第14話 夜行列車は速度を落とす事はなく、振動と騒音を僕たち二人に与えながら走り続けるのだった

寝ていた僕は、身体をギュッと抱きしめられる感触に驚いて目を覚ましたのです。


これはいわゆる金縛りかと思ったのですが、どうやらそうでは無いらしく、何やらマシュマロの様に柔らかい感触と、ちょっと高級な石鹸の様な甘酸っぱい匂いに包まれています。


窓から差し込む月明かりの中で見えたのは、クラスメイトの吉川櫻子さんの顔だったのです。


彼女は寝ている僕のお腹に股がっていました。


貞操の危機というよりも、生命の危機と言える様な、いわゆるマウントポジションと言う状態でした。


吉川さん、どうして僕の寝台に⁉︎


混乱して、そんな風に叫びそうになった時、彼女は僕の口を細くて長い華奢な指で押さえると小さな声で静かにと言ったのです。



僕は通っている高校の修学旅行の為に、今は夜行列車に乗っており、車中で一泊して目覚めた頃には目的地である京都に着く予定になっています。


腕時計を見て見ると、まだ午前零時を少し過ぎたばかりです。


普通に考えてみれば、テンションの上がってしまう修学旅行と言うイベントで、こんな時間にグッスリと寝ているのは、友達がもともといない僕くらいのはずです。


そんなボッチな僕の動きさえ吉川さんはしっかりと抑え込むと、僕が体に掛けていた薄い毛布に潜り込んできたのでした。


「見回りの先生が来ているから匿ってちょうだい」


僕の耳元に唇を近づけて吉川さんはそう囁きました。


耳にかかる息がくすぐったくて、思わず、あふっと声を洩らしてしまいましたが、そう言われて僕はやっと状況が理解できたのでした。


ボッチで早々に寝込んでしまった僕とは違い、吉川さんは別の車両にある女子生徒専用の寝台車両から引率の先生たちの目を盗んで男子生徒ばかりの寝台車両に何人かで遊びに来たのでしょう。


そして、見回りの先生ががやって来たことに気がついて、吉川さんは手頃だった僕が寝ていた寝台に飛び込んで来たのだろうと予測できました。


「悪いごはいねが〜、悪いごはいねが〜」


通路と個人の寝台を仕切る薄いカーテンの向こうを、まるでなまはげの様に教師が通っていくのがわかりました。


短い時間なのだけど、毛布の中で吉川さんと密着している間は永遠の様に感じられて、彼女の心臓の音をなんとなく数えてしまった。


「どうやらバレずに済んだけど、先生が女子の車両の方に行ったからもどるにもどれない」


困った様にそう言いながら、吉川さんは毛布から顔を出したのです。


月明かりに照らされた彼女の顔は青白く、まるで昔のモノクロ映画の主演女優のようです。


白と黒のコントラストの世界の、主演女優でした。


僕は映画館の最前列で見るマニアックな観客の様なものなのだけれども、少なくともここに観客は僕しかいません。


だから気兼ねなく堪能することが本能であると言えるでしょう。


「ごめんね、五所川原くん。先生がいなくなったら戻るから。それまで少しの間、すこしじゃないかも知れないけれど、匿ってくれないかな?」


僕としては異論も反論も当然のようにありません。


ですが、どう考えてもこの状況では寝られないと覚悟するしかありませんでした。


「それは構わないのだけれど、むしろ大歓迎だよ。だけどこんな状態じゃあ寝られないよね」


そう言うと吉川さんは笑って言います。


「せっかく列車で旅をしていると言うのに、乗っている間はほとんど寝ているだけとかもったいないとか思わない?」


それは確かにそうだとは思いました。


僕が基本的に孤独を愛する人間だと言うことを除けば、僕らはまだ高校生であり、生まれ育った地元を離れた事など全く無いのに日本全土を横断する様な列車の旅で寝ているだけと言うのは確かにもったいない。


ましてや吉川さんと二人ならばなおさら寝ている暇など無いように思えてきます。


だけど今は夜であり、窓の外の景色を見たところで暗闇が広がっているだけの様な気もしますし、それはもう寝ていても問題ないのではないかと言う気もしてしまいます。。


僕がそう言うと吉川さんは窓の外を見ながら答えるのです。


「そんな事は無いわ。夜は夜の景色があるし、今日は満月だから明るい夜よ。窓の外を見て御覧なさい」


僕は言われて窓の外を眺めます。


夜空には満月が浮かび、その光が世界を照らしていました。


月明かりは雲や家々や山や海や街を浮かび上がらせていて、当然のことなのだけれども、そこに世界があると言うことを実感させてくれるのです。


僕は夜の世界を美しいと思いました。


そんな世界に吉川さんと二人きりです。


僕は夢でも見ているのだろうと思ったのです。


吉川さんとは一年生の頃から同じクラスでした。

薄い栗色の髪の毛と、白すぎて皮膚の下の血液がほんのりと浮かぶ桃色の肌を持つ彼女は異国の血が入っている様に見えました。


むかしロシア革命の時に亡命者がたくさんやって来て定住したと言う僕らの地元では、何代か前にロシア人の血が入っていると言うのはそう珍しいことでは無いのだけれど、吉川さんほど外国人寄りの人も珍しく、学校の中でも評判のべっぴんさんだったのです。


僕はどちらかと言えば、校内カースト最下層に位置する存在であります。

特に親しい友人もいなければ、部活動をしているわけでもなく、教室の隅で一日中机に突っ伏している様な尖った存在でもありませんでした。


当たらず障らず、無難に要領良く社会の荒波を単独で乗り切って行くことを信条にしていたのです。

そんなベストオブザ空気っを自称する僕にも恋心があっったって誰の迷惑になるわけでも無いだろうと思います。


告白したり、付きまとったり、ストーキングしなければ問題無しのはずです。


だから僕は吉川さんとずっと同じクラスでありながら、ほとんど会話らしい会話をしたことがなかったのでした。



夜行列車は速度を落とさず走り続けています。


走り続ける列車の音は意外とうるさくて、走行する為の振動も重なって、よくよく考えてみれば、吉川さんが飛び込んでくるまでよく寝れていたものだと自分自身に感心してしまいました。


もちろん今となっては、狭い一人用の寝台の中なので、僕の体の上に重なっている吉川さんの重みとそれ以外のいろんな柔らかさや、甘美な芳香の為に寝られないと言うのも当然でしょう。


「そう言えば五所川原くん、重くない?わたし、ズレようか?」


「いいや、ぜんぜん問題ないよ。むしろ、そのままでいいと言うか、そのままでいてくれた方がアリガトウゴザイマス」


僕がそう言うと彼女は笑うのでした。


「何か日本語が変だけど、大丈夫ならいいわ。そう言えば、五所川原くんとはずっと同じクラスだったけど、あまり話をした事はなかったわよね。じゃぁ、私が戻れる様になるまで、何なら朝までお話をしましょう。そうしましょう。夜はまだまだ長いものね」


吉川さんはそう言って僕の首に腕を回すと、耳元に唇を近づけると小さな声で囁きながら話し始めたのでした。


僕は彼女の身体を両腕で抱きかかえる様にして、彼女の言葉に耳を傾けるのです。


夜行列車は速度を落とす事はなく、振動と騒音を僕たち二人に与えながら満月に照らされた夜の世界を走り続けるのです。













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素人道程~僕の前にも後ろにも道はない~ 押利鰤鰤 ◆r5ODVSk.7M @buriburi

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