つついてみる。

 次の日も部活のことが母さんにバレないように、竹刀袋を持って家を出た。

 学校では、同じ部活の友達に、余計な心配をされてしまった。


「お前さ、そんなん持って来てんだから、ちゃんと出ろって」

「別にいいよ。そのために持ってきてるわけじゃないし」

「先輩なんか気にすんなって。どうせあと半年でいなくなるんだしさ」

「先輩なんか、なんて言ってたら、僕みたいにやられるよ」

「俺も一緒にいってやるからさ」

「ほっといてよ!」


 そうするつもりは無かったけど、声は大きくなってた。ちょっと失敗したと思う。

 クラスのみんなはこっちを見て笑っているし、コソコソと何かを喋ってる。きっと僕のことをバカにして、陰口を話してるんだろう。


 なぜか僕は、そのことを夏美さんに話してた。笑える話をしなきゃいけないはずなのに、なんで僕は、愚痴みたいな話を、してるんだろう。

 当然、夏美さんは難しい顔をして、唸ってる。

 話してる時には全然気にならなかったのに、今は外の空気より身体の方が熱いくらい。正直、泣きたくなるくらい恥ずかしかった。


 肩を叩かれ夏美さんを見ると、右手はピースサインをして、左手は丸を作ってる。

「二〇点?」

 夏美さんは頷いた。

「それ、何点満点なんですか?」

 両手でそれぞれ丸を作ってみせて、右の小指を一本立ててる。


 多分、一〇〇点満点って意味なんだと思う。無理して小指を立ててるようで、なんだかプルプル震えてる。

 ちょっと意地悪したくなって、悩んでるフリをしてみた。

 夏美さんの小指の震えは激しくなって、顔にもちょっと力が入ってきた。

 変なことに頑張ってるのが面白くて、うんうん唸ってみせて、待ってみる。

 

