第5話切り取る者 side LIZ
「では、バルさん、行きましょうか」
被った布団の向こうから、ロディアの声が聞こえる。いつもみたいに淡々とした、何の感情もこもっていない声だ。
表情だって想像できる、何を見ても変化のない、無感情な仏頂面に違いない。
詰まらなそう、でも、退屈そう、でもない。本当に、何の感情も表情に浮かんでないのだ。私は時々からかうように彼女を
もちろん中身は、感情豊かで感性情緒に溢れているし、もしかしたら本人は充分に感情を露にしているつもりなのかもしれないけれど。
「え?あぁ、リズはもう寝ているようです。そっとしておいて下さいね、寝起きは機嫌が悪いので」
勝手なことを言ってくれるわね。私は布団の中で丸まりながら、べえっと舌を出した。
寝起きの機嫌なんて、ロディアが知るはずもない。だって、
夢見る時間は、現実を生きる者にだけ必要なのだ。そして私は、一般的な生命維持活動をしているとは言えない。
「………まったく」
バタンと音を立ててドアが閉じる。私は身体を起こすと、毛布を丸めて布団の下に横たえる。上から布団を掛ければ、取り敢えず私が眠っているように見えるだろう。
それからカーテンを閉め、ランプを消せば大丈夫。部屋に入って布団を剥ぎ取られなければ、問題ないはずだ。そんなことをする紳士でない輩がいたら、もうバレようが何だろうが関係はない。
紳士的でない相手なら、私だって淑女らしくする必要はない。私らしく、まあ夕食のワインにでもなってもらう。
「まあ、今のところはまだ、節度を守っておくけれど」
私はドアの前に立つと、自身の【力】を発動する。
自分の身体をイメージする。そうしてから、それが指先から
【肉体変異・
全身を霧状に変えると、私はドアの隙間をすり抜け、悠然と屋敷をあとにした。
吸血鬼の能力というのは、詰まるところ肉体の
血と肉の身体を、自由自在に造り変えること。その上でどんな形態になっても、自分の意識や記憶を失わないことが、吸血鬼としての才能というやつだ。
因みに私はこの【霧】の他に、【
………………………
「………この辺りで良いかしらね」
路地の辺りに集まり、私は変異を解除した。もっと通りに近付いてからにしようかと思ったけれど、念のために。
というのも、ここは蒸気機関を多く取り入れていて、そこかしこから蒸気が吹き出ているのに、街全体としてはあまり蒸気が溜まっていない。詰まり、吸い込み口が用意されているのだろう。
回収されて蒸気機関の動力にされるのは、快適な余生とは言い難い。
文字通り、私は一瞬で人の形に戻る。もちろん洋服も一緒だ。私の力は、私の所有物全てに及ぶのだから。
「さて、それじゃあ、聞き込みを始めましょうか」
太陽は、到着したときよりもだいぶ傾いている。私にとっては、非常に好都合だ。
それに、情報収集にとっても。
………………………
夕暮れ時に人が集まる場所は、予想通り街には一ヶ所しかない。それも、こんな娯楽の無さそうな砂漠の街ならまず間違いない――酒場だ。
エールのジョッキを模した看板に近付くと、賑やかな笑い声や音楽が聞こえてくる。私は舌なめずりする気分で、ドア代わりののれんをくぐった。
たった一枚の布を越えただけだというのに、中の騒ぎは外で聞こえたそれとは比べ物にならなかった。粗野な大声、食器やグラスのぶつかるカチャカチャという音、聞いたことのない笛の音、ジュージューという肉を焼いている音。
匂いも凄い。
着いたときにも嗅いだ、脂の焦げた香ばしい匂いは健在で、音と合わせて食欲の関心を鷲掴みにして離さない。
そして、エールとワインの混じったこの酒場の独特の空気。
車窓の風景がロディアにとっての旅行の醍醐味ならば、私にとってはこうした酒場の光景こそがそれだ。異国情緒と同時に、どこにいても人は人なのだと実感できる眺めである。
酒と異性が絡むと、場所は関係なく同じように人々は騒ぎ、狂う。それが生命らしさというやつだわと、私はこっそりと思うのだ。
