恋人 ――もうすぐ二十歳・大学生(乙女)
吉岡君は、私の恋人だ。それと同時に、変人でもある。
いや、いかにこの私が愚かで矮小かつ狭量な人間とはいえ人にはそれぞれに個性と言うモノがあり、それを尊重しなければならないという事は分かっているし出来うる限りそうして行きたいとは小学生時分以来深く思っている。
それを前提としたうえでなおどうしてこの真面目一徹な私が己の恋人である男性を変人などと評するかと言うと、それは全て彼の人間性に起因する。
例えば今、吉岡君はテンションが高い。空っぽの買い物かごを背中に回し、軽く鼻歌を歌いつつ、ぴょこぴょこと跳ねる様にスーパーの陳列棚の横を歩いている。野菜コーナーから始まって、魚牛豚鶏と並んだ肉々しいコーナーと乳製品を見比べながら楽しげにスーパーの中を邁進している。
すでに半周以上を終えているのに、依然そのお尻の辺りで揺れる緑の籠は空のままだ。
そして、ときどき何やら艶めかしい腰つきで籠とお尻をくねらせたりする始末。
何しに来た、吉岡。
周りを見る限り、夕方の一般家庭向けスーパーにそんな奴は他にいない。見よ、向こうの棚の影で幼女がこっそりお母さんの腕の影に隠れる姿を。かろうじて彼の後ろをついて行く私と言う女子の存在が『危ない人』を『変なカップル』に偽装してくれているのだという事にもお構いなしで、奴は愛しの彼女を振り向くこともせずに一人『俺散歩』を楽しんでいる。謳歌している。ダンスしている。その尻を、私はまじまじと見つめている。吉岡君は、常に私の観察対象なのだ。
なので、自由恋愛という一つの闘争の果てに我々が恋人という既成概念に収まる前から、私はすでに彼に対して変人の疑いを掛けていた。
彼は極端な偏食家で――というよりは、かなりのハマリ症で、会うたびに同じ店の同じパンを食べていたり、いつの間にかそれが焼きそばに変わっていたりした。去年の彼の誕生日にも、当時彼が毎日履いていたのと同じスニーカーを皆でプレゼントしようとしていたのだが、それを受け取った彼の反応はいま一つだった。見れば、彼の足元は冬だと言うのにサンダルだった。
そう言った彼独自の流行を観察している内に、やがて私はその周期を解明するに至った。一か月。ほぼ一月おきに彼の好みは次のモノへと移っているのだった。
『熱しやすく冷めやすい』。長い観察と研究の果てにそんな彼の性格を知っていた私が、ある日突然始まった情熱的かつ執拗な吉岡君のアプローチを無視しつづけたのは当然の事だ。それは恐らく一種の熱病。風と共に去る偏愛。そんなもの、乙女の自己防衛本能が全力出動だ。
しかしそんな防衛活動も及ばず、やがて私が心折れ、吉岡君のしつこい求愛に降伏してから約一年。
どうやら彼の『私ブーム』は過ぎ去っていない様だと感心していた矢先に、吉岡君は突然下手くそな鼻歌とこの艶めかしい腰の動きを始めたのだ。
話を聞くに、先日動画で見つけたちょっと前の韓国のアイドルグループの曲らしい。
『どうして今頃?』と思わなくも無かったが、それ以上に疑問だったのは『何故私に?』だ。恋愛関係にある女性に向かって、スマホやパソコンに保存した特定の女子の動画や自撮りを見せつけながら『この子可愛いっしょ?』などと執拗に同意を求めて来るとは何事だろうか?
