第3話人形の街

 ナイショクの街に限らず、地方の街はその多くが堅固な壁で周囲をぐるりと囲んでいる。

 それはかつての大戦の名残であったり、自然の猛威に対する策であったり、或いはそれ以外の脅威に対する自衛策であったりするのだが、ここの場合は二番目、自然への抵抗として壁が造られた。

 前触れもなく吹く突風は、砂嵐となって街に達する。壁がなければ、まさに砂上の楼閣となること請け合いなのである。


「良く考えた、ともいえるけれど。私としてはなんだか、幼稚な印象ね」

 二十メートルはあるであろう巨大な門を見上げながら、リズは肩をすくめた。

「本当に、考え方が二百年は変わってないわね。敵が来るから壁を作る、乗り越えられれば更に高く壁を積む。………いっそ空に街を作れば良いのではなくて?」


 二百年か、とリズから簡単に飛び出た年月に僕は眉を寄せる。

 僕だって、記憶量だけみれば百年分、月と日のダンスを越えてきたと言えなくもない。だがそれを振り返り、たかが百年と思うことはけしてない。

 リズの口振りは、百年二百年はほんの一瞬だというような軽薄さがある。もしかしたら神話上にさえ語られる未曾有の大災害、【竜災ドラゴンフェス】さえも経験しているのかもしれない。

 いずれにしろ、僕は首を振った。


「たしかに幼稚かも知れないけれどね、リズ。必死さをバカにするものじゃないよ」

 それに、と僕は門に近付いた。

 その表面を眺め、一つの窪みを見つけ出すと、そこに手を押し込んだ。

 ずずん、と音を立てて、窪みが沈み込む。それに続いて、門全体が震え出した。

 激しい振動と共に、門はゆっくりと上に持ち上がっていく。僕は一歩門から離れて、目を丸くしてそれを見ているリズに微笑んだ。

「ここは、それなりに進歩しているよ」


 ………………………


 ナイショクの空は、

 周囲を囲む壁から壁に、街を覆う白い天幕が張られているのだ。

 もちろん全てを覆い隠してはおらず、風や数少ない雨を通すために隙間が開けられていて、そこからは容赦のない日差しが降り注ぐ。

 それを受ける建物は、岩に開けた洞穴のようだ。レンガを漆喰で隙間なく固めているため、白い一つの岩のように見えるのだと、僕の中でマギアが教えていた。


「まるで巨大な墓石ね」リズがまるで情緒の無いことを言った。「四角くする必要はあるのかしら?屋根も無いし」

「代わりに、棒を突き出して幕を張るんだ。屋根を造ると砂の重さで潰れたり、そこから落としたら下の人が危ないしね」

「あら、詳しいの?」

来たことがあるよ」


 僕は足元、敷き詰められた石畳の隙間を示す。丸い、握り拳程度の穴が開いているのだ。


「排砂口だよ。ここに砂を取り込んで、外に放出するんだけど、その動力源が特殊でね。マギアが興味を持って見に来たんだ」

「これは何かしら?」

「あ、危ない!」


 建物の壁に走る管に顔を近付けたリズを、慌てて引き剥がす。


「これは、蒸気菅だよ」

 抱き抱えられて不満そうなリズに、ため息を吐きながら教える。

「さっき言ってた動力源は、魔石と蒸気とを組み合わせたものでね。こうして街の中には管がある。たまに、そこから蒸気が出てくるんだ」

 当たったら、火傷は間違いない。リズにどの程度の被害があるのかは解らないが、まあ避けておくに越したことはないだろう。


「街中に、ずいぶんと危ないものがあるじゃない。大丈夫なの?」

「それは、大丈夫なのですよ、お嬢さん」


 突然の声に振り返る。

 背後から現れたのは、恰幅の良い男性ドグだった。着ている上等な衣服に、左右を固める二人の護衛らしいドグの姿。街の有力者らしい態度に、僕は彼こそが件のスウィフト氏だろうと当たりをつけた。


