第5話切り取る者 side RHODIA
「………準備はいかがですか、ロディア様」
「あ、少し待ってください」
ブラウスの上にジャケットを羽織るかどうか悩む。ジャケット自体に仕掛けや何かしているわけではないし、防刃素材なわけでもない。
羽織ることで、警戒心を相手に悟られる可能性もあるし、敢えてここはリラックスしている様子を見せるべきだろう。
工具を入れたポーチだけ腰に着けて、良しと頷く。一応背後を確認してから、ドアを開けた。
「お待たせしました。では、バルさん、行きましょうか」
布が現れた、と僕は心の裡でだけ呟いた。せめて家の中でくらい、顔だけでも外してほしいものだが。
ドアの前で待っていたバルは頷くと、ちらりと室内を覗いた。
「お連れの方は、やはりお休みですか?」
「え?あぁ、リズはもう寝ているようです。そっとしておいて下さいね、寝起きは機嫌が悪いので」
ベッドの上には、布団を頭まで被ったリズが横たわっている。
もちろん、寝てはいないはずだ。作戦通り寝た振りをしているだけだろうし、そもそも彼女が寝ているのを見たことはない。
吸血鬼というのは、【幻想種】でも一二を争うほどの有名どころであり、文献の種類や信憑性を問わなければ相当数の記述を見付けられる。
中でも有名な描写は、日光を避けて棺桶で眠る絵だろう。
真っ赤な嘘である。まずリズは日光を避けてはいるが灰にはならないし。
だいたい、あんな固くて寝苦しいベッド、誰が好き好んで眠るというのだ。僕なら一時間で頭か足をぶつける。
しかし、とにかく今は、リズには寝ていてもらわないと困る。彼女には街に出てもらわなければならないのだから――それも、出来るだけ穏便に。
………………………
「ああ、どうもロディアさん」
スウィフト氏は、玄関ホールで待っていた。やや小走りで、僕は彼に近付く。
「すみません、準備に手間取ってしまって………」
「いえいえ、構いませんよ。女性はそういうものですから。私の妻もそうでしたよ」
スウィフト氏は僕の短い黒髪を見た。
「彼女は髪が長かったから、余計にね」
僕は曖昧に頷いた。
過去形で語られたスウィフト氏の細君について、尋ねるべきではないだろう。………砂漠で長髪の女性がどのくらい辛いか、彼が理解しているとは思えないし。
やれやれ、と僕は内心ため息を吐いた。どうやら彼は、スウィフト氏ではない可能性まで出てきてしまった。
「寧ろ、私の方こそ謝らなくては。長旅を終えたところで、少しお休みいただくのが筋だというのに………お連れの女の子、リズちゃんでしたかな?彼女は大丈夫ですか?」
「えぇ、ゆっくり休めば大丈夫です。それに、僕としても早く状況をみておきたいですし」
「それは有り難いですな。では、どうぞ」
スウィフト氏が示したのは、ホール中央の大理石の台座だった。上に置いてある、向き合う女性の顔にも見えるようなデザインの花瓶で無いのなら、だが。
「………?この台座が、何か?」
「ふふ、見ていてください」
首を傾げる僕に、スウィフト氏は勿体振った仕草と口調で応えると、ゆっくりと台座に近付いた。壁面に手を掛けると、気取った様子でその一部を押し込んだ。
ずずず、という重々しい音と共に台座が回り、それに連動して、床がへこんでいく。
あっという間に、玄関ホールの中央には地下へと向かう螺旋階段が生まれていた。
「これは、単なる蒸気機関です。シュトローマン製ではありませんよ」
「なるほど。お見事ですね、スウィフトさん。もしや貴方がこれを?」
「えぇ、まあ。若かりし頃、手慰みにね。………シュトローマン派の研究としては、第一段階に蒸気機関の研究開発があるんです。その課題に、こういったものの開発があるんですよ」
階段を降りながら、スウィフト氏は語る。それは、懐かしく優しい思い出に浸っているように見えた。
彼の後ろから続いて階段を降りる。
スウィフト氏の発言には実感が籠っている、ように思える。その経歴を辿った者の、感情が言葉からにじみ出ているような気がするのだ。
彼の経歴は、嘘ではないのか。それとも、彼は巧みに僕を騙しているのか?
蛍光石に照らされた、薄暗い階段は深く地下に続く。或いは僕も、彼の内心へと降りていっているのだろうか?
………………………
「これが、この街の【風生み鳥】ですか」
階段の先は、ちょうど玄関ホールと同じような広さの空洞だった。違うのは、スイッチだった台座が無くなり、一つの機関があることだ。
大きさは、ロディアの胸の辺り、一メートル二十センチだろうか。【風生み鳥】としては、中程度の規模だ。
主たる機関である風力発生部分は、一メートルくらい。青銅製の球体に丸いガラスが嵌め込まれていて、そこから中を覗けるようになっている。球体からは太いパイプが伸びて、部屋の壁に繋がっているようだ。
あの方向は、例の塔か。
となると、やはりあそこにいく必要がある。
しかし………なかなかそれは難しいだろう。
僕は【風生み鳥】の前にしゃがみこむと、中を覗く。予想通り、修理は気軽なものだ――手持ちの道具で充分に直せる。
それは詰まり、これがマスター・シュトローマンの作った【風生み鳥】ではないことを示している。そして必然、ナイショクの街に元からあったものではないということだ。
シュトローマンの街に、彼の作品以外はないはず。それに………。
「いかがですかな、直せそうですか?」
「えっと………」
どうするか。
直すのは簡単だ――容易くこなすことができる。依頼の、半分までは。
この【風生み鳥】は直すことができる。だが依頼にあった、この街の【風生み鳥】は直せない。恐らくは、あの塔に向かわなければ。
疑問点を、告げるべきか。僕の感じている、スウィフト氏が隠そうとしている真実を、さらけ出させるべきか。
「何でしたら、作り直すことになっても………」
「いいえ、その時間は無いわ、ロディア」
僕が決断する前に、彼女が割り込んできた。
弾かれたように、僕とスウィフト氏は振り返る。
二人で見詰める中、ゆっくりと、リズが階段を降りてきた。
その顔は、見たこともないくらい険しい。
「お、お嬢ちゃん?どうしてここに?」
「黙りなさい」
リズの瞳が赤く染まるのと同時、スウィフト氏の喉から声が消えた。
リズの、【魅了の魔眼】だ。
「………ずいぶん強引に来たね、リズ。何かあったのかい?」
「ええ、最悪よ、ロディア。このままだと、多分貴女死ぬわ」
「………?どういうことだい、リズ?」
「簡単よ、見ればわかるわ」
何を言っているのか。眉を寄せる僕の目の前に、リズが歩いてくる。
近付いたことで、気が付いた。
リズの左腕が、半分ほど千切れかけていることに。
「リズ、それは………」
「さっさと帰るわよ、ロディア。………ここには、私をこうできる奴がいる」
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