森の奥の村
車中で二泊した、朝。
依頼人の村へ向かうには森を抜ける必要があり、そのため、実にこの地方らしい馬車に揺られることとなった――二頭立ての、人でなく荷物を運ぶためのほろ馬車だ。
土が香る穏やかな風が、心地好い。
僕の腰程もある小麦畑の横をゆったりと進む馬車の荷台は、僕ら以外の正当な荷物でいっぱいだ。
御者台の直ぐ後ろに無理矢理空けてくれたスペースに、僕らはなるべく小さくなって座らせてもらっている。
僕らと共に揺られる
「積み荷は………果物ね」
「あまり触らないでくれ、リズ。僕らは善意で運んでもらっているんだよ?」
「あら、同乗者のことを気にするのは当たり前ではなくて?」
リズは微笑みながら、華奢な右手をひらひらと揺らす。
その指先で、赤い染料が塗られた爪が伸びるのを見て、僕はため息を吐いた。
「気にするのは結構だけれど。それで裂くのは少し不躾じゃあないかな?」
「あらあら。見た目よりも大事なことは、その内側に何を溜め込んでいるかでしょう?」
僕は再びため息を吐いた。
確かに、人として他人の中身を気にするのは当然だが、そのために外見を引き裂くのはいささか不躾過ぎるだろう。
だいたい――内側を見るのに、引き裂く必要なんてない。
「林檎かな、この形と色は」
「………色?」
「あぁ、赤いのと、まだ少し青いのがあるね。こういうのは同じところに入れておくものなのか。色によって分けたりしないのかな?」
僕の素朴な疑問に答えることなく、リズは目を丸くして僕の顔をじっと見詰めた。
「………………色?」
「ん? あぁ」
「閉じた袋の中にある物の、色?」
それが、どうかしたのだろうか。
僕は魔石技工師だから、物体の中身を見れるようにしてあるだけだけれど。
「眼球に薄い膜を貼って、そこに【
「………」
「なんだい、そんなにじっくり見て。まるで、眼球に直接【文字式】刻んだみたいな顔をしているよ?」
そんなわけないじゃあないか。
確かに、僕の眼球が魔石で、そこに【文字式】を刻めばかなりの効果が見込めるだろうけれど。
僕は人間だ。そんなこと出来るわけが無い。
「………まあ、良いわ。貴女だって、外見よりも中身が大事だものね」
「え? 僕の中身を見たいのかい?」
「そうね………まあ、見ても私には解らないでしょうけれど。それより、あとどのくらいかしら?」
リズは空を見上げている。未だ未だ昇りかけの太陽は今のところ暑くはないが、あまり長く浴び過ぎると体調を崩すかもしれない。
リズはまあ、太陽でどうにかなることは無いそうだけれど。かといって太陽が好みであるとは聞いたことがない。
「安心しなよ、お二人さん。こっからは森だかんな、お天道さんとは少しお別れだ」
「あら、それは素敵ね。あとはクッションでもあれば最高なのだけれど」
「リズ………」
「はははっ! そりゃあ申し訳ねぇな、お嬢ちゃんよ」
リズの我が儘を豪快に笑い飛ばして、御者の男性は髭もじゃの顔に歯を剥き出した。
野性的な口髭と髪とが隔てなく一体化し、顔全体に
幸いにも、と付け加えるべきだろう。
代々森に生きる種族、
万が一この男性が騒ぎ立てたら、流石に困る。僕はともかく【
徒歩での【
「まあ、それほど時間は掛からねぇから。ちぃっと我慢してくれな、
「うふふ、構わなくてよ
「うははっ、そうかいそうかい! 領主様にもそんくらいの器量が欲しいもんだねぇ」
「………
僕は首を傾げた。
男性は大きく頷くと、馬に鞭を入れる。
「この辺は、何せ田舎だからなぁ。
田舎というのは正にその通りだと思ったが、肯定も否定もし辛い表現だ。僕は曖昧に頷くに留める。
しかし、まさか巡視官さえ駐屯していないとは。
このバオホ大陸において、巡視官の居ない土地があるなんて、僕は思いもよらなかった。リズは、と視線を向ければ、幼い
仕方がない。僕は軽くため息を吐いて、もう一人の相談者に
僕の内に眠る天才
彼女の
「………
「おや、ご存じかい? 流石は都会の方だ」
特別巡視官………通称【特視】。
地域の文化や環境など、何らかの事情で通常の巡視官が任に就けない場合に例外的に認められる特例だ。
有名どころでは、
しかし、と僕は首を傾げた。
「【
森のど真ん中にある村は確かに僻地ではあるが、住む者を選ぶ土地という訳ではない。現にこうして、ベアーの馬車が往復出来ている。
男は大きく頷くと、再び鞭を入れる。
馬車が速度を上げ、揺れが激しくなった。僕は顔をしかめて、リズは口を尖らせた。
「ちょっと。急いでくれるのは有り難いけれど、少し揺れすぎじゃあなくて?」
「あぁ、すまんね、何しろ日の入り前には着かなくちゃならねぇんだ」
「日の入り前に?」
「おうとも。特視の連中が選ばれるのは、二通りさね。一つは環境、詰まりは物理的要因で住む者を選ぶ場合。そして、お前さん方が行こうとしてるのは、もう一つの場合。精神的な要因さ」
精神的な要因。
その地方独特の文化や習慣が、人を選ぶ場合だ。例えば――食事に生肉を食べる習慣のある狩猟民族などは、長い年月の末に消化酵素や免疫を獲得していて、腹を下すことはない。部外者にはちょっと真似できないことだと言える。
「この森にも、そうした何かがあると?」
「食い物じゃあねぇな。文化っつうか、生活様式かな。………奴等はさ、早寝でね。日の出ない時間は、家から出ないのさ」
「
暗闇を怖れるというのは、まあ無くもない習慣だ。そして、僕の把握している情報とも一致する。
修理依頼の出ている【
昼間日光を貯めて夜の灯りにする魔石【
暗闇を怖れる村人から出された、灯りの修理依頼。成る程都合は一致するというわけだ。
「それに、俺としても最近は夜は森を抜けたくなくってね」
「そうですか。やはり、見通しが悪いと、困るのですか?」
振動に耐えつつ尋ねると、男はゲハゲハと大きく笑い、首を振った。
「いやいや。そんな訳じゃあないさ。俺は一流だからな、この森なら目を瞑っていても走り抜けられる」
「試すのはご遠慮願いたいですね………。しかし、では何が理由なんですか?」
「簡単だよ。ここんとこ、噂になっててな。………夜になると出るんだよ」
何がだろうか。
僕とリズは顔を見合わせて首を傾げる。幽霊、悪魔、或いは山賊や狼。
森で予想される脅威を脈絡なく挙げる僕らに、男は鞭を振るいながら笑った。
「ははは、そんなんじゃあない。もっとヤバくて冒涜的なものだよ。お前さん方みたいに若い子なら、読んだことくらいあるだろう?」
その言葉に、僕は内心1つの可能性に思い当たった。恐らくは、リズも。
数多の娯楽小説や歌劇に引っ張りだこ。
牙で命を吸い、闇の中を自在に翔ぶ夜の王。冒涜的でだからこそ退廃的な美しさを誇る、【
その名前を、男は勿体ぶって舌に載せた。
「【吸血鬼】が出るんだそうだよ」
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