第12話

「ところで、ひとつ聞きたいことがあるのじゃが——」

「なんですか?」

「タカナシさんといったね。きみはどうして女の子なのに女性のむねさわりたいんだい?」

 タカナシさんはだまりました。なんと言えばよいかわからなかったからです。

「女の子が胸を触りたくちゃいけませんか?」

 タカナシさんはたずねました。

「いけなくはないよ」おじいさんは言いました。「いけなくはないけれど、女の子がどうして触りたいのかふしぎに思ったんじゃよ。きみはレズビアンなのかね?」

「ちがいます」とタカナシさんは答えました。「ぼくはレズビアンなわけじゃありません。ヘテロセクシャルなボクっです。性的せいてきには男の子が好きです。そういうステロタイプな考えで物事ものごとをとらえるのは正しくないと思います。ぼくは単におっぱいを触りたいだけです。きわめてシンプルに、実務的じつむてきに」

「ふむ」おじいさんは小さくうなりました。「それではどうだろう? いっそのこと自分の胸を触ってみては。それですべては解決かいけつするのではないか?」

 タカナシさんは口をとんがらせました。納得なっとくできなかったからです。

「えー、そんなのって、ちょっとばかみたいじゃないですか。自分で自分の乳房ちぶさを触るなんて。なんだかマスターベーションしてるみたいに見えそうだし」

「それならばどうだろう? 横にいる彼に触ってもらえばいいじゃないか」

 タカナシさんはとなりにすわっているイイヤマくんを見ました。すると、二人のやり取りを聞いていたイイヤマくんはほほを赤らめてそっぽをきました。

「やだなあ、おじいさん。どうしてぼくがイイヤマくんに胸を触られなくちゃならないのさ。そんなのってへんだよ。おかしいよ。なんだかはずかしいもの……」

「おかしいことないさ」

 おじいさんは言いました。

「きみは女の子で、そっちの彼は男の子だ。男の子が女の子の胸を触る、これは少しもおかしなことではない。どうだろう? ここはひとつだまされたと思って、彼に胸をんでもらってみなさいな」

「でも、ぼくは胸を触りたいのであって、触られたいわけじゃないのよ?」

 タカナシさんは反論はんろんしました。

「ふむ」おじいさんはうなずきました。「それはよくわかっているよ。でもね、触りたいのであればこそ、むしろ触らせないといけないのだよ。すぐにはわからないかもしれないが、人間社会にんげんしゃかいというのはそういうふうにできているのだ。ほしいものがあるときは、まずそれをだれかにあたえないといけない。そうすれば、まわり回って自分のところにも返ってくるんじゃ。これを贈与ぞうよ返礼へんれいという。贈与と返礼こそが人間社会をたせているのじゃよ」


 タカナシさんは考えこみました。おじいさんの言っていることはあまりわからなかったし、イイヤマくんに胸を触られるのもあまり気がすすまなかったからです。けれども、おじいさんの話し方がとてもやさしそうだったので、それはただしいことのように思えました。タカナシさんはそうすることに決めました。

「ううん、おじいさんがそんなに言うんなら、ぼく、触らしてもいいよ。でも、イイヤマくんがいやがると思うなあ」

 おじいさんはイイヤマくんの方を向きました。

「イイヤマくんと言ったね。きみは彼女の胸を触るのはいやかい?」

「えっ? いや……その……」きゅうにたずねられたイイヤマくんはしどろもどろです。

「ほうらね。イイヤマくんはロリコンだから、小さな胸しかさわりたくないんだよ。ぼくの胸はそんなに大きくないけれど、それでもBカップはあるもの。イイヤマくんはきっとAAカップとかしかだめなんだよ」

 タカナシさんは少しだけふてくされたようにそう言いました。

「ほんとうにそうかね?」おじいさんはもういちどたずねました。「イイヤマくん、きみもほんとうはどんな胸でもいいからさわりたいのではないのかね? でもだれも触らしてくれないものだから、自分はロリコンなんだと言い聞かせてあきらめていただけではないのかね?」

「うう……」イイヤマくんは頭をかかえました。


 それから……。


「うわーん」

 イイヤマくんはしくしくと泣き出しました。

「そうだよう。ほんとうは触りたいんだよう。とってもとっても触りたいんだよう。ボクはロリコンの気はあるけれど、真性しんせいのロリコンじゃないんだよう。貧乳ひんにゅう好きってわけじゃないんだよう。わーん」

「ふむ。イソップの〝すっぱいぶどう〟状態じょうたいじゃったんじゃな」とおじいさん。

「どういうこと?」タカナシさんはたずねました。

「うむ。きつねが木の上になっているぶどうを見つけて、なんとかろうとするんじゃが、どうしても獲れない。そのうちに『あんなぶどうはすっぱいに決まってる』と言ってる。そういうお話じゃ。心理学しんりがくで言うところの防衛機制ぼうえいきせい合理化ごうりかじゃ。ほしいものが手に入らないのであきらめるときに、もっともらしい言い訳を考えることじゃよ」

「へえ。でもどうしてそんなことをするの?」

「心をまもるためじゃ。ほしいのに手に入らない現実げんじつけとめるのはつらいからね」

「ふうん。なんだかたいへんだねえ」

 タカナシさんはそう言うと、となりでめそめそしているイイヤマくんの頭をでました。

「泣くことないよ、イイヤマくん。あとでぼくがちゃんと触らしてあげるからね」

「……ほんとうに、いいのかい?」イイヤマくんははなをすすりながらたずねました。

「ぼくだってはずかしいけれど、イイヤマくんがロリコンじゃないとわかったら、きみのちくもいくらか低下ていかしたからね。ごみ虫みたいな人間だと思っていたけれど、アメンボくらいのみとめるのにやぶさかではない」

「なんだい、それ? ひどい言いぐさだあ」

 二人はこえをあげてわらいました。おじいさんもにこにこと笑いました。

「どうやらこれで一件落着いっけんらくちゃくのようじゃな」

「うん。おじいさん、いろいろとどうもありがとう」タカナシさんは快活かいかつにお礼を言いました。「ほら、イイヤマくん、きみもちゃんとお礼を言うんだよ」

 イイヤマくんはもじもじしていましたが、小さな声でお礼を言いました。

「あの、どうもありがとうございました」

 おじいさんはにこりとほほえむだけでなにも言いませんでした。

 空はとても気持きもちよくれています。もうすぐ日もれて、空はゆうけ色にまることでしょう。きっとそのころには、イイヤマくんは不慣ふなれな手つきでタカナシさんの乳房をんでいるにちがいありません。でも、それはもう少しあとのお話です。

 このようにして少年しょうねん少女しょうじょ出会であったのでした。


 おしまい。

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