檻の中の【吸血鬼】
村の入り口、というよりは森のど真ん中で、僕らは馬車から下ろされた。
御者は軽く手を挙げ挨拶すると、そのまま先へと馬車を走らせていく。恐らく、人と林檎の入り口は異なるのだろう。
僕らの入り口は、青々と茂る柵だった。
打ち付けられた杭に近付いてみると、新芽が伸びかけていた。切り出され加工されても、まだ生きているようだ。
ベアーの木こりが独自に伝える技法、【
この柵も枝を伸ばし、やがて森の一部となるのだろう。人が、やがて土に還るように。
僕らが柵の間を通り抜けると、直ぐに声がかけられた。
「ようこそ、依頼を受けてくださった方ですね? 御高名な
僕らを出迎えてくれたのは、ベアーと同じくらいに髭の濃い男性だった。
「ロディアです、よろしく。こっちはリズ。特別巡視官の方ですか?」
「ホルンと申します。名ばかりの閑職ですが、一応この村を任されてますよ」
「名ばかり等………、特視は余人には出来ないから任命されるのでしょう? 御立派だと思います」
差し出された手を握り返しながら、僕は錆びたボタンと輝くバッジを見比べる。少なくとも、本人はそう思っているようだ。
僕としては、立派ともそうでないとも思っていない。
それは、
姿の見えない誰かに振られた、単なる歯車の証明。
貴賎の区別も無い。解りやすいか解りにくいかの違いだけで、人はすべからく役割を振られるものだ。
同じ人から――或いは、それ以上の何かから。
天上の演奏家が
彼は誇りを持っている。それ自体は、誉められるべき事だろう。
「ところで、ホルンさん。修理依頼の有った
「そんなことより」
早速仕事の話を、と思った所で邪魔が入った。背後でキョロキョロと、辺りの様子を興味深そうに眺めていた相棒、リズだ。
その赤い瞳は、好奇心という名の毒に満ちた
「もっと、興味深いお話が有るんではなくて? お髭のおじ様」
「おじ………?」
「リズ!」
年齢を重ねた人間に対して、それを直接的に表現するのは宜しくない。特に権力者の場合は不興を買うことが多い。
田舎の村で住人から不興を買うのは、賢明な買い物とは言えない。そのくらい、経験豊富なリズならば解っていそうなものだが。
「あら、ならば事実を言うべきかしら? 『お髭の坊や』と?」
成る程と僕は頷いた。
彼女の瞳には普段、開かない瓶の蓋くらいにしか向けられないような、苛立ちに彩られている。
詰まり――わざとか。険のある口調と目つきは、内心の苛立ちが溢れる前に吐き出そうという腹づもりなのだろう。
そして、溜まる苛立ちの内訳は、僕にも良く解っている。
「………この村に、厄介な客人が滞在中らしいじゃない?」
………【吸血鬼】。
これほど有名な【
まあもっとも――彼等の側がそれを良しとしているかは、また別の話だが。
少なくとも、僕は
良く場の空気を読めないと評される僕だが、こうして気を使う事だってあるのだ――例えば、【吸血鬼】に彼等が杭を打ち込まれる
そしてどうやら、荷馬車でした世間話以来のリズの様子を見るに、僕の気配りは大正解だったようだ。
同胞の噂を聞いたリズの機嫌は、過去最低に悪くなっていたのだ。
「あー、成る程。さてはお嬢ちゃん、荷馬車衆の噂話を真に受けたな?」
「噂………、事実ではないのかしら?」
「もちろん」
お嬢ちゃんという呼び名を聞き流すほど、リズは真剣にホルンさんの話を聞いていた。
ホルンさんは、自信満々に頷いた。
「火の無い所に煙は立たないものよ、特別巡視官殿? きちんと火元は確認したのかしら」
「まあ、確かに。薪が組まれていたのは事実だがね。………お嬢ちゃん、それに技工師さんも、この村に巡視官が居られない理由はもちろんお聞きでしょうね?」
「少々健康的な生活を送っていると聞いたわ。
「はは、中々詩的な表現だね。だがまあ、概ねその通り。我々は、夜、極力家から出ない」
極力というより絶対と言いたいような熱心さで、ホルンさんは語った。
噂話を真に受ける連中は、少なくないようだ。説明するホルンさんの口元には、諦めの混じる苦笑が浮かんでいた。
