第1話二人の永遠

 白い蒸気を吐き出す鉄の大蛇機関車を見上げながら、僕は思わず息を溢した。

 感嘆の吐息、というやつだ。

 まったく、いつ見てもこの威容には圧倒されてしまう。女としてはかなり高い自覚のある僕の背丈の、およそ三倍近くある。煙突のある機関車両に至っては、四倍はあるのではないだろうか。


 世界最大の大陸であるバオホ大陸。その南北を貫く【竜の背骨】鉄道の、その中でも最高級の性能スペックを誇る花形列車、アークトゥルス号は今日も万全の状態だ。過去最大の魔石動力炉ジェムエンジンを搭載した深紅の車体ボディーには、ぞくぞくする程の力がみなぎっていて、解放の時を今や遅しと待ちわびている。

 全六両の客室車両が埋まったとすれば、乗客は約百三十四人。それぞれの体重が四十キログラムとして、荷物を無視すれば総重量は五千三百六十キログラム。それに車両全体の重さを加えると………。


「………気が付いているのなら良いのだけれど、ロディア。貴女、ぶつぶつと煩くってよ?」


 呆れた調子の声に、僕の意識は思考の海から浮上する。心地の良い数式の羅列が消え失せ、蒸気音に混じって周囲の雑踏が聞こえ始め、そしてそれら全てを切り裂くようにの声が聞こえてくる。


「まったく、もう何度となく見ているでしょう?そんなに興奮することもないでしょうに」

「飽きることはないよ、これは世界最大の魔石工芸品ジェムアーティファクトだ。内部機構を想像するだけで何時間でも過ごせる」

「安上がりな人生ね、羨ましいわ、人形師ドールマスターさん」

「なんだい、そのあだ名は。僕は技工師だよ。魔石技工師ジェムエンジニアだ」


 ため息混じりに否定すると、僕は後ろ髪を引かれる思いでアークトゥルス号から視線を外し、声の方へと振り返った。


 そこにいたのは、それこそ人形ドールのような少女だった。


 外見としては、十歳程度。純金を溶かしたような長い金髪も、生まれて一度も日光に当たったことの無さそうな白い肌も、およそ現実離れした美しさだ。身にまとう黒いドレスも、袖口や襟に赤いフリルがふんだんにあしらわれていて、貴族の令嬢といった風体である。


 だが、その端正な顔に浮かんでいるのは、十歳の子どものはつらつとした笑みではない。黄金に輝く瞳は好奇の星に彩られ、薄桜色の唇は妖艶ささえ感じさせるほど魅力的笑みに歪んでいる。


「あぁ、悪かったね、リズ」僕は少女の名を呼んだ。「つい、夢中になってしまって。待ったかな?」

「待ちくたびれたわ、当たり前でしょう?」リズは大きなため息を吐いた。「私を待たせる愚か者は貴女ぐらいだわ、ロディア。………のことは、忘れていないでしょうね?」

「もちろんだよ」記憶力には自信がある。

「結構。では行くわよ、ロディア。私は早く座りたいの」


 言うが早いか、リズは踵を返すとさっさと客室車両の方へと歩き出した。僕は苦笑しながらその背を見詰める。


「ああいうところは、見た目通りの子どもみたいだな。………ん?」


 続こうとした僕の足が、何かを蹴っ飛ばした。

 何事かと視線を下ろすと、そこには古びたトランクが

 僕はため息を吐いた。待たせた償いは、荷物運びポーターらしい。まったく、こういうところはある意味見た目通りの貴族らしさである。

 文句を言う相手は、最早車内に入っている。僕は再びため息を吐いてから、トランクへと手を伸ばした。


 ………………………


 僕は常々、旅行の醍醐味というものは窓にあると思っている。果てしなく広がる世界を小さな四角いガラスに切り取るのは、美術館で名画を眺めるのにも似た非日常への没入体験だ。

 中でもこうして遠出をする際の風景は、歌劇オペラを一本見るよりも僕にとっては有意義な娯楽だ。


 バオホ大陸はとにかく広大で、東西南北どこを切り取ったとしてもまるで違う景色を楽しむことができる。

 北は極寒の氷雪地帯、そこから南下するごとに気温は上がり、やがて灼熱の砂漠が広がる。素人の作るごちゃまぜパイチャップドミクスパイのように、どこをとっても同じ景色はないのだ。


