面白い話をしてみる
夏美さんに僕の話をするように言われた次の日、僕は授業そっちのけで、いろんな面白い話を考えていた。ただ僕の事を話したって面白くはならないだろうし、笑ってもらえなきゃ意味がない。
黒板を写すフリをして、僕が見た面白い話を思い出しつつ書いていく。父さんが剣道の試合で失敗した話とか、剣道部の先輩がカッコ悪かった話とか。それに友達がしてくれた話も書いてみる。
三限目の終わりくらいにに見直してみると、結構いっぱい書きだせていた。それを見なおしてみると、ちょっと面白い。だから上手く話せば、夏美さんも笑ってくれるかもしれない。
一生懸命書いていた夏美さん攻略ノートを確認してたら、友達が覗きこんできた。
「なにそれ? なんかの課題?」
「ちょっと昔のことを思い出して、書いてみたんだよ」
「なんかまた変わった事してんなー。ちっと見ていい?」
「いいけど、笑わないでよ?」
一応、前置きを入れたのは、その方が笑えるんじゃないかと思ったから。
結果は成功。
友達は結構笑ってくれた。まぁ大爆笑って感じでもないけど、僕が人を笑わせようとしたのは初めてだから、上出来だと思う。
「お前これ、先輩たちに見られんなよ? 怒られるぜ?」
「見せたりしないよ。話すんだ」
「へぇ……って、誰に?」
「ひみつ。というか、言っても仕方ないかな。君は知らないし」
「ふぅん……まぁいいけどさ。今日は部活、こねぇの?」
「行かない。それに毎日言わないでよ。僕のことは放っておいて」
友達は小さくため息をついた。
「ま、いいけどさ。先輩はともかく、意外と先生、気にしてるっぽいぜ?」
「それこそ、面白いから放っておきなよ」
「面白いっていうより、迷惑。毎回俺が聞かれるんだぜ?」
「じゃあ僕の気持も分かるでしょ?」
友達は僕の肩を軽く小突いて、笑ってた。なんでもいいさ。今日は怒鳴ったりしなくてすんだんだ。仮に笑われていたとしても、今日は僕が笑わせようとして、笑ってくれただけ。別に腹が立ったりもしない。
そのあと僕は、学校が終わるまでノートに書きだした事を、暗記していた。公園に向かうまでに、一個か二個は、上手く話せるようにしたかったし。授業中にそんなことをしていたから、さされそうになって、何度か慌てた。でもそのおかげもあって、友達が笑ってくれた先輩の話だけは、なんとか暗記できた。
もちろん公園までの道の間も、別の話を覚えようと、ノートを見ながら歩く。夏休みに近づきはじめて、どんどん暑くなる道。汗が伝うのとか、街の人が僕をちらちら見てくるのが気にはなったけど、それでも頑張った。だから僕は、準備万端のつもりで、夏美さんの所に行った。
でも、結果は大失敗だった。
夏美さんはジト目を僕に向けてきて、右手で一を作って、左手で丸を作った。
一〇点。
下を向くしかなかった。あれだけ頑張って覚えたのに。
何が悪かったんだろう。やっぱり面白くしようと、ちょっと大げさに言ったのが良くなかったんだろうか。それとも、話の好みが合わなかったのかな。
僕はもう一つ覚えておいた、先生の失敗の話をした。
夏美さんは、ため息をつきながら左手を僕に突き出して、広げて見せた。
「……五点?」
ゆっくりとした頷き。もうやだ。
あれだけ頑張ったのに、もっと下がった。愚痴っぽくならないように、出来るだけ明るくなるように話した。それに内容だって、先輩の話のときとちがって、大げさには言わないように気を付けた。なのに、点数はさらに半分だ。
トントン肩を叩いてくる。
目を向けると、夏美さんは僕に指先を向けて、続けて空を指さした。
意味が分からない。
「えっと、空の話ですか?」
夏美さんは首を横に振って、僕を指さし、空を指さす。
「上?」
