― 3 ― デュエリストのプライド

「ちょっと! 離して! 離してってば! どこ触ってんのよ! こらー!」


 月下の騎士はナオミ・デリンジャーの両腿を抱えると、小柄なボディを一気に持ち上げ、そのまま自らの肩口に担ぎ上げた。撫で肩気味な外見とは裏腹に、奇妙なまでにガッチリとしていた。オヘソの部分が肩胛骨にまともに当たって恥ずかしい。


「動くな。飛ぶぞ」


 短くそう告げたかと思うと、月下の騎士は螺旋階段の手摺りに飛び上がり、宙へ跳ねた。

 肉体はまだ万全ではなかったであろうに、ジャンプ力に一切の陰りはなかった。月下の騎士は数メートルの狭間を飛翔し、四角堂スクウェアの屋上へと着地した。


 悲鳴をあげる暇さえ与えられず、新たな舞台ステージへと運び込まれたナオミは、そこで準備にいそしむ女優に再会したのだった。


 月下の騎士は乱暴な調子で叫ぶ。

「ミス・ソフィー・ホチキス。準備はできていような!」


 ナオミはびっくりした。

 ここにソフィーがいたという現実にではない。相手の表情にだ。

 厳しいハウスキーパーとしての顔はそこになかった。逆らえぬ暴君に従う弱気な女性としての表情を携えたまま、彼女は小さくうなずいた。


「いつでも大丈夫です。ナオミさんががちょっと足をどけてくれたなら、すぐ展開できますわ」


 昨日丸一日、上司として暴虐の限りをつくしたメイド服姿の女はそう言うと、非難そのものの視線を繰り出してきた。

 屋上に降ろされたナオミは、自分が踏みつけているものに気づき、あわてて飛び退いた。


 そこには純白の布が広げられていた。

 折りたたまれているためか、大きさはそれほどでもない。だが一方の端にはロープが結わえ付けられており、その先には人が乗りこめるサイズのバスケットがセットされている。バスケットの一角には、円筒形のタンクのようなものが幾つか装備されていた。


 間違いない。熱気球バルーンだ。

 翼を再発見できない人類が空を飛ぶために発明した乗物だ。月下の騎士はこれで再び自由を手にするつもりだろう。


 準備したのはソフィーのようだ。こんな細工をしていたため、今朝は姿を見せなかったに違いない。彼女はナオミが安全距離に退いたのを確認したあと、指先で機械を操作した。


 ぱん!


 鋭い爆裂音と共に、巨大な風船が目の前に出現した。プリティ・ズーでやっている手品でもミニサイズの風船は多用するけれど、とてもこれほど鮮やかにはいかない。


 目を丸くしているナオミへと向かい、月下の騎士は、

「そんなに驚くな。アジ化ナトリウムで窒素ガスを膨張させただけ。これで終わりでもない。これからバルーンにやんわりと水素を送り込み、三分で即席の熱気球を完成させる。それで逃げるのだ。虚飾に彩られた退廃の都からな」


 そこで黒衣の怪人は急に口を閉じたかと思うと、二人の女を品定めするかのように見比べ、苦み走った表情を見せ、やがて悲しげな双眸そうぼうまで披露したあげく――ナオミ・デリンジャーの腕を取って言った。


