エピローグ ヴァージンランドの彼方

 ― 1 ― サーカス初日

 大砲の中はやはり火薬の匂いに満ちていた。


 汗くささと無縁なのはありがたかったけれど、これはこれで辛い。

 早く出たいという気持ちはつのるばかりだが、ここから脱出するには試練がある。轟音と共に発射されなければいけないのだ。


 ナオミ・デリンジャーは人間大砲の砲弾としての役目を仰せつかり、砲身に押し込められていたのである。


 サーカスの団長は度胸を旨としなければならない立場だ。それはわかっていたけれども、なにしろ初体験である。クルップ爺さんは絶対大丈夫だと太鼓判を勝手に押してくれたが、人間が死ぬということを除き、この世に絶対なんてない。


 けれど拒否権はなかった。数日間、サーカスを留守にした負い目もある。ここで存在感を示さなければ、団長としての資格が疑われても仕方がない。


 また恵殿エデン市民の視線もあった。

 ショービジネスの世界に生きるナオミは、ヒロインとしての役割を求められていることを理解していたのである……


  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 結局、火曜の朝に延期されたプリティ・ズーの公演だが、客入りは予想外に好調であった。

 大入り満員といってよいまでの盛況ぶりである。征督府長官コンスルは不入りを予想したが、それは見事に外れたわけだ。


 たしかに市民の間には、ナオミに対する冷ややかな視線はあった。月下の騎士の逮捕に一役買った小娘という評も流れていたが、すべては土曜の朝刊〝エデン・サンライズ〟の記事が押し流してしまった。


『……月下の騎士が裁判中に逃走を試みるも、征督府長官コンスルの活躍によって気球から墜落。死亡の可能性濃厚なるも、遺体は確認できず。潜伏先を通報するか、骸を届けた者には賞金を支払う用意あり……』


 紙上にはナオミのことも記されていた。それによれば、若きサーカス団長は行きがかり上、月下の騎士の捕縛に立ち会っただけであり、手柄ととがはすべて征督府長官コンスル一人に集約されると明記されていた。ナオミは事件に巻き込まれた被害者に過ぎないのだと。


 それは四角堂スクウェアから発せられた情報操作の結果だ。識字率も民度も高い恵殿エデン市民は、ナオミに同情的な紙面を字義どおりに受け入れた。

 小娘のせいで月下の騎士が難儀したのではといぶかしむ者もいたが、それは少数派だった。気の毒な少女がボスを務めるサーカスなら、ぜひ観に行ってやらねば。そう思う人が大勢を占めたことは、埋め尽くされた客席が証明している。


 また富裕層には、純粋に月下の騎士を憎んでいる者も少なくない。逮捕と結末に立ち会った少女の顔を見るためなら、身銭を切っても惜しくなかろう。そう考え、足を運んだ者も多数にのぼった。

 結局ナオミの騒動は、プリティ・ズーの興業における絶好のプロモーションとして機能したわけである。


 そして――

 月下の騎士を崇拝する庶民も、嫌悪する富裕層も、共通して信じてはいない事実があった。


 彼が死亡したかもしれないという発表である。

 相手は不死身の怪人だ。体力・気力ともに人間離れしている。たとえ殺しても死なないのではないだろうか。そんな噂まで飛び交っていたくらいだった……


 死刑執行にも似た時間を大筒の中で過ごすナオミに、クルップ爺さんのしわがれた呼び込みの声が響いてくる。

「さあさあ! そのお坊ちゃまにお嬢ちゃま! 超弩級大型人形劇『ピノッキオ』の開演まであと10分だよ。御両親もどうぞご一緒に。勧善懲悪の物語は情操教育にも最適でございますよ。さあ、入口はただ! 入口はただだよ!」

 もちろんしっかり出口でお金を取るわけだし、勧善懲悪かどうかかなり微妙なところだが、ともかくそちらの客入りも悪くはなさそうだ。


 周囲には他にもお客を誘い込むセールストークが溢れていた。

 プリティ・ズーは大きなテント一つを会場にまとめる従来のサーカスとは違い、小さな出し物小屋を複数用意し、お客を流動させるシステムを構築している。

 さすがに猛獣ショーや空中ブランコといった大がかりなショーは、メイン会場での限定公開となるが、他にも一五分程度で見物できる寸劇や手品をそこかしこで行われている。


 これはお祭りフェスティバルの感覚に近い。とにかくお客を待たせたり、飽きられたりしてはだめだ。その方針を打ち出したナオミのアイディアに従い、プリティ・ズーは異能の演芸集団として業績を伸ばしていたのだった。

 もっとも設備投資が祟り、借金が増えていたので、財政状態は決して健全ではないのだが……


 いちばん人気があったのはやはりモコモコである。腹がふくれて、大人しくなったマンモスは街の方々ほうぼうを出歩き、愛嬌を振りまいていた。


 そして次点が新参者のミイラ男であった。お化け屋敷ファンハウスで子供を脅かす役だが、本当に怖いと大人にも評判だった。

 実は、怪人の正体はグレゴリー・ゴンドルフだった。月下の騎士を騙り、巨亀ケルビムの口で消化されかかった悪党だ。


 病院に担ぎ込まれた彼は、命こそとりとめたものの、皮膚組織が再生するまで向こう三年は全身に包帯を巻いて暮らさなければならないと、医者から宣告されていた。

 無一文で治療費も払えずに困り果てていたゴンドルフをクルップ爺さんがスカウトしたのだ。ウチのサーカスでミイラ男をやらないかと。包帯は自前なのだから衣装もいらない。そのまま子供を脅かすだけでいいと。