 でも、限界が近いらしい。目まで瞑って頑張ってるけど、小指が曲がり始めてる。

 僕の方が先に耐えきれなくって、笑ってしまった。

 夏美さんはじっと目を細めて、左手指を揃えてチョップの体勢。


「まって、まって! ごめんなさい!」


 叩かないでいてくれたけど、不満そう。頬がちょっと膨らんでる。僕よりずっと大人に見えるのに、なんだか子供っぽい。

 また笑いそうになってしまって、とうとう夏美さんはチョップしてきた。でも、今度は当たらなかったし、すごく軽くて、ゆっくりしてた。

 僕はその手を両手で挟んだ。


「無刀取り!」


 言ってみただけ。

 夏美さんはしばらくこらえて、吹き出し笑った。声が出ないように口を押さえて、ほんとうにおかしそうに、笑ってた。


 でも、声は出ない。これくらい笑ってくれるような話を、もっとしたかった。だけど、僕は何を話せばいいのか、分からなかった。

 だから、ただ夏美さんを見ているしかなかった。

 夏美さんは僕が困っているのに気付いたみたいで、こちらを指さし、仕草を始めた。僕の、話。


「ごめんなさい。何を話していいのか、分からなくって」


 夏美さんは困ったときにする、唸るような仕草を始める。今度は長くは悩まなかったみたいで、すぐに僕の通学カバンを指さした。


「えーっと、鞄の中身ですか?」


 どうも違ったみたいで首を横に振り、また唸る。次に僕の頭から足までじっと眺めて、シャツの胸ポケットを指さした。


「ポケット?」

 首を振った夏美さんは、つついてきた。

「え? なに? なんですか?」


 いきなりつつかれて、びっくりした僕は、思わず身を引いていた。ちょっとくすぐったかったし。

 そしたら夏美さんは、今度は両手の人差し指で何度もつついて来た。ニコニコしながら、あっちこっちを、ツンツンしてくる。


「えっ、なんですか? 夏美さん、やめっ。あ、ちょ、ちょっと、あ……」


 ひたすら色んなところを突っつかれて、しまいにはくすぐってきた。僕はずっと笑ったりドキドキしたり、ちょっと痛かったり。

 この暑い中で子供みたいにじゃれてきて、夏美さんも汗をかいていた。息が切れるほど笑わせられた僕の方が、ヒドい汗だったけど。


「仲がいいねぇ」


 隣のベンチに座ってたお婆ちゃんにそう言われて、さらに暑くなった。ずっと見られていたのかと思うと、顔も身体も熱くて、恥ずかしい。

 夏美さんの視線。目が笑ってる。また何かしてくる気だ。

 僕は夏美さんを警戒しながら、自分の身体を抱えて守った、つもりだった。


「うわ!」


 夏美さんはガラ空きだった僕の脇腹を、つっついてきた。今度は驚いている暇もなくて、すぐに腕が首にまきついてきて、僕の頭に頬ずり。なんでさ。

 ぐりぐり、ぐりぐり。なんで頬ずりなのか分からないし、暑いし、柔らかい。ちょっと、頭をくしゃくしゃにするのだけは、止めてほしい。


「夏美さん、ちょっと暑いし、恥ずかしいです……」


 声まで上手く出なくなっているのに対して、夏美さんは嬉しそう。なんでか、さっきより力が強くなってる。ちょっと困る。

 恥ずかしいから胸がドキドキしてるのか、ドキドキしてるから恥ずかしいのか分からない。というか、さっきから、胸が。


「な、夏美さん。あの……む、胸が」


 そう抗議しながら顔をあげると、夏美さんはジト目をしてた。自分からくっついてきたのに。パッと離れた夏美さんは昨日と同じように胸を隠して、目をもっと細くした。でも、昨日と違うのは僕にも分かる。だからもう、慌てたりしない。


「からかってますよね?」

 夏美さんは大げさに腕を振った。ちって舌打ち、って感じかな。

「あの、声が出なくても舌打ちは出来ますよね?」


 僕の指摘に、夏美さんは目を逸らす。あやしい。ほんとに、声、出せないのかな。

 麦わら帽子のつばを触って口笛を吹く真似までしてる。音は全く出ていない。そして、いまはこっちを見ていない。


 それなら僕は、さっきのお返しをするべきだと思う。狙うはさっき僕もつつかれた、わき腹だ。

 えいっと。柔らかい。


 きゅっと身をよじった夏美さんは、あの細いジトっとした目を向けてきた。でも先にやってきたのは夏美さんだし、僕はめげたりしない。


 えいえいっと、あっちこっちを、つっついてみる。夏美さんは想像よりずっとかわすのがうまくて、なかなか指が届かない。

 そんなことをしていると、今度は夏美さんも、つつき返そうとしてきた。でも僕は、さっきやられていたから、その分だけ慣れている。

 指をかわして、お返しにつつく。ヒット。


 夏美さんはピクっと肩をすくめて、身を引いた。くすぐるのは良いけど、くすぐられるのは弱いみたい。僕は攻撃の手を速めていった。

 つっついて、つつかれる。

 なんだか楽しくなってきたけど、夏美さんの方が手が長いから、ちょっと不利だ。

 それなら、と、指を伸ばしてくるタイミングに合わせて、身を乗り出した。


 そして、つつく、と見せかけてくすぐった。あれ?

「……ぁ!  ……」

 くすぐると同時に大きな音ともに夏美さんは身を逸らし、そのまま後ろにずっこけた。っていうか、

「いま、声出ませんでした!?」


 身体を起こした夏美さんは、胸を押さえて唇を噛むようにして僕を見た。

 胸? あれ、僕はお腹をくすぐろうとしたはずで、それじゃさっきの感触は。

 痛い!

 いきなりチョップされた。ひどい。睨んでる。絶対怒ってる。理由は、分かる。でもそんなことより、いまさっき聞こえたのが声だったのかが知りたい。


「あの、さっき、声を」


 夏美さんは左手をチョップの形にして、さっきの質問には答えてくれなそう。でもその目は、ほんとに怒っているのかちょっと分からない。叩いてこないし。

 答えたくないのか、答える気が無いのかな。

 もしかして声を出せないっていうのも僕をからかうための嘘で、本当はいつでもいくらでも喋れるんじゃ。でも、それならなんで、からかうんだろう。


 ……好きだからとか?


