セリフを開ける理由と挟まない理由
今回は私の作風に関する話なので、読む価値はあんまりないです。何でそんな書き方してるの?って思った人だけがその疑問が解けてちょっと満足する、そんな内容です。それでもよろしければどうぞお読みくださいませ。
で、なぜ台詞を1行開けて書くかなんですけどこれ、遡れば拙作短編の「森の魔女」から始まっているんです。
この作品で私が挑戦したのが「」を付けずにしゃべり言葉を表現すると言う事でした。
何故そんな事をしようかと思ったのかと言えば、この話の会話文に「」はいらないような気がしたからです。そうです、フィーリングです。
「」を使わずに会話文を書こうとしたら何か「」の代わりになる区切りが必要ですよね。
そこで1行開ける事にしたんです。
「森の魔女」でそう言う書き方をしたので、以後の作品でも会話文の後に1行開ける謎の癖が付いてしまいました。
でもこの書き方、いい事もあるんですよ。普段は1行開ける会話をして、周りがざわざわしている時は行を開けずに表現すると、ざわざわ具合がそれだけで分かるようになるんです。利点があるとすれば思いつくのはそれくらいです。
カクヨムに来て色んな作品を読んでいると、たまに同じ書き方をする人に出会って妙な親近感を覚える事があります。そう言う書き方になったのには多分それぞれの理由があるのだと思いますけど、結果的に同じ表現方法に辿り着いたんだって思うと何か面白いですね。
さて、もうひとつの挟まないって言うのですけど、これは地の文の中に会話文を挟まないって言う意味です。
例を挙げると――。
清音は「おはよう」と言いながら私の前に現れた。まだパジャマのままの彼女はもちろん寝ぐせも大爆発。私は思わず「お、今日も決まってるね!」なんて軽口を叩いたのだった。
こんな風な書き方ですね。
昔はたまにそう言う書き方もしていたんですけど、上記の1行開ける書き方が普通になって、地の文に会話文を混ぜると会話文の扱い方がおかしくなるような気がしてきたんです。なので書かなくなりました。
今では会話文は会話文だけ、地の文は地の文だけとはっきり分けて書いています。
この書き方だとたまに表現が難しくなる時もあるんですけど、そこは上手い事工夫しています。うまく行っていない時もあるとは思いますけど、そこは大目に見てくださると嬉しいです。
本当なら執筆する話によって色々作風、文体を変えた方がいいとは思うんですけど、この書き方は変えたくないですねぇ。今はそう思っています。
ただ、書いていく内にそうなった流れがあるので、今後もまた書き方は変わってくるかも知れません。
そうなったらそうなったで、楽しく読んでくださったなら幸いに思っています。
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