Earth in the rain
唯希 響 - yuiki kyou -
雨
僕は、大きな間違いを犯してしまった。
それは取り返しのつかないことで、もう二度と元に戻らない。
雨は、止まること知らずに降り続けている。
水滴が地面や屋根を打ち付ける音だけが、永遠と大きく鳴り響いている。
例えるのなら、この窓の外で僕だけを置いて世界が終わっているような、そんな豪雨だった。
例えるのなら、この上空の、雲の上の、そのさらに遥か上から、この地球全体が雨晒しにされているような、そんな豪雨だった。
自分1人だけが、安全な場所でのうのうと生き残ってしまったような感覚。
【消えたい】
そう、願うほど、僕は僕を許すことができない。
いや、それすら自己保身かもしれない。僕は僕自身を自ら苛むことによって、それ以外の他人から責められることを避けているだけかもしれない。
なんてザマだ。僕は、これほどまでに自分のことしか考えられない人間だったのだろうか。
誰か、
誰か、どうか、
少しだけ、僕の話を聞いてくれないだろうか。
※
「ねえねえ!
その彼女が発した声が目指す先にいる僕の名前は
そんな僕に彼女は、いつもそんな風に笑顔で語りかけてくる。
それは、ずっとずっと昔からのことだった。
彼女、
でもそんな時間が、僕は愛おしくてたまらなかった。
そんな彼女が、僕は、大好きだった。
「今度はなんだよ、また自販機でジュース買ったらルーレットが当たってもう一本出てきたのか? ちゃんと僕の分のコーヒーにした?」
「もー、そんなんじゃないよ! っていうかなんで当たったら龍斗に奢らなきゃいけないのさ!」
「タダなんだからいいだろ」
「タダでもあたしが当てたんだからあたしのですぅー!!」
あくまで、かけがえのない、いつもの日常がくりかえされる光景。時間。
「ってそうじゃなくて!」
「なんだよ」
「あのね、」
しかし、その日から、その時間は僕にとって、苦痛の時間となり果てた。
「——あたしね、好きな人ができたの」
その瞬間、僕は世界が終わったのかと思った。
「……え……?」
「ん? どしたの、龍斗?」
「い、いや、……なんでもない」
「誰にも言わないでよ? 龍斗にしかいってないんだから」
「ご、ごめん、よく聞こえなかった……」
「いや、そんな小さい声で言ってないと思うんだけど……。恥ずかしいから何度も言わせないでよ! 好きな人ができたの」
「へ、へえ……な、なに……? 通学路でいつも寝てる子猫……?」
「あの子かわいいよねぇ〜…………ってそうじゃなくて! 人って言ってんじゃん! 人間の男の子!」
「ま、まさかぁ……」
「本当だって!」
僕は、信じられないのか、もしくは、信じたくないのか。
「だ……誰だよ……」
恐る恐る、尋ねる。
「本当に、誰にも言わないでよ?」
「あ、ああ……」
「えっと、……つ、
堤内、……
僕はそいつのことはよく知っていた。
僕と愛海と同じクラスの、僕の本当に数少ない友人だった。
そいつは、背が高く、頭も良くて、そして男の俺から見ても、いい奴だった。
この上なく、気に食わなかった。
自分の中の憎悪のようなものが、全て雅彦に向いているような。そんな感覚。
別に、愛海を手に入れたいなんて、そんなことは望んでいなかった。
愛海は、街中を歩けば、男女関係なく3人に1人の割合で振り返るような、そんな美しい女の子だった。
一度も染めたことがない、背中を覆う黒いロングヘアーが揺れる度に、その毛先を目で追ってしまうし、大きな彼女の真っ黒な瞳と見つめ合おうものなら、ブラックホールのように吸い込まれて、そこから動けなくなってしまう。
いくら周りの女子が、似合わない化粧をして、似合わない髪型をして、似合わない洋服で着飾っても、その中で彼女は、いつまでも何にも染まらず彼女でい続けていた。
そんなまるで日本の時代劇に出てくるお姫様のように麗しい彼女が、僕は好ましくて仕方がなかった。
でもだからこそ、そんな完全無欠の彼女を自分のものにする権利などないと、そう理解していた。
でも、
僕は、
