恐怖を煽るようにゆっくりと少女たちに近づいていく。


「ま、待ってくれ師匠。私は、な、何もしていない。仕置ならフロリスだけにするべきだと私は思う」

「ちょ、わたくしを見捨てるつもりですの!?」


 まさかの裏切りにフロリスが絶叫した。

 ギギギ――と金具の壊れたドアのように軋む音が聞こえそうな動作で、フロリスはおそるおそるネロを見上げる。


「なーにを言っとるんだ貴様は。連帯責任に決まっているだろうがッ!!」

「フロリス貴様ああああぁぁぁッ!!」

「ひぃぃぃ! わ、わたくしのせいにしないでくださいまし!」


 怒りの形相で咆哮したリナリーにフロリスが涙目で悲鳴をあげた。

 そうしている間にもネロの魔の手が少女たちに迫る。


「さあ覚悟するがいい。貴様らに――快楽という名の地獄を見せてやる!」


 いやらしく指をくねらせたネロを見てフロリスは脱兎のごとく逃げ出し、リナリーは顔面を蒼白にしてその場にへたりこんだ。。


「逃げるが勝ちで――ひゃあ!」

「や、やめ、私は無実――ふあっ」


 ネロの指が少女たちの敏感な場所を撫でる。二人の口から艶めかしい吐息がこぼれ、瞬く間に女の顔、、、にさせられた。


「世界最強の魔法使いの指テクで昇天してしまうがいい! フゥーハハハハハハハ!」


 ネロの高笑いと共に、二人の少女の嬌声が響き渡るのであった。


        ✽     ✽     ✽


 噂によれば、ある森の奥深くには一つの屋敷が立っているらしい。

 そこには邪神による世界の危機を救った大英雄が住んでおり、自分が到達した魔法の極地を弟子たちに伝授しているのだとか。

 その噂を嗅ぎつけ、多くの魔法使いが彼の元を訪ねたが、しかしその悉くが追い返されたらしい。


 曰く、見目麗しい少女のみを弟子として迎え入れるとのこと。

 曰く、選ばれた魔法使いのみが受け入れられるとのこと。

 曰く、自身の後継者を探しているとのこと。


 彼の名前はネロ・クロウリー。

 正真正銘、世界最強の魔法使いである。


 


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