1億キロのベースボール

まろ

第1話

 バッターことbt3は1億キロメートル離れた小惑星ルテティアを見ていた。20兆キロほど離れた太陽より照りつける光で、その岩肌は白く輝き、bt3の可視カメラでも十分視認できる。視界を遮る大気は宇宙空間上にはないため、地球の直径より離れたその小惑星でも視認することはさほど難しくない。

 bt3はホームベースの前でバットを構えた。より正確に言えば『バット』と呼称する金属製の棒をアームに握りこみ、体の前に伸ばした。

 bt3は小惑星シュテインスの上に立っている。シュテインスは直径6キロメートルほどの小惑星である。火星と木星の間にただよう小惑星帯には準惑星に区分されるケレスや、直径400キロを超えるベスタ、パラスといった大型の小惑星もあるが、数で言えば大半は石ころ以下の大きさのものなので、シュテインスは比較的大きい小惑星である。

 bt3は太陽光に白光りする自身のアームで、白銀のバットを強く握りしめる。あと五時間ほどで次の球がバッターボックスにたどり着く。すでにシュテインスの地表に対してアンカーを打ち込み、体を固定している。あとは普段通り来た球を打てばいい。

 宇宙空間には風はなく、視界を遮る雲もない。bt3は何度となく繰り返したバッティングの構えをする。全てがいつもどおりであった。

 唯一違うのは、今回のピッチャーだけだった。

 bt3は70日近く前の通信記録を読み返す。

 参照したログには、変化のない記録に突如緊急通信が書き込まれていた。

「警告。警告。ピッチャー、識別番号pt32に異常発生。付近のbtシリーズ、及びptシリーズは十分に注意をして下さい」

 あの日よりbt3は小惑星ルテティアの、地表に立っているであろうpt32に対して、カメラを向けていた。



 トロヤ鉱業株式会社は小惑星帯では最大の鉱物企業であり、小惑星帯での鉄鉱石、アルミニウム産出量の実に70%を占めている。トロヤ鉱業の活動範囲は小惑星帯全域に及び、ケレスなどの順惑星級のものから直径50メートル級の多数の小惑星まで幅広く採掘を行っている。

 しかし小惑星帯での採掘は大きな問題があった。とにかく広すぎるのだ。地球や火星の鉱山と比べ、採掘場と加工場の距離はゆうに十兆キロを超え、ロケット推進を用いた小型運搬船でも使えば、小国の国家予算を超えるほどのコストがかかる。そのためケレスなどの巨大な小惑星を除けば、ほとんどの小惑星は手付かずのままであった。そこに目をつけたのがトロヤ鉱業株式会社であった。格安かつ自立起動の運搬ロボット及び採掘ロボットを用いて小惑星感ネットワークを構築。『スタジアム』と呼称される運搬システムを実用化し、小惑星帯の権益をほぼ専有することに成功した。そしてスタジアムシステムにより、トロヤ鉱業は太陽系一の企業へと上り詰めることができた。

「しかし、である」

 星間通信によりケレスにあるベンチから、サインが伝わってくる。「アステロイドベルト間ロボット中央監視なんとかかんとか管理ベース」は、そのあまりに長々しい名称から『ベンチ』と略して呼称している。ベンチから小惑星帯のロボットに対して指示が送られており、bt3はCPUの優先度を高め、通信情報の確認を行う。

「君たちロボット諸君も知っての通り、トロヤ鉱業はスタジアムシステムによって低コストで星間採掘を実現することができた。それも君たちロボットのたゆまぬ努力の結果であるところは我々も同意するところである。しかし、である。そのような君たちの努力にもかかわらず一部ロボットの制御不良により、小惑星ルテティア周辺の諸君らには重大な危機が生じている」

 やけに長々しく、眠たくなるような言い回しなのは、必ずしもベンチの通信監督の偏屈のせいとも言い切れない。セキュリティ上の関係でサインは暗号化して伝えられる。電波は届く範囲であればどこからでも盗み見ることができるので、情報流出の防止のため、まず監督が身振り手振りで合図を送り、それを1024通りの暗号化手法を駆使して見えなくし、送信した後はそれの買得作業のためロボットたちは少ないCPUを使ってメッセージを読み取る。暗号化用のダミーコードを含めるために、恐ろしく仰々しい文章を作成するのは、人類が地球にいた頃からの伝統である。