宙をつまむ。惜しいらしい。僕と、上。
「先輩の話をするな、ってことですか?」
夏美さんは唸るように首を傾げて、違うと示した。つまり、先生の話もするなっていうことなのかな。でも他にノートに書いたのは友達の失敗談で、あんまり友達のことは悪く言いたくない。悪く……あ。
「先輩とか、先生の悪口を言うなってことですか?」
満足そうに笑った夏美さんは、僕の頭を撫ででくれた。あってたみたい。
でも、そういうつもりで話したんじゃない。
「あの、さっきのは悪口じゃなくって――」
口を押さえられたから、続きは言えなかった。僕は夏美さんがどういう話を聞きたいのか、さっぱり分からくなってしまった。
僕なりに面白い話をしたつもりが、夏美さんには悪口に聞こえる。それじゃ僕が話せる面白い話は、ほとんど全部悪口ってことだ。あとほかにノートに書いておいたのは……そうだ。ノート。
僕は通学カバンからノートとシャーペンを取り出し、夏美さんに差し出した。
「あの、筆談で、どんな話をしてほしいのか、書いてくれますか?」
ほとんど降参状態で、そうすることしか思いつかなかった。
でも夏美さんは、手で大きく
「筆談はダメなんですか?」
うんうん頷く夏美さん。
「なんでですか? その方が楽だと思うんですけど……」
夏美さんは目を細めて腕を組み、にんまり笑った。そのあと背もたれに寄り掛かり、足をおじさんっぽく組んで、腕まで背もたれに乗せる。何のポーズなんだろう。
「おじさん?」
素早く飛び起きた夏美さんは、慌てたように手を顔の前で左右に振った。これは違う違うってこと。また腕組みをした夏美さんは、うんうん唸り、片肘をつこうとして、ずっこけた。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて起こそうとしたら、夏美さんはすぐに自分で起き上がり、こっちにすり寄ってきた。さっきと同じように片肘をつこうとして、なんでか僕の肩に腕を置いた。そして、ゆっくり息を吐いて、おじさんみたいに足を組む。
ちょっと重いかな、なんて思ったときには、夏美さんはいつもと同じように、座り直してる。つまり、これはジェスチャーで、さっきの僕の質問の答え。
「
夏美さんはおーって感じで拍手した。分かりにくいなぁ、もう。
「でも、楽って、何がですか?」
夏美さんはゆっくり首を横に振る。違うらしい。
また僕にすり寄ってきて、肩に腕を乗せて、楽、のポーズ。でも今度は、すぐに両手で×を作った。
「楽しちゃダメ?」
夏美さんは抱きついてきて、僕は頭をくしゃくしゃにされた。多分これはあってるってことだし、褒めてるのかな。ちょっと暑いし、何回されても恥ずかしい。
突然腕に力が入って、ぐいっと頭が引き寄せられる。ぎゅっとくっつかれると、なんだか変な気分。目の前には、細い腕に巻かれた赤い小さな腕時計。時計を見せたいのかな。
手の力が緩んで抱き起こされた。夏美さんはバッグから櫛を取り出して、僕の髪の毛を整え始める。なにがしたいのか、まったく分からない。
満足したのか、いつもみたいに頷いて、時計の盤面を指さし、ごめんねの仕草。
「あ、夏美さん、このあと、用があるんですか?」
なぜか笑顔で僕の頬をつまんだ夏美さんは、ニコニコしながら立ちあがる。そして、僕に向かって手を振った。
「あ、えっと、さようなら」
不満そうに×を作る夏美さん。これは多分、言い方が違うってこと。
「また、明日」
麦わら帽子をかぶり直して、夏美さんは笑顔で丸を作って歩いていった。
一人公園に取り残される僕。結局、いろいろ考えなきゃいけないことが増えたらしい。まずノートで筆談するのはダメ。それに、面白い話も考えないと。これが一番の難題。
どうしよう。