 日銭を稼ぐために芸人になったゴンドルフだが、やはりまだキワモノの部類でしかない。誰でも喜んでくれるイベントは、やはり命がけの芸でなければ。

 そう考えたからこそ、ナオミ・デリンジャーは自らの体を提供する覚悟を決めたのだった。


 それが本日のラストイベントであり、メインイベントだ。

 団長自らが演じる人間大砲だった。


 極楽門ヘブンズ・ゲートの側に設置された大筒が午後六時の時報がわりに雄叫びをあげ、同時にナオミが派手に打ち出されるのだ。


 落下予定ポイントは自由中央公園フリーダム・セントラルパークに設けられたメイン会場。その一角には安全ネットが張られており、一五〇フィート(約四六メートル)を飛ぶ予定のナオミを受け止める仕掛けになっていた。

 安全は確保されていたけれど、やはり怖い。想定外の海風でも吹いたら、この身は地面に叩きつけられる。


(なにかの都合で中止にならないかなあ。突発事態が起こるとか)

 そんな身勝手な思いで心を満たし、大筒の中で小さくなっていたナオミだが、やがてその耳は遠方から響いてきた野獣の声を聞きつけたのであった。


 ぱぉおん。


「モコモコだ。なに?」


 ぱおぉぱぉぉぉん。


「温泉のところに人が集まってる? あっちで何か出し物をしていたかしら?」


 その直後――

 爆発音が恵殿エデン全市にこだました。百万の雷鳴に匹敵する大音声だ。


 ぱおぉぱおぉぱぉぉぉん。


「城壁が燃えてるですって!? まさか!」

 ナオミはルール違反だと知りつつも、筒先から頭を突き出し、外を垣間かいま見た。

 街の東に聳える城壁が炎に包まれていた。一部はすでに瓦解している。さらなる火焔が押し寄せると、海際の部分が大きく揺れ、そしてあっけなく倒壊した。


 驚いたのは炎の色だ。


 目にも鮮やかな薄い黄色シャンパン・イエロー――ナオミにとってそれは10年前の悪夢を想起させるに充分すぎる要素であった。


 黄色いイエロー・悪魔デビルだ!

 ホーリー・ウッド村を焼き尽くした地獄の業火だ!


 そして――

 崩れかけた城壁をかきわけるようにして何かがうごめいているのがはっきり見えた。ナオミにはその正体も瞬時にわかった。

 あれは人語を解する巨亀ケルビムに違いない。


 さらに、その甲羅に屹立する男の影を認めたとき、ナオミは大声で叫んでいた。

「クルップ爺ちゃん! 大砲の向きを変えて! 仰角も! 最大出力・最大射程で私を打ち出して! 西へ西へゴー・ウェスト!」


 さすがに呼び込みを止めていたクルップは、大筒を見上げながら、

「駄目駄目。そんなことしたらお前は海に落ちてしまうわい。まあ、華々しい見せ物にはなるがのう」


「いいから! 奴を捕まえるにはそれしかないの!」


「まあ、団長命令なら仕方ないのう。どうなっても知らんよ」

 爺さんはそうつぶやきながら、素直に大砲の後部へ回った。文句を言いつつも実行に移してくれるのは人間大砲の発射システムに自信を持っている証拠だろう。


 ギヤと歯車が融合したハンドルが回される。同時に大砲が傾きを増していき、四五度の所で止まった。遠方へモノを飛ばす際には、それがベストの値なのだ。

「じゃあ行くぞよ。5秒前!」

 いきなり5秒前なの! せめてカウントダウンは30秒くらいくらい取ってくれないと、心の準備が!

「…4…3…2…1…0…発射ファイアー!」


 どん。


 爆裂音は思いの外に小さかった。

 足許にかかると予想していた衝撃も大したことはない。

 意外だったのは頭部への圧力だった。大筒を抜け出た直後から、圧搾された空気がまともにぶつかってくるのだ。


 幸いにして、ナオミは月下の騎士が残したテンガロン・ハットを後生大事に被っていた。それは頑丈でヘルメットとしての役割を充分に果たしてくれている。


 耳朶みみたぶがちぎれそうな風切り音のなか、ナオミは勇気を振り絞って瞳を開いた。


 飛んでいた。人が、街が、壁が、海が、亀が、そして男が見えた。


 網膜にそれらを焼き付けた後、ナオミはクルップ爺さんに教えられたとおり、腕を開き、体が回転するままに任せた。

 こうすれば、腰からお尻にかけてが接地する角度を保てるそうだ。もっとも網ではなくて海面に落ちるのだから、相当な衝撃を覚悟しなければならないが。


 あえて両眼を見開き、己の行く末を凝視するナオミは、天地が逆転し、蒼き海が視界の大半を占める瞬間を目撃し、そして――


 どぱーん。


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