第9話シュトローマン

 階段は狭く、粗末な作りに見えた。

 崩れかけた壁に石が突き出しているだけで、手すりも何もない。もし子どもがそこで遊んでいたら、間違えなく止めるような場所だ。


「………これを登るのは、いささか骨が折れそうですな………」


 手で透かすようにして頭上を見ていたスウィフト氏は、ひどく肩を落とした。さして高さのある階段とはいえないが、高齢の彼には楽しい旅とはならないのだろう。

 走ることを好むドグとはいえ、寄る年波に勝てはしない。

 とはいえ、僕ものんびりと遊びたい訳ではない。僕は階段下の壁に近付くと、ポーチから加工刀ワンドを取り出した。


 傍目には、単なる彫刻刀にしか見えない道具だが、れっきとした魔石回路の加工に用いる道具である。僕はそれを、階段回りの崩れかけた壁に触れさせる。


 見た目には単なるぼろ壁だ――僕のワンドがそう見えないように――しかし、見る者が見れば違う。

 ここは、壁のひびや剥落さえもが計算に組み込まれた、完璧な魔石回路の塊だ。

 その証拠にワンドが近付くと、壁は淡く光り始めた。それは直ぐに形を変え、浮かび上がる。


 いつ見ても、この光景は美しい。

 翡翠色に輝く光は、文字と数式に姿を変えて壁から浮かんでいる。この壁に刻み込まれた魔石回路の術式が、ワンドに反応しているのだ。

 あとはその構成を刻み変える。正規の持ち主であるシュトローマンの組んだ術式に介入して、僕の都合に合わせて創るだけだ。


「………出来た」

「おぉ………!」


 組み換えると同時に、階段が動き始めた。上へ上へと、全ての石がスライドしていく。石は足元から次々と生み出され、恐らくは最上部で塔の壁に戻るのだろう。


「見事ですな………」

「えぇ、まったくです。さすがはシュトローマンですね」


 僕は心の底から頷いた。術式を見れば解る、彼はまさに、無駄をなくす天才だ。

 しかしスウィフト氏は、「いえ」と首を振った。


「そうではなくて、貴女ですよ!」

「え?僕ですか?」

「えぇ、ロディアさん。あんなスピードで構成術式を刻み変えるなんて!」

「あぁ、それは………」


 言い掛けて思い直し、僕は口を閉ざした。スウィフト氏を促すと、石に飛び乗る。

 今説明するのは面倒だ――えぇ実は、


 ………………………


 最上階にはあっという間に着いた。

 予想通り石は静止して、それから溶けるように壁に混じっていく。僕らが慌てて飛び降りる頃には、石は既に跡形も無かった。

 総量としては変わらず、石の段だけが動き続ける仕組みな訳だ。帰りは、また術式を書き換えるのだろうか。


 最上階には、僕らが降りた踊り場とそして一つの扉があるきりだ。不自由ないくらいに明るいのは、壁の回路に蛍光石が組み込まれているのだろう。


「ここが、先生の部屋ですか………」

「来たことは?」

「いいえ、ありません。先生は塔を造って以来ここに籠りきりで………」


 踊り場には、土埃が溜まっていた。暫く人の出入りは無かったらしい。


「………入りましょう」

「え、えぇ………?ロディアさん?何を………」


 僕は扉にワンドを近付けていた。スウィフト氏は驚いた様子で扉に駆け寄ってきた。


「そんなことしなくても、先生に開けていただけば良いのでは?いくらなんでも、この状況なら………。先生!私です、スウィフトです!開けてください!!」

「………それは、どうでしょうね」


 扉を叩き始めるスウィフト氏を見ながら、僕は小さく呟いた。

 僕の考えが当たっていれば、彼はここを開けることはないだろう。


「おかしいですね、中にいるはずですが………」

「えぇ、

「はい?」


 首を傾げたスウィフト氏を無視して、僕は扉を開ける。きっと、他に誰にも開ける人はいないだろう。

 開いた扉の向こうにスウィフト氏は飛び込んで行った。シュトローマンの名前を呼ぶ声が一瞬途切れて、やがて絶叫へと変わる。

 僕も、後に続いた。あぁやっぱりと、嫌な気分に足を引っ張られながら。


 部屋の中央、簡素なベッドの上で。

 