「知っての通りスタジアムシステムには、採掘を行うキャッチャーロボット、採掘した鉱物を転送するピッチャーロボット、ピッチャーロボットより送られてきた鉱石を集積基地である『ホームベース』へ中継するバッターロボット、この三種類によって構成されている」

「キャッチャーは鉱物を採掘し、転送しやすいようにボール状に固める。そしてキャッチャーは間近にいるピッチャーにボールを渡す。人間型の形状をしているピッチャーは別の小惑星にいるバッターに対してボールを投げる。小惑星にはほとんど重力がないので、投球方向と速度が正しければ対象となる小惑星の軌道と交差し、バッターロボにまで飛んで行く」

「バッターロボはバットと呼ばれる金属棒で飛んできた球をスタンドへ転送する。ピッチャーの間にバッターを挟むことにより、より遠方からの物資の転送を可能とする。このシステムの画期的なところは、極めて少量のエネルギーで運用できることにある。各ロボットは太陽光発電により動作し、自動的に鉱物を転送する。ピッチャーにより小惑星から放たれた球は、小惑星の微小な重力を脱したあとは太陽の引力に合わせ、秒速17kmで浮遊する。とはいえピッチャーから一直線にホームベースに転送できれば話は早いが、間に障害物がある場合はピッチャーのみの転送はできない。そのためバッターにより軌道を変えることで、どこからでもホームベースに転送できるようにする」

「キャッチャー、ピッチャー、そしてバッターの三者が連携し、小惑星帯という空間を支配する。それがスタジアムシステムの骨子であるということは、ロボット諸君はよく知っているだろう」

 bt3は何百回と聞いた前口上をメモリーに刻みつつ、頭に付いているアンテナの位置を微修正する。人型の形状をしているbt3は、人体で言うところの頭部にカメラやセンサが集積されており、その上に通信用のアンテナが搭載されている。ケレスへと向きを微調整すると、かすかに電波の通りがよくなった。

「とはいえ広大な宇宙空間ゆえ、配置できるピッチャーやバッターの数も最低限のものとならざるおえない。バックアップも用意できないため、一つの機器が壊れれば、周辺のピッチャーやバッターにも影響が出てくる。だからできるだけ故障を起こさないよう、遠隔地からのメンテナンスを定期的に行っているのだが、今回不幸にもルテティアのピッチャーが故障を起こしてしまった」

 小惑星ルテティアのデータがbt3のアンテナに受信される。小惑星ルテティア、1852年に発見された小惑星、直径95.76キロメートル、好転期間は3.8年、2010年に旧ヨーロッパの彗星探査機ロゼッタにより調査が行われた。

「ルテティアのピッチャーは25時間前より応答が不正常になった。こちらの通信に返信を返さず、また返しても不明瞭なノイズ混じりのものであった。こちらからピッチャーの内部システムへアクセスしようとしたが、ピッチャー側がログインを受け付けない。そして10時間前より小惑星アニーカへの送信が滞るようになる。直後、ルテティアからの送信の遅延は、ツィナー、トゥオルラ、ハリスンからも確認されるようになる。そして数時間前より通常の軌道にない送信が確認された。対象となる地域はシュテインスであるが、その他にも投球されている可能性がある。各自注意する必要がある」

 つまり小惑星シュテインスにいるbt3は、はからずも壊れたピッチャーの世話をしなければならないということだった。bt3はバットを握るアームの、制御部の稼働を確認する。どのような球が来ても問題なく打ち返せる。

「bt3、聞こえるだろうか?」

 ベンチより個人通信が要求された。bt3はそれを了承する。数分ほど電波受信のために待機していると、再びベンチより通信があった。

「先ほど言ったとおり、ピッチャーは君に対して投球を行った。その玉はおよそ60日ほどでそちらに届く。一度投げられてしまった以上、それを回収する手段は君が打ち返すことしか無い」

 一番近いケレス支部からも数兆キロ単位で離れている。頼れるものはbt3自身の体だけ。助けを呼ぶには、この宇宙は広すぎた。

「ただピッチャーシリーズのロボは、常にバッターの手前に投げるよう、プログラムのコアの部分で指定されている。つまりピッチャーから投げられた球を、君は必ず打つことができる。多少軌道や速度を変更したところで、ストライクゾーンに投げるという命令を、書き換えることはピッチャーにはできない」

