流星群 ――二十六歳・昔の仲間と二人
『もう、何もかもが嫌になった』
そんなメッセージが届いたのは、四日前の事だった。相手は高校以来の腐れ縁で、二年前の飲み会を最後にやりとりすらしていない奴だった。
『マジか。生きろ』とだけ返信すると、すぐに『次の土曜の夜、暇?』と返ってきた。
閉口したまま暫く画面を見つめていたが、友達と言うより『馬鹿な仲間』と呼ぶべきそいつのそんな誘いを、断れるはずは無かった。
そして土曜日。飲みに行くにはまだちょっと早い時間、お洒落なメロンみたいな色の夕暮れと落ち葉が広がる駐車場に、ヤツはいた。
「……なに、これ?」
来た事も無い駅から歩いて徒歩十分。目の前に並んだ二台の原動機付自転車――いわゆる原付と呼ばれる類のバイクに、呆気にとられた顔が引きつる。
「原付。免許、持ってるっしょ?」
「いや、持ってるけども……」
持ってなかったらどうするつもりだ。失効してたりって可能性を考えないのか、こいつは――ああそうか、考えないな、そうだった。
軽く白目をむいて納得すると、奴はおどけた様に両手を広げてニヤリと笑った。
「好きな方、選んでいいよ」
「別に……」
言いながら奴の足元の二台を見比べる。完全にお爺ちゃんが乗るタイプだろう無難で無駄のない伝統的なデザインの名車スーパーカブと、モデルか何かが宣伝していそうな丸くてちっちゃくて可愛いカラフルな奴。
「……」
無言で後者に歩み寄り、頭にちょこんと乗せるタイプのヘルメットをかぶって顎の下でパチリと止めた。
「はは、似合うじゃん、ヘルメット」
笑った仲間の言葉を、ふんと鼻を尖がらせて一蹴する。
「まあな」
言いたいことなど分かっている。賭けても良い。次にお前はこう言うだろう。
「あはは、昔、そんな髪形だったよね? 高校ん時」
「うっさいわ」
犬歯を見せつつ後ろ髪を襟にしまい、スタンドを蹴って意外と軽い車体を前に出す。タイヤが地面にバウンドする感触が少し心地良かった。
「……で、どこにいくんだ?」
「フォローミー!!」
睨みつけながら尋ねてみると、ナポレオンの様に手を振りかざした奴は秋の空にそう叫んでアクセルをひねった。
オレンジの駐車場に嘶きを響かせ駆け出すスーパーカブには、歴戦の名馬にも劣らない美しさがあると知った。
ほとんど車の通らない道を縦に並んでダダ走りコンビニで休憩を取った頃には、群青が辺り一面を覆っていた。
『風を切って走る』といえば聞こえはいいが、原付のちょい乗せヘルメットでは切った風が顔面に当たる。しかも十月の中旬を過ぎた山の風。『殴った拳の方が痛い』とか言う超謎理論がこれ程当てはまるのかと言う位に、切ったはずの首筋と顔面が寒かった。
「さっ、っむぅうううううい!!!」
あまりの寒さにテンションも上がり、山道に怒りを叫び散らす。
すると、
「さっみいいいいいいい!」
というやけに低い山彦が、ヘッドライトが作り出す光輪の中を走っていたバイクの上から返ってきた。
「おい! こんな寒いなんて聞いて無いぞ!?」
「俺も俺も! 聞いて無い!!」
少しアクセルを開いて車間を詰めながら怒鳴りつけると、奴は一瞬こっちを向く。無邪気な笑顔にイラっと来た。
……まあ、予感がしなかったと言えば嘘になる。
二日前、集合場所の地図と共に『オーロラを見に行くつもりの服で来て』というメッセージが届いた時から。どこか寒い所に連れて行かれるのだろうと。しかもこいつの性格からして、かなりクレイジーな場所なのだろうと。
だから、どこに行くのかなんて聞きはしなかった。
