第12話 5年前から…
*
あの時から、わたしの時間も佐野といっしょに止まっていたのだ。
海を見下ろす崖の上。
そこから、クラスメイトを突き落としてしまったこと。
わたしはその日、恐怖と自責の念に押しつぶされ、夜明けとともに首を吊った。
そして気がつくと、醜い死に顔をさらしている自分の姿が目の前にあった。
わたしは嘆き悲しむ両親と自分の葬式とを、まるで無感動にただ眺めていた。
どうして自分が死んでなお、この世界にとどまっているのか。けれど、考える気力も何もなかった。
葬式には、クラスメイトたちも大勢参列していた。
誰もが、皆、悲しそうな顔をしている。その表情が、本心から出たものか、偽りのものなのか、わたしには分からない。
でも、もうどうでもいいことだった。
ただ、葬式が終わり、がらんとした部屋で、お母さんが一人で涙を流しているのを見るのは痛ましかった。
その姿を見て、初めて気づく。
新しいお母さんやお父さんが、わたしに無関心だったのではない。
わたしが、二人を受け入れようとしなかっただけなのだ。
悲しむ両親を見るに耐えず、わたしは家を離れてあちこちを彷徨った。
そして、あの現場にいて、わたしを助けようとしてくれた佐野冬馬を見つけた。
彼には、感謝の念よりも恨みや恐怖を覚えることの方が大きかった。
わたしが、あの時、クラスメイトを突き落としたことを誰かに言ってしまうのではないか。それが気になって、終始、彼の近くにいて観察するようになった。
けれど、彼は誰にも何も語らなかった。
あの事件についてだけではなく、彼は誰ともほとんど話をしなくなり、それこそまるで幽霊のように教室の片隅で、ひっそりと生きていくようになった。
それまでの佐野は、のん気だけど穏やかで、明朗な人物だったように記憶している。それがまるで、心のどこかが壊れてしまったかのように変わってしまった。
彼が、あの事件に関わって、大きく後悔しているのは、幼いわたしにもよく分かった。
ただ、わたしにはどうすることもできなかった。わたしがいくら話しかけても、彼の耳には届かないようだった。
もう、佐野を恨んだりしてないことを伝えようにも、わたしには何のすべもないのだった。
わたしはそれから何年も、佐野といっしょに暮らしてきた。
佐野が、わたしの罪を誰かに言うつもりがないことが分かっても、どういうわけか、彼の近くから離れたくなかった。
一人で生きていく彼の背中を、見守り続けた。いつしか、佐野の表情から、彼の考えていることなら何でも分かるくらいになっていた。
そして、高校生になった佐野とともに学校へ行き、柚木明里と麻生晴香の二人に会った。
わたしも佐野と同様、彼女たちが幽霊であることに少しも気づかなかった。
滑稽な話だった。
自分も幽霊だというのに、生きている人間と死んでいる人間の区別もつかないなんて……。
わたしは、最初、彼女たち二人のことが、あまり気に入らなかった。
佐野があんなに嫌がっているのに、図々しくも近寄ってこようとする。
だが、思えば、わたしも麻生が手紙に書いていたように、彼女たちに嫉妬していたのかもしれない。佐野に対し、まったく自分の気持ちが伝えられないことが、悔しくて仕方がなかったのだろうと思う。
麻生晴香と柚木明里の二人は、わたしと藤森千佳の関係に非常によく似ていた。幼なじみの一方が心臓を患っていたり、相手を思いやる気持ちがアダになってケンカしたり……。だから、教室のあの席を通して、わたしたちは空間を共有できたのだろう。
わたしと千佳ちゃんの関係は五年前で止まってしまった。
彼女たちは、その五年後の姿を、わたしに見せてくれた。
だから、彼女たちが幽霊だと知った時、わたしはたまらなく悲しかった。
ただ、今回のことで、わたしは少し安心もしていた。
佐野は、これから変わっていけるだろう。
少しずつ、わたしやあの事件について整理をつけ、彼自身の未来について考えていくようになるだろう。
そのためにも、もうこれ以上、わたしがここにいてはいけないのだ。
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