「私と来るがいい。退屈だけはさせないと保証してあげよう」


 どきり、とした。


 状況はともあれ、女として選ばれたのは事実だった。初めての体験に心臓がぜるナオミであった。


 もちろん従うわけにはいかない。手を振り解き、ノーと叫ばなければいけない。手首に力を入れ、拒絶に移ろうとしたとき――


「……私はどうなるのでしょう」

 絞り出すような調子で選ばれなかった女――ソフィー・ホチキスが問いかけた。


 だが月下の騎士は、冷たい方程式を口にするのみだ。

「これは二人乗り。搭載重量は一〇〇キロが限界なのだ。私が六二キロ。この小娘が四〇キロとみて……」

「三八キロ!」

「合計でジャスト〇・一トンだ。まさにギリギリ。お前を乗せると絶対に浮かび上がれない。すまないが、お前を選ぶことは私にはできないのだ」


 直後ソフィー・ホチキスは落涙を始めた。それはすぐ滂沱に変わり、嗚咽に変化し、絶叫へとた。


「あぁうぁうううぅうぅぁあぁあーんっ!」


 日蝕で暗闇を増していく一方の屋上に野獣のような鳴き声が轟いた。

 負けた女の絶叫だった。


 同じ女性として、ナオミにはソフィー・ホチキスの痛みはわかった。

 お前は選ばれなかった。選ばれなかったんだ。

 そうした呪詛が脳裏を駆け巡っているに違いない。


 想像を裏付けるかのように、月下の騎士がとどめの台詞を口にした……

「消去法だ。お前は弟に飼われている身分ではないか。言うなれば走狗そうく。私が脅して協力させたと主張すれば、罪にもなるまい。だがこの娘は違う。放っておけば再び私を誘き出す罠として用いられよう。巻き込んだ責任もある。助けねばならぬのだ。

 それに、ミス・ホチキスは思い出さねばならない。前回選択の機会を与えたとき、この私を拒絶した過去を。

 今さら選んでくれとどの口で言う? あまりにも虫が良すぎるとは思わないか? 恥を知るならば、己の甘さを噛みしめつつ、死ぬまで悩むがよろしかろう。捨て扶持と共に余生を生きるのも一興だろうよ」


 死者に鞭うつような無慈悲きわまる一言に、ナオミが言葉を挟もうとしたときだ。その役目を横からかっさらう者が登場したのだった。


「敗者に一切の情けもかけぬのは兄上ビッグ・ブラザーではないか」

 征督府長官コンスルだった。

「犯罪では飽きたらず、女性の心を蹂躙して恥じ入ることなき兄を持ち、余は弟として恥じいるばかり」


 文明人らしく、隅に設けられていた通用口から姿を見せた南部峯ナンブミネ憲治郎ケンジロウは、巨大かつ不格好な銃を両手で握りしめたまま、こちらに歩み寄ってくる。


「裁きの場から逃走を図るだけでも許し難いのに、罪なき女性に脱走幇助を強要させていたとは、なんと見下げ果てた男よ。法と秩序と正義を好む余であっても、時として定石じょうせきから外れたい気分に襲われるときもある。今が、そうだ」


 撃鉄を起こし、銃口ノズルを月下の騎士へと指向させた。そんな相手を見遣り、兄と目される男はあくまでも冷静に応対する。


「丸腰の者を撃ち殺すのが法であり秩序であり正義なのか? この状況で私を撃てば殺人罪が適用されるぞ。それはお前がもっとも憎む罪のはずだがな」


 それが自分のことを意味していると悟ったナオミは、限界近くまで緊張した。

 しばしの沈黙。そして――


 征督府長官コンスルが大声でこう告げた。

「ミス・ナオミ・デリンジャー! 余のもとへ来るがいい!」


 ノーと叫びたかったが、相手が殺傷能力の高い飛び道具を携えている以上、拒否権はない。ナオミは慎重に征督府長官コンスルへと近づいた。


 すると浅黒い顔の弟は、腰のホルスターから凶器を取り出した。銃身がやたらに長く、黒一色に染め抜かれた物騒な鉄塊だ。

 間違いなく、月下の騎士の愛銃だった。


「殺人ではないぞ。決闘だ。この小娘に銃を託す。テンガロン・ハットと引き替えに返してやろうではないか。ご自慢の〝落武者のルーザーズ種子島タネガシマ〟を」


 撃つ気はないとわかっていたが、銃口で狙いをつけられていてはもう言うとおりにするしかなかった。

 ナオミは呆れるほど重い銃を受け取り、それを月下の騎士へと運搬する。受け取った彼は冷徹に語った。


「この間合いでも、拳銃の弾丸ではポンチョを貫けない。同等の素材が織り込まれたテンガロン・ハットはそれ以上に頑丈だ。つまりは私の防御力を削り取ってから勝負しようというわけだな」


「左様。余はそんな鎧のような服を着て右往左往するほど酔狂ではないのでな。撃たれれば、即昇天だ。これでフェアな闘いができようぞ」


 ナオミは意表を衝かれた。月下の騎士は提言を受け入れ、自主的に帽子を取るや、彼女の頭に被せたのだ。

 差し出した黒光りする拳銃を穏やかに奪い取った月下の騎士は、弾倉部シリンダーに四五LC弾を詰め直し、それを腰のホルスターに差し込むと、ナオミに向かってこう語りかけた。