 僕は自分が思い浮かべた答えに、恥ずかしくなった。同時に僕はさっき触った感触を思い出してしまって、一気に身体が熱くなった。これは絶対、夏の日差しのせいじゃない。

 頭に感触。くしゃくしゃされてる。止めてっていってるのに、全然止めてくれない。やっぱりつついたのを、怒ってるのかな。


 仕方なく僕は俯いて、好きなように撫でさせてあげる。その間は、汗で張り付いたシャツを見てればいい。

 さっき夏美さんがつんつんしてきた胸ポケット。それに翼を広げた鶏みたいな校章。鶏は飛べないのに、なんで翼を広げてるんだろう。って、そういうことか。


「あの、さっきの、校章を指さしてたんですか」


 急に振り返ったからか、目を丸くしてる。すぐに夏美さんは人差し指を顎に当てて、空を見上げて自信なさげに頷いた。 

 夏美さんはちょっと変わった人だし、あんまり深く考えてなかったのかも。


 僕が納得しそうになったところで、夏美さんは両手を打った。ポンって感じ。

 僕を指さし、次に校章を指さし、最後に口の前で手を握って開く。

 僕が、校章、話す。違うな。


「僕が学校の事を話せばいいんですか?」

 またちょっと考えて、頷く。どうもそれでいいみたい。

「でも、僕の学校の話を聞いて、夏美さんは面白いんですか?」

 首を傾げて肩をすくめて、さぁって感じ。

「……まぁ、いいですけど」

 夏美さんは満足そうに頷いていた。

「ええっと、それじゃあ、まず、僕の通っているのは風見ヶ丘かざみがおかって――」


 僕が話し始めると、とたんに夏美さんの目はきゅーっと細くなっていった。


「えっと学校の話、続けます?」


 細い目をしたまま、頷いた。多分、面白くないんだろう。

 でもめげずに僕なりに話を続けてみた。やっぱり夏美さんの目は、もうほとんど眠りそうなくらいに細くなる。まぁ、そうだよね。


「す、すいません……」


 声が小さくなってしまった。自分の話の、つまらなさのせい。大人の女の人が喜ぶ話って、どんなのだろう。

 夏美さんは指を伸ばして、またつついてきた。でも僕は、それに反応する元気もない。なのに夏美さんは繰り返し、つつき続けてくる。


 夏美さんがどうしたいのか分からなくて、顔をあげた。細くなった目。ちょっと困る。怖いわけじゃないけど、何て言っていいのか。

 つついてきた夏美さんは、その手で、話す、の仕草をした。そしてそれをくりかえしている。僕をつついて、話す。


「でも、あんまり僕の話、面白くないですよね?」


 たまらず聞いてしまった。無理してまで、聞いてほしいわけじゃなかったから。

 夏美さんは首を横に振って、校章を指さした後、口の前で×バツを作る。


「学校の話はダメってことですか?」


 夏美さんは首を横に振り、校章をつついて、僕の顔を指さし、話す、の仕草をした。学校、僕、話す。


「学校で僕がなにしてるのかを、話せばいいんですか?」


 ようやくジト目をやめてくれた夏美さんは、代わりに優しく笑って頷いた。

 機嫌を直してくれたのは嬉しいけど、困るのは僕だ。学校でしていることは、授業を受けて、帰ってくるだけ。話せることなんて、それで全部。


「あの、僕、学校では、特になにもしてないんです」


 さっきより、声が出しにくく感じる。自分で言うのが、嫌だからだと思う。

 目の前で、手の平をヒラヒラされる。どう言う意味なのか分からない。

 困って夏美さんの目を見ると。僕を指さし、肘をあげて手の平を下にして、指で人が歩く仕草をした。


「僕が、歩く?」

 ×を作って、すぐに公園の道を指さして、さっきと同じ仕草をした。

「僕が、くる?」

 頷いてくれた。今度は剣道の構えの真似もして、話す、の仕草。 

「僕が来て、剣道の話をした?」

 指で空気をつまんで、惜しいって感じ。


 僕がここに来た時、部活の話をしたってことかな。でもあれは愚痴だったし、夏美さんも二十点ってやってた。


「あの僕、部活でも、あんまり面白い話はないんです」

 すかさず×を作られた。

「愚痴はダメってことですか?」

 今度は頷いた。

「でも僕は面白い話なんて」

 言いきる前に、×が出た。


 愚痴もダメで、面白い話は無いって言うのも、ダメ。でも本当に僕が出来る話なんて、つまらない話しかないのに。


 夏美さんは僕を指さして、話す、の仕草をした。

「僕の話?」

 頷いて、校章を指さす。

「だから、僕の学校の話なんて」

 夏美さんは、首を横に振った。


 だから仕方なく、僕の学校でのことを話し始めた。

 といっても、ほんとに大した話じゃなくて、単に授業でこんなこといってたけどほんとかな、とか、そんな話。

 自分で話していても面白い話じゃなかったし、夏美さんもそこまで楽しそうじゃなかった。それに愚痴っぽくなると、すぐに×をつくるから、話すのも難しい。


 なにを話しても、夏美さんは一応笑ったり、むっとしたりはしてくれる。それから色んな仕草も。でも残念ながら、あまり笑わせられなかった。

 結局、今日聞いた声っぽい、音っぽいあれが、本当に声だったのか分からなかった。もし声だったのだとしたら、夏美さんは本当は喋れるってこと。つまり僕に声を聞かせない理由があるってことになる。


 それなら僕は、その理由も、聞かなくちゃならない。

 少しだけ日が傾きはじめた帰り道、僕は明日からの話に悩み始めた。

 なんとかして、夏美さんが声をあげて笑うような話をしなくちゃ。学校の話じゃ多分ダメなのだろうし、僕はこれまでのことも思い出しつつ、家に帰った。


 その日から、僕は夏美さんの声を聞くまで、絶対諦めないと決めた。

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