 そんな僕の細やかな趣味は、今現在、分厚いカーテンに遮られていた。

 僕の視線はおろか日光さえも通さない布幕のせいで、客室内は昼間だというのに蛍光石リトルライトランプを使わなければならないほどだった。


「………君は、日光を浴びたら死ぬのかい?」

 僕の問いかけに、リズはきょとんと首を傾げた。

「いいえ?そんなことあるわけないでしょう?ただ、嫌いなだけ。日差しって図々しいでしょう?私、図々しい方は嫌いなの」

「僕の嫌いなことは、エネルギーの無駄遣いだよ。昼間からランプを点けることとかね」

「あらそう。それは良い機会ね、人間万事思った通りにはいかないという好い例だわ」


 君が言うことじゃない、とは僕は言わない。どうせそんなことを言っても、、と言われて終わりだ。何せ人間ヒュムどころか、人口の九割を占める獣人のだ、リズは。

 エネルギーの無駄は、嫌いだ。


 諦めて、僕は座席に身を沈める。アークトゥルス号の一等客室のクッションは、我が家のベッドよりも優しく僕を包み込んでくれる。

 ここから見える景色は、さぞや良いものだろう。未練がましくカーテンを見詰める僕に、リズはため息を吐いた。


「まったく、そんなに煩く言うことじゃないでしょう?」

「何を言うんだ、リズ。あのアークトゥルス号の一等客室だよ?一生に何回見られるか………」

 思わず身を乗り出すと、リズはさも呆れたというように目を細めた。

「はいはい。幸運だったわね。仕事を断られて」


 その言葉に、僕は二日ほど前の出来事を思い出して、首を傾げた。

 仕事の面接に行ったのだが、どういうわけだか依頼人から断られ、追い出されたのだ。


「あれか。………何故、断られたんだろう?」

「当たり前でしょう、わからないのロディア?」


 僕は反対側に首を傾げた。まるでわからない。

 依頼人の求める性能スペックを備えているという自負はあったし、十全に発揮する自信もあった。それを説明もしたし、証明も怠らなかった筈だが。


 リズが、肩を落とした。

「本気で言っているのが貴女の美点であり、欠点よね………」

「逆に聞きたいのだけれど、君はわかっているのかい?僕の自己紹介プレゼンテーションに何か問題があったのかな?」

「あったわ。というか問題しかなかったと言っても過言ではないわね。貴女、自分が何を言ったか覚えている?」


 僕は記憶メモリーを探り、一秒もかからずにその場面を思い出した。


「『はじめまして、僕はロディア。世界一の魔石技工師ジェムエンジニア、マギア・クラリスの』だね」

「それよ」


 どれだ。リズの指摘に、僕は更に首を傾げた。

 いまいちピンと来ない僕に、リズはため息混じりに口を開いた。


「詰まり貴女は依頼人にこう言ったわけね。………僕は世界一の魔石技工師の記憶を持っていて、技術も受け継いでいて、だから依頼は完璧にこなせます、と。………撃たれなくて良かったわ」

「彼はただの仲介人ブローカーだよ。蒸気銃スチームガン魔石銃ジェムガンも持っているとは思えないね。それに、どうしてだい?僕の発言は依頼人にとって利益しかないと思うけれど」


 マギア・クラリスは、かつて世界一と謳われた魔石技工師だ。ありとあらゆる魔石用品を修復、修繕できたし、中でも魔石を動力とした機械人形にかけては国宝級とまで言われていた。

 彼女の手掛けた人形たちは、マギア・クラリス以外の誰にも直せないほど独特で、複雑だった。


 僕は、彼女の記憶メモリーを受け継いだ。技術テクノロジーももちろん持っていて、身体の隅々まで染み付いている。

 だからこそ、それを依頼人に伝えることは、相手にとってまさにメリットの塊だと思ったのだが。


「貴女、もしかしてご存知ないのかもしれないけど、人は普通生まれ変わらないのよ。転生者なんて、気持ち悪がられるだけだわ」

「そうまで言うなら僕も言わせてもらうがね、リズ。君だって問題はあったよ」

「あら、何かあったかしら?」


 ムッとして思わず声をあげた僕を、リズは不思議そうに眺めた。

 僕は立ち上がると、記憶の中のリズを再現した。


「『はじめまして、私はリズ。ロディアの相棒の【真祖吸血鬼エルダーノーブル】よ』」

 口調も声色も真似て、空想上のスカートの裾をつまみ上げた僕に、リズは子どものように笑った。

「うふふ、あはは、素敵なカーテシーだわ。さぞかし立派な先生に教わったのね?」

「君の真似だよ、リズ」

「あら、道理で」


 澄ました顔で頷くリズに、僕はため息を吐いた。


「君はご存知ないのかもしれないけど、リズ。人は普通吸血鬼なんか信じてないんだ。何せ【幻想種ファンタジスタ】は存在しないんだ」


 僕の言葉に、リズは子供じみた笑いを引っ込めると、意地悪そうにニヤリと笑った。瞳が真紅に染まり、三日月のように裂けた唇から鋭く尖った牙が覗く。


【幻想種】とは、かつてこの世界に存在したと言われる生物で、どんな生態系にも属さない個性的な生物らしい。生物学に真正面から喧嘩を売るようなその特徴に、世の学者たちは初め眉をひそめて立ち向かい、そしてやがて賢明な判断をした。

 

 何しろ、彼らは完全に絶滅している。世界に何の痕跡も残さず、ただ人々の噂や娯楽小説にその影を残すのみだ。

 今や民衆さえ、【幻想種】を笑いの種にしかしていない――何も知らない彼らは。


「詰まり、依頼人はこう言われたわけだ。私は居ない筈の吸血鬼で、相棒の仕事を手伝いますと」

「相棒のの仕事をね」

「………とにかく」口を挟んだリズに、僕は首を振りながら続ける。「信じられないのは仕方がない。認めよう、僕らの自己紹介は大失敗だったわけだ。しかし」

「ええ。おかげでに乗れた」


 僕はトランクを開け、中から封筒を取り出した。

 入っていたのは、この列車のチケットが二枚と、そして手紙。僕は記憶力はいい方だ――中身は、筆跡まで完璧に記憶している。


「………典型的なアーティファクトの修復依頼。砂漠の街ナイショクにて待っています、スウィフトより、か………」


 そろそろ白く輝く砂の海が見えてくる頃だろう。僕は窓に目を向けて、そしてため息を吐いた。

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