 ………………………


 死に様は、安らかなものとは言えなかった。ベッドにはすっかり乾ききった赤黒い染みが広がっている。

 換気を気にする者は居なかったようだ。むわっと広がるなんとも言えない悪臭に、僕は眉を寄せた。スウィフト氏は鼻が良いらしく、部屋の隅でうずくまり嘔吐している。


 予期していた分、僕は比較的冷静だった。ベッドに歩み寄り、死体の様子を検分する。

 顔は腐敗が進み始めていて、見開かれた眼窩から目玉は消え失せている。脂肪が溶けて、肌が骨に張り付くほど。あと一歩で骸骨というところだ――胴体と顔は。


「………こ、これは、いったい………」

「スウィフトさん。こちらに来られますか?」

「………はい………」

「見てください、解りますか?」


 よろよろと脇に立ったスウィフト氏に、僕は布団を捲り死体の腕を見せた。

 うっ血で紫色の斑点が広がっているが、


「ここ、継ぎ目があるでしょう?それから、こっちにも」

「はあ………そのようですな」


 反対側の腕も、足も同じだった。付け根の辺りに溶接の痕があり、そこから先は腐敗の進み具合が遅い。

 スウィフト氏は、非常に嫌そうな目で僕を見た。うん、だから、僕も気は進まないと言ったじゃあないか。


「………何故ですか」

「………シュトローマンは、体調が悪かったのでしょう?高齢で、

「………まさか」


 スウィフト氏はよろけて、背中を壁にぶつけるとそのままへたりこんだ。

 詰まり、そういうことだ。【シュトローマンの街】は、司令ユニットを直すため素材を集めていたのだ。

 最初に両腕を持っていったのだろう。だが、二本同時の手術では、素材の鮮度が落ちてしまった。だから次からは、一本だけにしたのだ。


 動かなくなった手足を、動いていた手足で取り換えた。

 一部では直りきらず、次へ、更に次へと取り替え続けた。そして、今夜は最後の手術だったのだ。しかし、彼は起き上がらない。生命は、誰とも取り換えられないから。


「誰が、いったい、誰がこんなことを?!司令ユニットは先生だったのでしょう?なら、誰が指示を?」

「………シュトローマンの作品は、取り換えが利くんですよ。なにもかも、全てにおいて」

「っ!まさか………」

「ええ。司令【代替】ユニットもまた、存在するんですよ。………そうですよね?」


 僕は叫んだ。絶対にいるという確信があった。

 そしてやはり。

 ベッドの隣、クローゼットが開いた。

 そこから、現れたのは。


「………?!」


 白い豊かな口髭に、枯れ木のように細いながらも生気に満ちた肉体。

 ゆったりとした青いローブに身を包んだその姿は、マギアの記憶にあるそのままの姿。

 


 ………………………


「せ、先生?なぜ、このようなことを?!」

「落ち着いて下さい、スウィフトさん。彼はシュトローマンさんではありません」


 詰め寄ろうとしたスウィフト氏を制すると、僕は彼を睨み付ける。

 当たり前だ、本物のシュトローマンは、僕と彼との間に寝ている。そして二度と起きることはない。


「あなたは、シュトローマンの代替ユニットですね?」

「肯定です。貴女は?」

「技工師です………この街の【風生み鳥】を直すために来ました」


 代替ユニットが、ちらりとベッドを見た。


「シュトローマンを直すこと。そちらを優先させるべきだと私は判断しました」

「それは………無理ですよ」


 死者は甦らない。消えた生命の灯火を点け直すことは誰にも出来ないのだ。天才と呼ばれたシュトローマンにも、或いはマギアにも。

 それが出来たなら、きっとマギアは死なず。僕は生まれ変わりにもならなかっただろう。


「………そのようです。今現在、私が知り得る技術では、シュトローマンを直すことは出来ませんでした。しかし………では、どうすれば良いのでしょうか」


 代替ユニットは、首を傾げた。


「私は代替ユニット。司令ユニットの修復が役目なのです。それが不可能とあらば、私は………」


 代替ユニットは、住人からを奪ってでもシュトローマンを直そうとした。恐らく他にもどんな手を使ってでも、そうしただろう。

 だが逆に、それでも不可能となったとき、彼はもう何も出来なくなってしまう。司令ユニットの寿命は、作品全体の寿命なのだ。

 もはやこの街は、滅びを待つだけ。それを感じ取ってか、代替ユニットもスウィフト氏も、哀しげに目を伏せる。


 しかし。

 僕はそうは思わない。僕の果たすべき依頼は、修理なのだ。まだ、打つ手はある。


「………あなたは、シュトローマンを直したいのでしょう?どんな手を使っても。なら、僕に任せてください」

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