じいちゃん家 ――十四歳・男(孫・息子・人間)


 

 夏休みのある日、写真を見つけた。

 田舎のじいちゃんの家で見つけた、知らない男の人と女の人が映った写真。

 父さんに聞くと、それはじいちゃんとばあちゃんの若い時だと教えてくれた。


 じいちゃんが、じいちゃんじゃ無かったときがある!


 びっくりしたのと良く分からないのとでぐにゃぐにゃした頭のまま、縁側で煙草をふかしていたじいちゃんの元へ飛んで行って、日に焼けた腕に噛り付くようにして質問した。

『じいちゃんは、いつからじいちゃんになったの?』って。


 それから毎晩、じいちゃんは答えてくれた。何でも教えてくれた。

 じいちゃんが子供の頃に流行った遊び、カブトムシの採り方、ことわざの意味、テレビが初めて来た日の事、ヘリコプターに乗った話。それから、生まれた頃に死んでしまったらしい婆ちゃんの思い出。

 その話を聞いた時、きっと自分も死ぬのだという事に気が付いた。


 怖くなった。怖くて怖くて夕飯もろくに食べられなくて、布団に入っても寝付くことも出来ず、かび臭い天井に押しつぶされそうになったのを覚えている。

 それで、キロキロと虫が鳴いている夏の夜、冷えた廊下を裸足で歩き、蚊取り線香を炊きながら庭を見ていたじいちゃんに『俺も死ぬの?』と聞いてみると、煙草を咥えた口をニヤッとさせて、じいちゃんは言った。『そうだろな』って。



 やがて、風呂や冷蔵庫の汚さが目につくようになり、テレビ以外に何も無い田舎に行くのが面倒に思え始めた頃。すでにだんだんと会話が怪しくなり寝転がっている事が増えていたじいちゃんは、入院することになった。


 最後に会ったのは一年前。

 その時にはもう随分ボケが進んでて、施設を訪れた孫の顔も覚えてはいない様だった。

 その出来事と部活を心の言い訳にして、それ以来見舞いに行ったことはなかった。行きたいとも思わなかった。


 両親からこぼれてくる話では、じいちゃんは結構な厄介者で、病院でも突然『家に帰る』とか、『煙草をくれ』とか言って暴れたりしたらしい。じいちゃんの話をする時、両親は決まって困った顔をしていた。

 そういうじいちゃんは、嫌いだった。



 だから、死んだと言うのを聞いた時も『そうだろな』と思った位だった。

 神妙な顔で通夜に集まった親戚も、今はもうお酒を飲んだりして楽しそうだ。



 笑い声さえ聞こえる夜に、鳴いているのは庭の鈴虫くらいだなって。



 酔っ払いが嫌になって食事を抜けた後、やることも無いので一人座った縁側で電球に照らされた暗い庭を眺めながら、ぼんやりと思い出す。


 じいちゃんが、じいちゃんだった頃の事を。ヘリコプターから撮った古い写真、畑で育てたあんまり美味く無いスイカ、ベーゴマの巻き方、自分もいつか死ぬのかどうか。


 死ぬのはもうしょうがないと思えるようになったけれど、自分が老人になった時の事を考えると、まだ少し寒気がする。



 ふと背中に人の気配がして、『何してるんだ?』と父親の声で尋ねられた。


 上手く答えられず『……別に』とだけ返し、庭の方を向いたまま唇を曲げて立ち上がる。

 そのまま振り向きもせずに廊下の角を曲がる寸前、真っ暗な庭をじぃっと見ている父親のやけに小さな肩が目に入った。


 その瞬間、ああ、と思った。俺より先に、父さんが死ぬんだなって。その時、初めて分かった。


 自分に孫が出来た瞬間、俺はじいちゃんになるんだって。いつかじいちゃんが買ってくれたところてんみたいに、ぐにゅって押し出されて、ぷるるんと『じいちゃん』になるんだって。


 そしたら自分が今住んでいるあの家が、その子の『じいちゃん家』になるんだって。


 そういう風になってるんだなって。


 そしたらあの家も、ここみたいに古くてかび臭くなるんだろうなって。


 なんとなく潰れたカエルみたいな気分のままで歩き出すと、いとこのお子さんが電車の玩具を走らせて遊んでいるのが見えた。

 首によだれかけをつけたまま、『あー』とか『うー』とか言葉にならない声で笑っているシンジ君。


  『じいちゃんは、お前が生まれた時にじいちゃんになったんだ』。そんなじいちゃんの答えを思いだして、凄いなと思った。


 それにしては、ちゃんとじいちゃんだったなあって。


 それからふと、自分が父親になってもじいちゃんになっても、じいちゃんはじいちゃんなんだと気が付いた。


 じいちゃんは、死んでもいろいろ教えてくれる。もう、とっくに死んだのに。


 大好きだったけど、もうあんまり好きじゃ無かったじいちゃん、俺のじいちゃん。


 ……なんだこれ。


 にゅわんとうねった虚しさを奥歯でぐにぐに噛み砕く。


 廊下の奥へと突き進むシンジ君のデカいお尻と、それを追いかけて従兄の奥さんが慌てて走って行くのが見えた。


 古臭い電話の下で、コオロギがリリリと鳴いていた。



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