「もしかして、スウィフトさんでしょうか?」

「ええ、ナイショクの町長を務めております。そういう貴女は、ロディアさんですな?ようこそ、こんな田舎まで」

「いえ」差し出された手を握り返し、僕は首を振る。「この街の設備を見られるだけでも嬉しいのに、アークトゥルス号まで手配していただいて、恐縮です」

「いやいや、何せ、あのマギア・クラリスのということですから。最高の対応を手配するのは当たり前ですよ」

「………一番弟子、ね」


 ぼそりと呟くリズを、僕は無視した。

 僕は何も言っていない。この前の依頼人との騒ぎが曲解して伝わっているようだが、黙っている方が話は早いだろう。

 僕だって、学ぶのだ。正直は美徳かもしれないが、美徳だけで商売は回らない。

 それに。


「それを言うのなら、スウィフトさん。あなたも技工師なのでしょう?」


 僕の言葉に、スウィフト氏は軽く目を丸くした。それから、自分の右手を見てくすりと笑った。

「なるほど、先の握手ですか。手のマメや傷痕から推理なされたわけだ」

「………えぇ、まあ」


 実際は、マギアが幼い彼に会ったことがあるだけだ。子供だったスウィフト氏は、この街の技工師のあとを瞳を輝かせて追い掛けていた。その記憶を思い出したのだ。

 そうとは知らないスウィフト氏は、僕の評価を数段階引き上げたようだった。年齢ゆえに落ち窪んだ瞳に、きらりと鋭い光がよぎる。


「しかし、昔の話です。私には才能がなかったのですよ。何せ、【風生み鳥】の修理も出来なかったのですから」

「はあ………」


 僕は言葉を濁した。

 スウィフト氏は自らの才能を諦めたようだが、果たして情熱は消えたのだろうか。そうでなく、情熱だけが燃えているのなら、下手な発言は事態を悪くするだろう。

 それに、【風生み鳥】の修復が出来ないことが、彼の才能の無さを直接証明するものとは言えない。

 この街の【風生み鳥】ならば、

 幼いスウィフト氏の記憶は、連鎖的にもう一つの記憶を揺り起こしていた。


 砂漠の街ナイショクを造り上げた、一人の天才の記憶を。


「………さ、とにかく詳しい話は館の方で致しましょう。先程のお嬢さんのご質問にも、答えて差し上げられますよ?」


 ………………………


 建築物だけを見るのなら、ナイショクは無色の街だ。灼熱の日差しを跳ね返すように壁や道は白一色、街の周りには砂。心安らぐ森林の緑は、丸一日移動に費やさなければ見られない。

 しかし、ナイショクの街を訪れた者が抱くのは、それとは正反対の印象――色の奔流だ。


「………眼が痛くなりそうだわ」


 ポツリと漏らしたリズを、僕は責めなかった。正しくその通りだと思ったからだ。

 通りを行き交う人々は皆、例の民族衣装をまとっていて、その色は赤や黄色といった鮮やかな暖色で占められている。

 ちょうど、市場が立っている時間だからだろう。人の往来は激しく、視界を彩っている。


「ここでドレスを買うのは諦めるわ。この街ではファッションというのは、派手な色の布を巻き付けることみたいだもの」


 衣服を売る露店を覗いていたリズが、肩をすくめる。僕の見た限り、そこは絨毯売り場と言われても仕方のない品揃えだった。


「それは残念ですな、お嬢さん。しかし、これで安全の意味がおわかりになったでしょう?」

「ああいう分厚い布を巻き付けているから、蒸気を浴びても平気なわけね」

「そういうことですよ。顔まで覆ってますからね、ここでは子どもだってそうしている」


 僕は改めて、通りを眺める。

 マギアの記憶は、マギアがどう感じているかを教えてはくれない。それは事実の記録に過ぎず、感情は含まれていないのだ。

 それでも、僕はきっと、彼女はこの街が好きだったと思っている。

 街に住む者たちは、皆全身を布に覆われている。全身を――顔も瞳以外は隠れているのだ。獣人と人とを分かつ外見的特徴が、見事に隠れている。

 兎の獣人であるラヴィに関しては、その長い耳を隠せてはいないが、一番多い獣人であるドグはその尻尾以外には何も見えない。

 テントを広げて布を売る者、串に刺した肉を炙り、切り取りながら売る者。野菜、果物、何に使うのか解らない壺………商品は様々でも、売っているのは同じ、布の塊だ。

 買いに来るのも、布を巻き付けた人。獣人かも人間かも解らない、ただ人だ。


 時にいがみ合う、獣人と人。しかしここでなら、その区別は困難だろう。


「ねえ、あれはなに?」


 リズが、僕の服を引いた。僕は思考を中断し、少女が指し示す方を見て、ああと頷いた。


 そこにいたのは、一言で言えば樽だった。


 僕の腰くらいの大きさの円筒、その左右に一対の車輪と、細い腕が二本。背中には一本の煙突があり、そこから蒸気が吐き出されている。

 車輪で動く手の生えた樽は、行き交う住人の隙間を器用にかわしながら、地面から何かを拾い上げている。


「あれが、マギアが興味を持った理由だよ、リズ。

「人形?」

「そうだよ、ほら」


 よく見ると、人形は幾体もいる。ごみを拾い上げているものや、箒を持って砂を掃いているものもいるようだ。


「この街は、街を維持するために人形を使っているんだ。壁や天幕で防ぎ切れない砂を、彼らは除去しているんだよ。そのままにしていると、蒸気機関に詰まってしまうからね」


 そのつもりで見れば、人形の数はかなり多い。稼働しているもの以外にも、通路の脇で待機している樽もある。


「ここはね、リズ。かの天才マスター・シュトローマンが造り上げた、

 そして、色鮮やかな住人たちを眺めながら、微笑みながら付け加えた。

、人形の方が住人よりも多いかもしれないね」

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