感情の渦

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 モップを壁に立て掛け、机の移動を始める一真。


「あの野郎、人の話は最後まで……」

「ん? 何か言った?」


 首をかしげ、不思議そうに見つめてくる久和。


「いや、何でもない」


 軽く手を振り、流す一真。それから一真は机を運びつつ久和を観察してみた。


 転校生の久和結弦。


 その身体は線が細く、男でありながらか弱そうな印象を一真は受けた。顔だけでも見れば男とも女とも取れるし、今はこの学校の男子制服を着ているが、女子の制服を着ても違和感がないのではないだろうか。


「そういや、お前何でここにいるんだ? 顔出しは明日じゃなかったのか?」


 普通なら朝に登校するはずだ。なぜ放課後の今になって姿を現したのだろうか。 

 

「明日転入する前に、ちょっと学校を見学しとこうと思ってね」


 聞くと、久和は学校の中をあちこち歩き回っているようだ。そのついでに、明日から自分が学ぶ教室も見ていこうと考え足を運ぶと一真と遭遇した、という経緯だったそうだ。


「物好きなやつだな」

「君は?」

「あん?」

「名前だよ。君の名前」


 そういえば、まだ自分の名前を明かしていないことに初めて気づいた。明日も自己紹介などするだろうが、今自己紹介しても大して変わりはない。


「斑目、斑目一真だ」

「斑目、一真……」


 名前を聞いた久和は急に深く考え始めた。


(何だ? 俺の名前に聞き覚えでもあるのか?)


 一真は肇と共に学校ではそこそこ名が広まっている。よくイタズラや教師を怒らせているせいだが、それはあくまで学校内での話だ。やっていることも授業をサボるとか、教師の車に落書きを書く(消しやすいように水性のペンで)とか、そんな些細な程度だ。他校にまで一真の名が知れているとは思えない。


「俺の名前に聞き覚えでもあるのか?」

「えっ? ああ、ごめんごめん。ちょっと変な名前――もとい珍しい名字だなって」


 変? 今こいつ変って言ったか?


 初対面の相手でありながら、気負いすることなく「変」と口にした久和。


(作者だな。あの野郎、本当に俺を殴らせたいのか)


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「どうだ。初対面のやつに自分の名前を馬鹿にされる気分は」


 手ではなく口でパソコンに向かって俺は一真に喋った。本来ならこんなくだりは要らないのだが、先程の仕返しと思い無理矢理ねじ込んだ。


「はっは~。一真、お前は所詮俺の手のひらで踊るしかないんだよ」


 カッコいい台詞を言っているが、やっている内容は子供じみたただの嫌がらせだった。


 俺は、自分がくだらなく幼稚な行いをしたという自覚もなく執筆を再開した。


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「そういえば、一真は何で一人で掃除をしているんだい?」


 久和が今さらな質問を一真にしてきた。


 いきなり下の名前で、しかも呼び捨てにされて一真は一瞬イラッともしたが、クラスメイトになるのだからそのことは追求しなかった。


「ああ、これはな」

「もしかして、いじめ?」

「違うわ、アホ!」


 久和の台詞に思わずドン、と乱暴に机を置いてしまう。


「ウチのクラスの決まり事でな。朝礼の鐘が鳴ったときに教室にいないと、遅刻扱いになるんだ。その遅刻者は罰として放課後掃除をさせられる」

「ああ、遅刻したんだ一真」

「ウチの先生は容赦しないからな。お前も気を付けた方がいいぞ」


 一つずつ机を運びながら久和にそう答えた。


 それからしばらくは会話もなく、ついに一真は掃除を終えることが出来た。時間を確認すると予定通りだ。これならイベントに間に合う。


 帰り支度を始めているとまた久和が一真に話しかけてきた。


「ねぇ、一真」

「何だよ?」

「一真は楽しいかい?」

「楽しくねぇよ、掃除なんか」

「違う違う。掃除が、じゃなくて日々の生活が、だよ。一真は毎日が楽しいかい?」

「あ~、そういうことか。まあ人並みには楽しんでいるとは思うが」

「こんな世界でもかい?」


 久和の台詞に一真は彼に振り向いた。


「どういう意味だ?」


 今度は一真が質問したが、久和は答えない。


「おい、どういう意味かって聞いて――」

「世界は残酷だよ」


 そう言って久和が教室の中を歩き出した。


「世界は君が思っているほど楽しいものじゃない。君の知らないところでは今も悲しみに打たれ、絶望に苦しむ人達が何人もいる」


 いきなりの内容に一真は訝しんだ。戦争とか飢饉とかそういう話だろうか。だが、久和の話ぶりは別の内容を語っているような気がする。


「表と裏。光と影。まるで正反対でありながらも、両者はお互いがなくては生まれることはない。相反するものが隣り合わせになければ存在できない。それはこの世界にも当てはまる」


 机と机の間を縫うように歩きながら語り続ける久和。


「楽しい人がいれば悲しい人もいて、喜びに震える人がいれば絶望に震える人もいる。負の感情なんてなくなればいい、なんてよく聞くけど、その負があるからこそ世界は秩序を保っている」


 そして久和は一真の前まで来ると歩を止めて、お互いが向き合う形で立ち尽くす。


(何だ? 何を言っているんだ?)


 先程から久和の意図がはっきり掴めない。


 光と影?

 世界の秩序? 


 一真には全く理解が出来ない。


「一真。今君は僕に対してどんな感情を抱いてる?」


 そんな一真の心境を無視するように、久和がまた質問してきた。久和の話の意図が分からないながらも、一真は今抱いた感情をそのまま伝えた。


「面倒くさい」

「……あはっ。いいね、正直に答えてくれてありがとう」


 口許に手をあてて軽く笑い、再び久和は質問した。


「じゃあ、その『面倒くさい』という気持ちはどこから来たと思う?」

「どこから? そんなもん俺自身からに決まってるんだろ」


 そう一真が答えるが、久和は何も返答せずに教室の入り口へと歩き出した。


「おい、待てよ。今の質問の意味は何ーー」

「『感情の渦』」


 そう一言口にしてから久和は廊下へと姿を消した。


「おい、何だそれ。どういう意味――」


 すぐに一真は廊下へと飛び出したが、そこには久和の姿がなかった。


「なんなんだ、あいつ……」


 一真はそこに立ち尽くしていた。


 光と影。世界の秩序。そして久和が最後に言った感情の渦。

 

 久和は何を言いたかったのか。何を一真に伝えたかったのか。


 考えるが答えは見つからず、一真は薄暗い廊下をただ見つめていた。


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