嘘を吐かない人形は。

レライエ

第0話闇に消える

 夜の道を、男が走る。

 月光石ムーンライトの仄かな灯りが照らす石畳は、男が幼い頃から慣れ親しんだ道の筈だったが、夜の闇に浮かび上がる今はまるで初めて見るような錯覚に陥ってしまう。

 レンガ造りの壁の隙間や、ときたまぽっかり口を開ける排砂口が吐き出す純白の蒸気は、まるで幽霊ファントムのように不気味に漂っている。


「はあ、はあ、はあ………」


 荒い息を漏らしながら、男は懸命に走っている。犬に似た特徴を持つ獣人、ドグの男は足の早さと体力に自信を持っていたが、しかし、どちらも失いつつあった。

 口を開け、舌を突き出す様は、溺れているかのようだ。目の焦点も合っておらず、明らかに酸欠状態で、足ももつれがちである。

 それでも。

 男は、足を止めはしなかった。


「はあ、はあ、はあ………くそ、くそ、くそっ!」


 思わず毒づいた言葉は、必要以上に酸素と体力を消費する。完全な愚行なのだが、しかし、男は我慢ができなかった。


 男は、逃げていた。


 服のあちこちがすっぱりと裂け、そこから赤い血が滴っている。明らかに、何者かの手による傷であり、しかもまだ時間は経っていない。


 現在進行形で、男は襲撃されている。

 忙しなく周囲の闇に視線を投げながら、男は追っ手の気配を探る。どこにいるか解らない、寧ろどこにでもいるような気がして、男は闇という闇に注意を払いながら走っていた。


「………うおっ!?」


 ………辺りに気を配りながら全力疾走するという行為は、疲弊した身には荷が重すぎた。

 慣れている筈の石畳の凹凸に、男は足をとられた。

 堪える体力は、最早全身のどこにも残っていなかった。勢いそのまま男は道に全身を叩きつけ、そのまま何回転かして路地裏のゴミ箱にぶつかり止まった。


 僅かな身動ぎで、激痛が走った。

 意識を失いはしなかったが、目眩と痛みで立ち上がることさえ出来そうにない。走るなどもっての外だろう。男はうめき声を上げながら、それでも這いずり、距離を取ろうとした。

 何から?もちろん、彼にしか見えない襲撃者からだ。


 シュウウウウという、この街特有の蒸気音にいちいちびくりと身を震わせながらキョロキョロと周りを見回す男は、はた目には正常には見えなかった。幻覚に怯え、転ぶか何かして全身を切り刻んだ男。そんな風にも見える様子で、男はとにかく動こうと試みた。


 そこに、は現れた。


 驚く間も、悲鳴をあげる暇さえ無い。が振るった腕の軌道に沿って、男の上半身は袈裟懸けに切り飛ばされていたのだ。


 あとに残ったのは、ピクピクと震える腰から下。奇跡的に無傷だった両脚と、暖かそうな尻尾だけが、徐々に広がる血だまりに残されていた………。




 ………極端な話。

 既に犯人を捕らえている今、現れたがしたことや、外見の詳しい描写をすることも可能なわけだが、この時点での視点は首から下と共に何処かへと飛んでいった訳でもある。ここは夜闇と蒸気に消えていった、とだけ記しておくとしよう。

 これは、僕とリズが遭遇した事件の記録だ。砂と蒸気と、そして人形たちの街で起きた、事件の記録。

 僕の名前はロディア。

 世界最高の魔石技術者ジェムエンジニアマギア・クラリスのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る