「言い伝えがあってね。夜、月の晩に外に出てはならない………もし出てしまうと、【森の牙】に殺される、とね」
「【森の牙】?」
「俺は狼ではないかと思っているがね。良くある話さ、自然の脅威をある種神秘的な魔物に代えて伝えるっていうのは」
確かに、と僕は往路を思い浮かべる。
馬車に(想像以上に)揺られた道程は、見渡す限り樹、樹、樹。昼前だというのに陽射しは遮られ、薄暗い程であった。
これが夜ともなれば、文字通り漆黒の闇となるだろう。そんな中で獣にでも遭おうものなら、あっという間に餌食となるに決まっている。
それを戒めるというのは、理解できる話だ。特に、分別の無い子供にも教えるために、寓話的な脚色をするというのも、僕の理解の範疇に収まる。
そうではないのは――僕の理解が及ばないのは、その結果だ。
伝承の成功。過去の教えに、現在の大人達も従っているという事実。
狼ではないかと思う、そんな漠然とした不安に対して、発展と開拓を旨とするヒトが大人しく従うものなのか。
この奇怪な事実を僕の理解の箱に収める方法は、一つだけだ。
「………何かがあったから」
「え?」
「そんな根拠の無い話ではなく、明確な何か危険があったからこそ、貴方達も従っているのでしょう。そして、恐らく。今回もそれが起こったのでは?」
姿の無い狼ではなく。
現実に自分達を傷つける何者かがいたからこそ、伝説は拘束力を持ち住民を戒めている――巡視官を置けない程に。
僕は、【生け垣】を振り返った。生えていたのは新芽。ということは、出来たのはごく最近ということだ。
僕の見ているものを見て、ホルンさんはため息を吐いた。どうやら正解らしい。
「流石、良い観察眼をお持ちですね。その通りです。この村では、数年に一度くらい事件が起きる――血塗られた、残虐な殺人事件が」
「それも、月の晩に?」
「えぇ、まぁ。しかし、月の出ない夜なんて幾日も無いでしょう? 夜何かが起きれば、大概月は見ているものです」
それは、確かにそうだろう。
そしてだからこそ、伝承も月の晩に、と付け加えたのだろう。
「そこで、現れるわけね。………【吸血鬼】とやらが」
「夜、血、事件と来れば、仕方がないだろうね。そこで別な可能性を考えろという方が酷だよ、リズ」
「全くその通り。だからこそ………犯人も、そう思ったようだ」
「犯人? 捕まったの?」
「もちろん」
あまり嬉しくなさそうに、ホルンさんは頷いた。
僕は首を傾げる。
事件の犯人を捕らえたというならお手柄だ。自分の役職に誇りを持っているホルンさんなら、胸を張りこそすれ、肩を落とすことなど有り得ないのではないか。
疑問に思う僕の脇腹を、鋭打が襲った。
「………何をするんだい、リズ?」
「馬鹿ね。それとも鈍感、と言うべきかしら。
僕は首を傾げた。
やれやれとばかりに、リズは深い深いため息を吐いた。
「………あのね、ロディア。ここは狭い村だわ、外界からは物理的に隔絶されている。なら――ここでの事件の犯人は、何処のヒトだと思うのかしら?」
「………あ」
そうか。
移動が容易で、頻繁に行われる都会ならば兎も角、こんな田舎ではヒトの出入りは皆無だ。3日もあれば全員と挨拶が出来るし、1週間も過ごせば彼等の顔に飽きるだろう。
そこでの事件なら、役者は皆知り合いだ――被害者も犯人も、身近な隣人なのである。
ホルンさんの
胸を張るのは、難しいだろう。
しかし僕の理解は、世の多くのそれと同じように勘違いだった。所詮ヒトが他人に寄せる理解なんて、無理解の類語に過ぎない。
ホルンさんの憂鬱は、そこには無かった。僕にだって、良く考えれば解る筈の勘違いであったのだ。
リズは気付いているようだった――何故、犯人が捕らえられたのに、噂は消えなかったのか。
「………その、通りだよお嬢ちゃん。犯人は捕らえた。良く知ってる、近所の子だった。その子が、言ったんだよ――僕は、吸血鬼だとね」
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