「………いらっしゃい!………あら?」
外とは打って代わった、布面積の少ない衣装のラヴィの女性が元気よく挨拶をし、それから直ぐ眉を寄せる。あまり、私のような見た目の少女、いや美少女が来る場所ではないということだろう。
人も【幻想種】も、見た目と中身は同一とは限らないというのに。私はため息を吐いた。
「困ったわね、どうしたの、お嬢ちゃん。パパかママは?」
「ちょっと探しているの、中を見ても良いかしら?………それとも、一人で帰った方が良い?」
付け加えた言葉に、彼女はサッと顔色を変えた。
「い、いえ、それは危ないわ。一人でなんて、もうすぐ暗くなるもの」
「あら」私はわざとらしく驚いて見せる。「平気よ、暗いくらい。一人で帰れるわ、そうしろと言うのなら」
「駄目よ!今は特に危ないんだから」
引っ掛かった。
一人目だなんて、全く日頃の行いが良いせいだわね。私は、にんまりと笑った。
子供らしからぬ笑顔に、女は軽く息を呑んだ。ようやく、自分の前にいるモノが、見た通りのモノとは違うのだと気が付いたのだろう。
良く気が付いたわ、お見事。まあ、もう遅いけれど。
私の瞳が真紅に輝き、女の瞳から意思の光が消えた。焦点が合わなくなり、虚空を眺めながら立ち尽くす彼女に命じる。
「ついてきなさい」
「………はい」
【
店から彼女を連れ出すと、私は手近な路地裏に入る。
「聞かせなさい」
「………最近、この街は、夜が危ないわ………」
「それは何故?」
「………事件が、あったから………殺人事件よ………」
酔っ払ったように身体を揺らしながら、女はぶつぶつと話す。
便利は便利なのだが、命じた事にしか答えない分面倒である。私はゴミ箱を見つけると、その上に腰を下ろした。
「あらましを、知っている限り語りなさい」
「………犠牲者は、三人………。三日前から、一晩に一人ずつ、殺されてる………殆ど一撃で死んでる………凄く鋭い切り口………女一人男一人………」
あら、しまったわね。
私は舌打ちする。命令に『順を追って』と入れ忘れたため、女は自分の知識を思い付くままに乱雑に語ってしまった。
命令をし直そうと思って、私は口を開きかけた。しかしその次、女の口から飛び出た単語に、私は眼を剥いた。
「………足が無かった………死体に欠損が………」
「その辺り、詳しく」
「………一人目、男、足………二人目女右腕………三人目男左足………」
「もう良いわ、黙りなさい」
私は低く唸った。
なるほど、と私は納得していた。
ただ事件程度にしては、女の態度は畏怖に満ちてい過ぎると思ったが、死体を奪う事件なら確かに警戒はするだろう。
死後死体を弄ぶ輩というのは、単なる殺人者よりも恐れられる。誰もが皆、せめて死んだ後くらいは安眠したいのである。
あとはもう、さして情報は聞けないだろう。空を見上げると、天幕の隙間からは三日月が見えた。いつの間にか、時間が経っていたらしい。
月光石の街灯があるとはいえ、遅くなるのはまずいわ、夕飯ともなれば、起きてこないのは不自然だもの。
「ご苦労様。もう戻って………」
女に命じようと、空から下ろした私の視界。そこに映ったのは、正中線で見事に真っ二つにされた女の姿だった。
どしゃり、と左右に倒れる女。救いだったのは、未だ魔眼の影響下にあったことか。恐らく自分の意識は無いまま、夢見心地に死んだだろう。
「………な」
そして、その背後の闇。
全身に布をまとった何者かが、音もなく姿を表した。
その手が、女の左腕に伸びる。
「っ!」
思わず後ずさった私の靴が砂を噛み、じゃりっと音を立てた。
襲撃者がガバッと、弾かれたように顔を上げる。布と闇とに覆われた顔の中で、瞳が赤く光り、私を見た。
襲撃者の腕が、私に向く。人を容易く両断する何かを持つ者の腕が、ゆっくりと持ち上がる――。
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