自分のものにならなくても、
せめて、彼女が、誰のものにもならないでほしいと、そう願っていたのだ。
※
その日から、彼女の口からその名前を聞くことが多くなった。
その日々は、苦痛以外の何物でもなかった。
どこまでいっても、その苦しみからは遠のくことがなく、僕の後ろにぴったりくっついてくる。
まるで呪いのように、僕の胸を締め付ける。
彼女と話していても、彼女から離れて会わないようにしても、それは同様に、僕を追い詰めていく。
これほどの苦痛を味わうほどに、僕は何か罪を重ねたのだろうか。
「——ゅう……」
僕は、僕は。
「——おい、りゅう!!!」
「うわぁあ!」
「……おい、聞いてんのかよ、りゅう」
僕の目の前には眼鏡をかけた長身の男が立っている。
「……いや、すまん。ぼーっとしてた」
こいつが、他でもない、堤内雅彦。
僕は、正直言って人と関わるのが下手だ。だから友達と言える友達は愛海とそしてこいつぐらいしかいなかった。
幼馴染の愛海と、そして、俺のことを心から気遣ってくれる、雅彦。
このふたりしか、いなかったのだ。
「ったく、大事な話してるんだから」
「ごめんごめん、で、なんだっけ」
「だから、俺転校するんだよ」
「——え?」
「本当に話聞いてなかったんだな……」
「え、そんな急に」
「そりゃ俺だってそう思ったさ、しかも北海道だってさ」
「……あ? ……マジで言ってんの?」
「俺も冗談であって欲しかったな、遠いだけじゃなくて海の向こうだからな」」
信じられなかった。
「よくある親の仕事の都合ってやつだよ。俺はこっちで残って一人暮らしでもするって言ったんだが、まだ高校生だからダメだって言われちまった」
「そんな……」
「だから、お前と折戸にちゃんと話しておきたくてさ」
「……ああ、アイツはショックだろうな」
…………それは、本当に。
「まっ、俺がいなくなったところで別に何も変わらないだろうけどな、死ぬわけじゃないんだし」
「そうだな! なーんも変わらねえ!」
「おい!! そこは友達として否定するところだろ!!」
それから、2人でしばらく笑い合っていた。
胸の中の、寂しさを閉じ込めるように。
※
「ねえ、本当にどうしよう!! だって、堤内くん、本当に転校ちゃうんでしょ?!」
「……告白、とか……?」
……それは、想像するだけで悪夢のようだ。
「そ、そんな恥ずかしいことできないよ!!!」
顔を真っ赤にして、愛海はそういった。
「じゃあ、どうすんだよ」
「うーん……、」
考えこむ、愛海を僕は見つめる。
「………ねえ、」
「どうした?」
「……お願い、が、あるんだけど」
僕は、彼女のそのお願いを、承諾した。
※
「わるかったな、見送りまでさせちゃって」
雅彦は、目の前にいる僕と愛海を前に優しくそう語りかける。
「別に大したことじゃねえよ」
僕は、雅彦の背後の空っぽになった家を見ながら、表現のしようのない切なさを感じていた。
「堤内くん、……その、元気でね」
彼女の今の胸の内は、どれほど騒がしいものなのだろうか。
「ああ、お前こそ元気でやれよ、折戸。あんまりゅうに迷惑かけんなよ」
「それは多分無理だなあ」
「もうっ! なんで龍斗が答えるの! 迷惑なんかかけてないし!」
「あはは。本当に、仲良くやれよ。お前ら」
「……ああ」
「うんっ」
「じゃあ、そろそろいくよ。その……まぁ……またな」
「……ああ、ちゃんと帰ってこいよ」
「長期休みとかには帰ってこれると思うから、そしたら、また3人で遊ぼうぜ」
「……うんっ」
涙目の愛海がそれでもふりしぼって笑顔になろうとしている。
「おいおい、またすぐに会えるんだから泣くなよ」
「ほんとだよ、子供じゃあるまいし」
「二人ともなんなのもー!」
「雅彦ー、もういかないと飛行機間に合わなくなっちゃうわよー!」
雅彦の母親の声が響く。
「ああ、いまいく! ……んじゃあ、またな、俺がこっち来るだけじゃなくてお前らもたまには遊びに来いよ」
「わかった」
そうして雅彦は去っていった。
そこには、僕と愛海、2人だけが残された。
