黒神樹の森へ
バオホ大陸は東西南北四方に広く、広すぎて地形ごと環境が変わるため、遠出には列車が欠かせない。
砂漠から雪山、なんて極端な変化もあり得る旅路だ、単なる馬で渡るのは自殺行為と言わざるを得ない。
表面を鉄で覆い、火属性の【
文明の粋を集めた巨体に揺られながら、しかし私は、それよりも驚くべきはその足元にあるものだと思う。
それは、線路。
大陸中を網羅する鉄の道。
先人たちが成し遂げた偉業は、およそ人間技とは思えない――いや、逆か。
まさに、これこそが人間業だわ。
この場合【人間】には、門戸を広くとって構わないだろう――今や人口の1割程度の【
何せ、彼らが手に手を携えて作り上げたのだから、手柄をどちらかに割り振るのは不公平と言わざるを得ないでしょうね。
まあ、とにかく。
人は、この広大なバオホ大陸に、鉄の道を敷き詰めた。その情熱と、偏執には恐れ入る。
余りにも短い一生の内に。
彼らは、どこまで行こうというのかしら。
己の手に入りきらない世界まで見ようと、人類はその足をひたすらに踏み出し続ける。
なんて愚かで、なんと愛おしい。
いつまでも在る退屈な人生を、彼らは魂を燃やして彩ってくれる
もっと、もっとと私は嗤う。
もっと、私を楽しませなさい。
私はリズ。
どれだけ門戸を広く開いても、けして【人間】には含まれない、永遠の孤独者。
【
「………退屈な眺めだわ」
流れていく景色を狭い車窓から見送りながら、私は思わず呟いた。
「………だろうね」
向かいの席に腰掛け同じように外を眺めていた
ありふれた、茶色いパンツスーツに身を包んだ短い黒髪の彼女は、その黒瞳を無感情に瞬かせる。
その、人生何の面白味もないと言いたげな無表情な横顔に、私はため息を吐いた。
「あらあらまったく、旅の醍醐味は窓に在る、なんて大層に語っていたのは、何処の誰だったかしらね?」
「勿論僕だよ、記憶力は良い方だ」
それはそうでしょうね、と私は内心で肩をすくめる。
ロディアもまた、人間ではない。見た目には少し険のある、
そのように、造られただけだ。
世界最高の
彼女は、人間のように嘘を吐く。
他人ではなく、自らを騙す嘘を。
物問いたげな視線を向けてくるロディアに、私は、内心とは違う答えを返す。
「なら、私が今回カーテンを開けている理由も解るわね?」
「ああ、もしかして、僕に気を使ってくれたのかい?」
「そうよ。それなのに、そんな気の無い感想はどうしたわけかしら?」
「そう言われてもね………」
肩をすくめたロディアの、これは例外だろう感は何となく解る。
窓の外を流れる景色は、もう二時間ほど変化していない。
昼の陽射しに照らされた、田園地帯。
金色に輝くような小麦の海がひたすら続き、時折牛を引いた農夫が行き交う以外には動くものの無い、不変の光景。
これもまた、人間の宿命だ――どれだけ文明を発展させても、パンとミルクから逃れることは出来ないのだ。
「バオホ大陸は、何処をとっても素敵な眺めだって話ではなかったかしら?」
「素敵といえなくもないだろう? 都会の喧騒に疲れた者にとっては、実に心和む風景じゃあないか」
「そんなのは錯覚だわ。結局これも、都会と同じく人の仕事だもの」
やれやれとばかりに肩をすくめるロディアに、私は身を乗り出して、ここぞとばかりに言い募った。
「大体、この客車自体も気に食わないわ。椅子も固いし、がたがたと揺れるし」
「まあ、古いからね。【竜の翼骨】鉄道は、多分、大陸で一番古い
確かに、座席を見る限りはそうらしい――まあ、私よりも歳上ということはないだろうけれど。
鉄道はおろか、使ったこの樹でさえも、私より幼い。世に私より古いものなんて、殆ど無いのだから。
「元々の、鉄道の目的に沿った
8両の内、4両が貨車である。
人よりも、荷物を運ぶ方が多いのだ。
「何を運ぶのかしら。いえ、そもそも。何を運ばないといけないのかしら?」
流通の原点は、不足の解消だ。
自分の持ってない物を求めて、持っている物を差し出すこと。
貨幣なんて幻想を扱うより早く世界が行ってきた、商売の始まり。
海の者は野菜を求め、山の者は魚を求め。
では――この列車は、何を運ぶ?
「主に穀物だね。この先は、ほとんど畑は無くなるから」
「これだけ有るのに?」
「【黒神樹の森】って、知らないかな? 大陸西部に広がる大森林地帯なんだけれど、僕たちが行くのは、そのど真ん中だ」
森の名前には、聞き覚えは無かったけれど。
大陸西部に広がる森ならば、多少は覚えがある。
「マギアも、知っているかしら?」
「少しだけはね、頼まれた【
「設計………設置には行っていないの?」
「うん。だから、景色も楽しみではあったんだけどね」
やれやれとばかりに肩をすくめるロディア。彼女はこうした、
精々が唇。微笑みか、それともへの字口かの変化程度で、全体としては仮面のような無表情。
人生何が楽しいのか解らないような、生命を感じさせない表情だ。
「【
「あら、そんなことは無いわよ?」
私が好きなのは、人の営みだ。
人間が生活しているのなら、キャロティシアンの首都ラディシュだろうが森のど真ん中だろうが別に構わない。
人が居る限り、彼らは私の想像を超える何かを作り上げるものだ。それを見るのは愉しいし、それに。
「何もなくとも、人が居る限り、上質な赤ワインは保証されているもの」
私は優雅に足を組み、瞳を赤く染め上げて
残虐に、冷酷に。美しく咲く不朽の薔薇の微笑みに、ロディアは眉を寄せ、肩をすくめる。
「………成る程、実に絵になるよ。昼間の畑を
窓の外、金色の野の向こうから、間延びした牛の遠吠えが響く。
毒気を抜かれて、私はため息を吐いた。確かに、私には少し、田舎過ぎるかもしれない。
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