だけど、まさか原付だとは思わなかった。しかもちゃっかり顎までを覆うウインドブレーカーを着ている奴とは違い、こちらは駅ですれ違った人がきょとんとする程度に季節を先取りしたコートなのだ。街中で恋人の隣を歩く分には丁度良くても、山道を時速数十キロで風に突っ込むイカれた馬鹿野郎共の為には出来ていない。現在進行形で隙間から入り込んだ颪がキューンと隙間へと抜けていく。
ああこれはキレても良い。こちらにはキレるだけの理由がある。
さて、どうやって切れてやろうか。
『うまいこと前輪で後輪を弾いてガードレールの向こうにドーン!』から『映画みたいにグワーッと車体を持ち上げて後頭部をガリガリガリッ!』まで、頭に浮かんだ八十八の面白いキレ方を吟味していると。
「急ごう!」
とヤツが真面目に叫んで来たので、黙って夜道を照らし走る峠の妖精と化す事にした。
地面に紐が敷いてあるタイプの簡易駐車場に、車がたくさん並んでいた。自販機の脇に原付を停めて、あったか~い飲み物を両手で擦りながら歩き出す。
「……やっぱホンダは違うな。乗り手の気持ちがマシンに伝わってるみたいだ」
ほとんど光の無い林の中をまるで目的地があるみたいに歩く奴の背中で、独り言の様な誘い水をぼそりと呟く。
正直に言って、ちょっと不安になってきたから。
『かっこいい』も『モテたい』も投げ出して、ひたすら『面白い』を追求した青春仲間としては信頼しているが、それ以外の部分については今も昔も興味が無かった。
故にあらぬ誤解を受けて苛立ったりもしたけれど、かといって単純に『友達』と呼ぶのも少し恥ずかしくて、なんだか勿体なかった時間と、その関係。
――だから、知らない。
まるで凍結されていた時間が溶け出す様に、何年経っても。こいつと会えばそこはあの馬鹿げた青春ごっこそのもので、『変わってないな』なんて言葉を免罪符に手を叩いてケラケラと笑い合うだけだった。
――だから、何も知らない。
こいつがある程度信頼できる奴だとしても、社会に出てからの交友関係なんて知りもしないし、世の中には間違いなくとんでもないクズがいる。
もしかして何かの借金で首が回らなくなっていたり、あるいは良からぬ薬に溺れていたり、はたまた謎の儀式や集団自殺などなどと。
黙りこくってスタスタ歩く昔の仲間の背中で、持ち前の被害妄想で目を白黒させていると。
「……おお」
ふわっと頭の上が広くなり、目の前にはだだっ広い草原といくつかのテント。
「キャンプ場……か?」
言葉にしながら、思っていたそれより静かで暗い草むらを歩く。時間も時間だからかバーベキューをしている輩もいなければ、騒いでいる人の声も聞こえない。
地面に座っている人達の微かな笑い声と、その顔を仄かに照らし上げるランプと。
黒魔術の類かと思ったが、それにしては皆バラバラでテントを立てている人もいれば花見の様にシートの上に車座になっている家族もいる。
リュックから取り出した安っぽいシート、差し出された毛布。匂いを嗅ぐと、暗がりの中で仲間が苦笑した。
隣に倣って寝っ転がると、満点の星空が目の前に広がった。
「……これを見に来たのか?」
確かに綺麗だ。とても。――でも。
隣で一人闇にまぎれた横顔に向けて、随分とロマンチックになった物だな、と出かかった声を。
「あっ!」「流れた!」
というはしゃいだ声が遮った。
首を曲げて見れば、大人も子供も空を見上げていて。次の瞬間、思い出したように次々と消えていくランプと懐中電灯の灯り。
それで、ああと思い出した。そういえば今日はどこかの流星群が来る日だとニュースサイトの記事で見た。ついこないだもそんな事を言っていた気がするけれど、何かしらが十年振りなのだという。
「……ぉぉ」