同意できない訳では無い。もちろん可愛い。当たり前だ。向こうはプロだ。プロが振りまく『可愛い』なのだ。プロがプロの海で行う自撮り一本釣りなのだ。そんなの可愛いに決まっておろう。
しかし、何故それを私に見せる? しかも何故その子なのだ? もっとエロくてセクシーで美人なお姉ちゃんが溢れている隣国のアイドルにあって、一体何故、よりにもよってそんな背が低くてキュートな明るく元気でやんちゃな感じの子を好きになるかね? そこはエロにしておけ。男らしく光に集まる虫の様にエロスに惹かれるわけにはいかないか? まさか私にこういう感じになれとでも? 断固拒否だ。無理なのだ。私は無駄に背が高く、清楚寄りの地味さを売りに生きているのだから。
『ムーンライッ』などと言う調子っぱずれな彼の歌を聞きながら、私はこのいささか慎ましい胸の内に湧いた不快感がふつふつと沸騰し、怒りへと変貌していくのを感じていた。そう、私は怒っていた。おかんむりなのだ。
そもそも私と彼が恋人関係に至ったのは、私が随分と前にオークションに出したまますっかり忘れていた『恋心』に対して、彼が必死で落札を仕掛けて来たからに他ならない。
忘れるな、吉岡君。私は重い。重くて真面目な割れモノなのだ。
なので落札額は君の全財産及び人生の半分、そして送料は今後一切の貴殿の愛と勇気と恋心である事を。
この重たく繊細な恋心をお客様の元へと運ぶのにどれだけの体力と精神力が必要なのかを思い知れ。賃上げしろこの野郎。
私は激怒した。
偉大なる先人を差し置いての激怒に、『許せメロス』と呟きながら拳を走らせる。拳は見事、右へ左へ弧を描くように揺れていた彼の尻に炸裂した。吉岡君が振り向く前に、私はすかさず白目を剥く。
そのまましばらく恋人に白目を見せつけた後、瞳を現世に戻して見ると吉岡君はなんだか嬉しそうに笑っていた。
私は閉口。何だその笑みは。まるで飼い猫が膝に乗って来たかのような顔をしているじゃないか。私は愛玩動物に成り下がった覚えはない。なので、唇をむぐっと結んで怒りと屈辱を表明する。遺憾である。ついでにぷうっと頬を膨らませてみた。どうじゃワレこら、可愛かろうに? 乙女が恋人にしか見せない怒髪天の形相だ。
しかし、吉岡君はそんな私に構うことなく、両手を広げてこう聞いた。
「で、何が食べたい?」
と。
私は思わず首を捻る。ああ、そうか。そう言えば先日、吉岡君が手料理を振る舞ってくれると言っていたのだ。そこで我が恋人は本日自分が愛用しているスーパーのラインナップを私に見せ、何か食べたい食材を選んでもらおうと考えていたのだろう。ふん、馬鹿め。
「チキンラーメン」
片手を腰に当てて仏頂面で私が言うと、吉岡君は一瞬目をしぱしぱさせてそれから『へへっ』と笑いながら『よしわかった』と勝手知ったるスーパーの中を歩き出した。
その隣を歩きながら「楽しそうですな」とニヤケ面を覗き込むと、彼は大いに頷いて。
「うん。すっげー楽しい。何つうか、夢だったんだよね。すげー好きな女の子と夕飯の買い物するの」
と言う様な事をのたまった。
……うん、やっぱり変な人だ。こんな短い文の中に『すげー』が二つも入っている。頭が悪い。あと、夢が小さい。小さいぞ、吉岡。
私は自慢の黒髪を両手で引っ張り鼻の下でクロスさせつつ小さな男の後ろを歩く。
そして、彼がにこにこと籠に入れたチキンラーメンの六食パックを無言で棚へとつまみ返した。
振り向く彼。その目を直立不動で見つめる私。首を捻って、もう一度チキンラーメンを手に取る吉岡君。すかさず棚に戻す私。サッポロ一番もチャルメラも即座に棚におかえりだ。確かに私は、常日ごろサッポロ一番(塩)に卵をグルグルした奴かチャルメラにごま油を掛けたモノがあれば他には何もいらないと公言してはばからない系女子ではあるが、今日この期に及んではそんな物で私の怒りは鎮まらない。生血だ、生血を捧げろ、愚かなる浮気者よ。天使の怒りを思い知れ。
困った顔で振り向いた我が恋人に、私は唇だけで『オムライス』と呟いた。
それで我が意を得た吉岡君は、僅かな緊張の面持ちで『おう』と言った。
そう、彼は先日『バイト先でおいしいオムライスの作り方を覚えた』と自慢していたのだ。
ならば捧げろ。そのオムライスの初めてを私に捧げるがよい、吉岡君。
すれ違う人に道を譲り、ゆっくり牛乳を選んでいるおばあちゃんカートの後ろで待機する恋人の揺れ尻を観察しながら、私は頷く。
うん、やはり。吉岡君はつくづく変人だ。なにせ、私みたいな女の事がすげー好きらしい。それと同時に、私達は恋人でもある。出来るだけ長く、すげーそうでありたい。
時間と共にやってくるだろう互いの変化とウチのアレな父が許すなら、彼が最後のオムライスを作る位まで。
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