「…………ねえ、なんで、堤内くん、なにもいってくれなかったのかな。……手紙、読んでくれなかったのかな」
「あいつは、そんな奴じゃないだろ、お前から受け取った手紙はちゃんと昨日あいつに渡した。……たぶん、お前が泣いてるから、言い出せなかったんじゃないか」
「……それって」
「………………」
「うん、いい。それぐらいわかるよ」
「愛海……」
「まあ、ね。うまくいく可能性の方が少ないよね、そりゃあ。クラスの周りの子と違って、私地味だからなあ……」
「そんなこと……」
「いいよ、龍斗が優しいの、しってるから、でも、ありがとうね」
そんな、そんな言葉をかけられていい奴じゃないんだ僕は。
「めんどくさいこと頼んじゃってごめんね」
やめて、やめてくれ。
「ああ、可愛くならなきゃなあ」
やめろ。やめろ。
「やっぱり、人伝いのラブレターなんかより、直接告白しなきゃダメだよねぇ……本当にありがとう、すっきりした」
僕は、
僕は、
僕は
彼女から受け取った、雅彦へ渡すよう頼まれた恋文を、川に捨てたのだ。
※
※
式日だった。
黒い服を身にまとった人間で、そこは溢れかえっていて。
そして、その中に僕も、愛海もいた。
ほとんどの人間は、地面に視線を落としていた。
でも、僕はそれすらできなかった。
その日は、雨だった。
地面を打ち付けるような雨の音と、こらえるような小さな泣き声。
それでこの空間は埋め尽くされていた。
もう、雅彦は、どこにもいなかった。
写真の中にも、棺の中にも、
本当の雅彦は、どこにもいなかった。
周りの人たちは、まるでそこに雅彦がいるように振る舞った。
本当の雅彦は、もうすでにそこにはいないのに。
僕と愛海はその日は一言も言葉を交わさなかった。
でも、そばを離れることも決してなかった。
それは、彼女の優しさかもしれないし、僕の甘えかもしれない。
あの別れの日にした、3人の約束が、果たされることは、もうないのだ。
※
雨は、降り続いている。
彼女たちを引き裂いたのは、誰でもない僕だ。
僕があの2人の可能性を、そして、思いを打ち砕いた。
僕の、どうしようもなく、くだらない、嫉妬心で。
雨は、変わらず降り注いでいる。
式の後、彼女と別れて自宅にたどり着いても、僕は着替えることもせず、部屋の中でうずくまっていた。
雨は、相変わらず、降り続いている。
窓の外では、世界が終わっていく。
僕は、立ち上がって、外へ出た。
なぜだかはわからない。でも、雨に当たりたくなった。
強い、雨だった。水滴が、痛かった。
向かいの歩道すら見るとこが困難なほど、容赦なく水滴は地球に降り注ぐ。
……?
向かいの民家のベランダに、草のような、細い樹のようなものがあった。
普段は存在しないその異物の正体は、今日が何日なのか分かればすぐにわかった。
そういえば、
——今日は、七夕だった。
僕は、空を見上げる。
容赦なく水滴は僕の顔に降り注ぐ。僕はそれを手で防ぎながら空を見る。
……こんな雨で天の川なんて見えるわけないのに。
伝説によると、空の上で、織姫と彦星の仲を天帝が引き裂いた。
まるで、僕みたいだな。
でも、そうじゃない。
せめて、僕が、2人の架け橋をかけられればいいのに。
あの天の川に天帝が一年に一度橋をかけるみたいに。
2人が会えればいいのに。
一年に一度、会えるなんて、なんて贅沢なんだろうか。
なんで、それだけのことを、僕は、それをあの2人にさせてあげられないのだろうか。
天帝だって、後悔したのだろう。
2人の仲を切り裂いたこと。自分の選択を。
だからこそ、2人のために橋をかけたのだろう。
でも、僕には天帝と違って、それをとりもどす力はないのだ。
……手紙を渡していたら、
……2人の間を取り持っておけば、
結果は変わっていたのだろうか。
どれほど想像しても、僕の間違いは覆らない。
織姫と彦星が、今年も出会えているなら、
どうか、どうか、
彼女が、……彼女が、笑える未来を、
それだけを、僕は願った。
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