それは、とても素敵な光景だった。息が白くなる程に冷たい空気。視界の全てを埋め尽くす色とりどりの星と夜。その間をあっちへこっちへ気ままに落ちていく星の数々。願い事を口にする余裕もなくはしゃぐ他人の歓声。自分が動く度に身体の下で草が潰れる音。
何と言うか、リアルだった。動画で見たことのある流れ星など比じゃない位、リアルで、五感を飛び越え直接感情に触れて来るその光景は、まさに『天体ショー』と呼ぶにふさわしいライブ感。我ながらキャラじゃないとは思うけれど、正直に言ってとても好きな感じだった。
ただ、夢中で目を見開いている内に少し気になったのは。
「お前、ホントにこれが見たかったのか?」
星の間を流れる星に目を向けたまま聞いてみると、さっきからずっと気の無い顔で空を見上げていた奴は言葉をくゆらせて。
「……ん、別に」
と詰まらなそうに口にした。
また少し、イラッとする。せっかく人が隣で楽しく綺麗な風景を眺めているのに、それを『別に』とは何事かと。
「ふん。悪い癖だな。お前のそう言う所がダメなんだ」
「そう?」
空に打ち上げられた間抜けな声に、小さく頷く。
「ああ。有体に言って、一緒にいて楽しく無い。そうやって斜に構えるところと、ゴールが見えて来ると途端に詰まらなそうになる所が、昔からな」
苦笑が響いた。『うわー』と呟き、胸を押さえる仕草。
それを耳で聞き、自分の言葉が的確に相手を抉った快感が湧いてきた。
「……ちょっとは楽しそうにしろ。何しに来たんだ、お前は」
暗闇に、自分の声が広がっていく。それがすっかり薄まって冷たい空気に飲まれた頃。
「ふて寝」
と奴の声がした。
「……は?」
「言ったっしょ? 何もかも嫌になったって。だから、ふて寝しに来た」
「……はあ?」
思いっきり眉をしかめ、それから思わず吹き出しながら。
「ここにか? わざわざバイクなんか買って、こんなとこに、流れ星を見ながら?」
「うん。ホント嫌になったからさ、手間暇かけて、最高の景色に対して最高のふて寝をかましてやろうと思ったんだよね」
笑った。あははと声に出して、芋虫みたいにくるまった毛布を曲げて跳ねる様に。
「そうか。それはいい。職人レベルのふて寝だな。で、どうだ、気分は?」
やつはふんと鼻を鳴らした。
「クソだねホント、流れ星。最悪だよこんなの。人の気も知らないでチカチカしやがってさ」
「はは。そうだな、凄く綺麗だ」
「うん。思ってたよりずっとアホ臭い。ただ流れてるだけじゃんか」
「ああ。ホントに。来て良かった」
「同意」
それからしばらく星は夜空を流れ落ち、集まった連中は燃え尽きる命に歓声を上げ続けた。
それを奴は、相変わらず高校の教室みたいに世界の隅っこで寝たふりをして薄眼に眺め――。
明け方、冷えた身体と寝惚けた脳味噌を揺さぶりながら朝露に濡れた草むらを抜け、湿っぽい山道を慎重に下り、喫茶店で最高のパンケーキを食べて、せっかくだからと乗りつけた奴の自宅の前で『またいつか』と言って別れるまで、何があったのかは聞かなかった。
他人の本気の愚痴に興味などないし、そんなものであの美しい流星群の思い出を汚されたくは無かったし、多分聞いたら負けだと思ったから。
帰り路、電車の中で「ありがと。頑張れ」とだけ送ると、すぐに「こちらこそ。そちらこそ」と返ってきた。申し訳程度に「あと、誕生日おめでとう」なんて付け足して。
「……明後日な」
私は笑って、それを誤魔化すように見慣れぬ車窓に目を移した。
せっかくの週末が青春ごっこと惰眠で消えてしまうじゃないかと大げさに肩を竦めながら。
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