家に帰った僕は、ため息ばかりついていた。帰ってくるまでずっと考えていたけど、面白い話なんて全く思いつかない。
どうしたらいいんだろう。夏美さんにされたみたいに、髪の毛をくしゃくしゃにしてみたりする。もちろんアイデアなんて、出てきやしない。
唸ったところでどうしようもないし、僕の口からはため息しかでてこない。
「何か悩みごと?」
「え!?」
驚いて振り向くと、母さんが夏美さんみたいに腰に手を当てて立っていた。
失敗した。なんで居間なんかで、悩んでいたんだだろうか。せめて自分の部屋で頭を抱えていれば、母さんにする言い訳なんか、考えなくても済んだのに。
僕はやっぱり、ため息をついてしまう。
「女の子でしょ」
「は!? なんで!?」
びっくりした。なんで分かるの。思わず口から疑問が出てた。
母さんは右手で肩を揉みながら、こっちに近づいて来た。
「分かるわよ」
だからなんでと言おうとしたら、それより早く、母さんは僕のシャツをつまんだ。
「宏樹のシャツ、洗ってるのは誰?」
「え、そりゃ母さんだけど、なんで」
「香水の匂い」
「ぼ、ぼくだって香水くらい」
「母さんは何でも知ってるものよ」
「でもそんな、女の子ってわけじゃ……」
「今日はデートに失敗ってとこでしょ?」
「で、デートじゃないし! 僕は部活だよ!」
「行ってないことくらい、分かるわよ。最近はいつもまぁまぁって言うけど、部活に行ってたときは、愚痴ばっかりだったもの」
「い、行ってるよ! 調子なんか言わなくても」
「それにシャツ」
「またシャツ!? シャツでなんで分かるの!?」
「部活に行ってたときは、もっと汗臭かったから」
今度は何て言い返せばいいのかも分からなかった。でも、母さんが事情を知っているってことは、いずれ父さんにも言うってことだ。それは、ちょっと困る。
「あの、父さんには」
「言わないわよ。心配するわよ、きっと」
なんで心配なのか分からない。それに父さんが僕を心配するとは到底思えないんだけど。でもまぁ、信じるしかないんだろうし。
母さんは隣の椅子に座って、僕の顔を覗き込むように身を乗り出した。
「それで、どんな失敗したの?」
「だから、デートじゃ……」
「じゃあ何してたの?」
「公園で、ちょっと話してただけだよ」
「部活行かずに公園でずっと話してたって、それデートじゃない」
「だから、夏美さんは違くて」
「夏美さん! 年上!? いいなぁ、青春だなぁ。大人になってくのねぇ」
うっかり名前を言っちゃった僕もバカだと思うけど、頭を撫でるのは止めてほしい。夏美さんもそうだけど、なんでみんな僕の頭を撫でようとするんだろう。
「私も昔は、お父さんとよく喧嘩したのよねぇ」
「だから、喧嘩したわけじゃないってば」
抗議も虚しく、母さんは遥か遠くを見つめるような目をして、ひたすら父さんの話をしていた。正直、あんまり聞きたくない。だけど無視したりしたら、もっと面倒なことになりそう。
レストランでの喧嘩の話を聞き流してたら、突然母さんは僕の方に目を向けた。
「あなたも覚えておくのよ? 無理していつもと違う事をするから、変なことになるの。いつも通りでいいのよ」
「いつも通り?」
「そう。いつも通り。宏樹は私に似て可愛いから、それで十分なの」
「可愛いって言われても全然嬉しくないよ……」
反論は失敗だった。再開した父さんとの話を、うんざりするほど聞かなきゃいけなくなったから。
でもベッドに入ったときに、いつも通りって言うのが、すごく頭に残ってた。もしかしたら、夏美さんは、僕のなんでもない話が、聞きたかったのかもしれない。
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