 通信を受けbt3はピッチャーより投げられてくるであろう球のシミュレーションを行う。投げた先がbt3の手前だとすれば、ピッチャーの投球した一から逆算することで、球の即親方向を導き出すことができる。演算処理にリソースをさこうとしたとき、ベンチから一言だけ通信が送られる。

「幸運を祈る」

 先程までの長々とした文章と、全く不釣り合いの言葉が届いた。



 いつの時代もバッターの仕事は変わらない。飛んできた球を狙い通りの方向に打つことだ。たとえそこが宇宙でも、投げられてくる球が金属でも、ピッチャーが暴走していたとしても。

 bt3は再度自身の状況を確認する。

 内蔵電力量異常なし。上腕のモータ部異常なし。頭部センサー異常なし。背中の太陽パネルは若干ほこりが付いており、電力供給量が若干下がっているものの、特に問題となる程でもない。脚部より地面に打ち込まれたアンカーは、十分にbt3の体制を固定している。いつ、どんな球が来ても対応はできる。

 光学センサーに映る球の姿は次第に大きさをまし、太陽光を反射させて白銀に輝く。普段のピッチャーの球に比べて早いものの、決して打てないというものではない。

 一時間前の情報より球の位置変化を導き出す。何万回と繰り返した軌道計算は、内閣低めギリギリを十分後に通過するというものであった。

 球の投球先が決まっているため、ピッチャーが投げ方を変えたところで、必ずバッターはヒットを打つことができる。bt3にしてみれば簡単な仕事だった。

 刻々と迫る球の観測、及び軌道演算を空きもせず繰り返つつ、bt3は余ったリソースでピッチャーの暴走について考える。しかしすぐに音を上げる。ベンチから与えられた情報が少なすぎるため、ピッチャーに関して考えを進めることができない。それにピッチャーがベンチの指示を無視したところで、球を打つことについてはいつもと何ら変わることは無い。投げる場所が分かっているので、そこにバットを降るだけだ。

 すぐに五分たち、もうすぐ十分になる。

 相対速度の関係により、秒速10kmで金属球が近づく。それをケレス方面へと打ち返せばbt3の仕事は終わる。

 間近に迫った金属球を確認し、bt3は違和感を感じた。球がぶれているように見えた。再度確認するも、センサーに映る球の位置にズレがみえる。

 bt3は観測結果に混乱した。センサーが故障している可能性を考慮し、機器状態を見直しつつ、残りのリソースで観測結果を分析する。そしてbt3は気づいた。

 球は一球ではなく、二球、いや三球あった。

 最初の一球の影になるように、二球目と三球目が投げられていた。しかもこれら三球は同じタイミングでbt3の前を通過する。どの球も微妙にコースが違うため、一球を打った所であと二球には対処できない。

 軌道計算に注力しつつも、bt3には一つの疑問があった。なぜピッチャーは三球を同時に投げることができたのだろうか?

 その疑問は軌道計算が住むと同時に解消した。三球の速度は微妙に異なっており、先頭の球が一番遅く、最後の球が最も早い。そのため三球ともbt3への到達時刻に差があった。ピッチャーは遅い球を投げた後に速い球を投げ、到達時刻が同じになるよう調整したのだ。例えば地球で行われる野球であれば、このような芸当は距離が近すぎてできないだろう。宇宙空間のように数兆キロ離れた場所への投球だからこそ出来たことだ。

 bt3は考える。三球全てを対処する方法はあるか?

 無理だ。

 すぐに考えを不可能と判断し、最初の球だけでも打ち返すよう体の姿勢を調整して、バットを振りかぶる。

 バッティング動作に移りつつも、bt3は考えることをやめない。

 なぜピッチャーはこのようなことを球を投げたのだろうか? そしてなぜピッチャーは暴走したのだろうか?

 もしかしたらピッチャーは球を打たれたくなかったのかもしれない。広い宇宙で一人で打たれ続ける。そんなことに耐えられなくなったかもしれない。bt3からすれば、迷惑な話だが。

 球が近づく。bt3ができることは変わらない。今も、昔も。これからも。

 bt3はバットを振った。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

1億キロのベースボール まろ @maro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