「もういちどお前に預けよう。再会の時まで持っていてくれ。今度は簡単に棄てるんじゃないぞ」


「いいや。棄てるのだ」

 征督府長官コンスルが強気に言い放った。

「ナオミ・デリンジャーに依頼する。勝負の堰を切ってもらいたい。その帽子を空高く投げ上げよ。屋上にそれが落下すると同時に銃撃を始める。ここで一切合切に決着をつけようではないか。異論があれば申せ」


 月下の騎士も大声で応答する。

「ない。できれば急いでもらいたいくらいだ。皆既日食の時間はせいぜい三三〇秒。長期戦になればこちらが不利なのだから」


「不利も有利もない。ここが月下の騎士の墓場となるだけ。ボーチャードピストルの威力を思い知らせてやる。眉間に第三の眼球を開けてしんぜよう」


自動拳銃オートマチックか。新しいものが大好きで詳しいお前に相応しい武器だ。けれども言っておこう。最新イコール最高とは言い切れないのが、工業製品の悲しい現実なのだぞ」


「化石になりつつある回転式弾倉シリンダー式の怪物拳銃を大事に持ち歩いている者ならではの意見だ。懐古趣味は発展を阻害する害毒。どうか人類の進歩の邪魔だけはせず、猿は猿同士で遊んでいてもらいたい」


 どうやら勝負の気運は少女を置き去りにしたまま、勝手に熟してしまったらしい。断ることも逃げることもできなかった。ナオミは死刑執行人ハングマンになった気分を味わいつつ、ゆっくり帽子を脱いだ。


 その場で回れ右をする。とてもではないが正視する勇気などなかった。

 ナオミは雨に濡れた毛布のように重たいテンガロン・ハットを握りしめ、そのまま空へと放った。


 そして、そして、そして――


 ぱさり。

 乾いた着地音がした。

 だが銃声は響かない。

 いつまでたっても聞こえてこない。


 意を決して振り返る。ナオミは意外すぎる光景を目撃した。

 白と黒の男が放つ眼光――それが交錯する中間ポイントにおいて、両手を広げて立ち塞がる女がいたのだ。


 ソフィー・ホチキスだった。

 彼女は月下の騎士に顔を、そして後頭部を征督府長官コンスルを向け、半泣きでこう言った。


「同じあやまちを、繰り返さないで。もう、私のために、傷つけあわないで」


 それまでの発言と雰囲気でわかった。詳細は推理するしかないが、ソフィーをめぐってこの兄弟は過去にも死闘を演じたに違いない……


「どきたまえ。ソフィー・ホチキス。でなければまず君を物理的に排除してから下手人を撃たねばならない。余はそんな悲しい真似はしたくないが、可能ではある」


 征督府長官コンスルの冷徹な一言に、月下の騎士も続ける。


「悲しいが弟は手段を選ばぬ男。本当に撃つぞ。望むなら、せめてその前に私が死に水をとってやってもいい。好きな男の銃弾で心臓を止められたなら本望であろう」


 溢れる涙と震える膝をごまかそうともせず、ソフィーは叫んだ。

「二人とも撃ってみなさい! 絶対できないくせに。私の心と体をさんざんもてあそんだあなたたちに、引き鉄をひく資格なんかあるもんですか!」


 それは爆弾発言そのものだった。

 ナオミは赤くなりながらも理解した。ソフィーが地雷を踏んだことに。


(だめだわ。それ以上、いけない!)


 クルップ爺さんから聞いていた。男はプライドだけにすがって生きる悲しい生き物。それを忘れた女には厄災が訪れるのだと。


 ソフィーの発言で、両者が沸騰したのは確かであった。冷静を装ってはいるが、熱が頭蓋に篭もっているのは一目瞭然だ。

 決闘の経験は薄いけれども、公演という修羅場を連日のように潜り抜けているナオミにはわかった。こんな心理状況で器用な射撃などできるわけがない。


 ここは私が止めなければ! 彼女はポンチョの裏に指を伸ばした。


 手加減している余裕も時間もなかった。ナイフセット『カトラリー・ファミリー』のうち、もっとも破壊力のある50番台フィフティーズ――殺害を主目的とするものに指を伸ばし、慎重に両手に収める。


 不意打ちは好きじゃない。けれども勝ち方にこだわっていい場面でもない。ナオミは無言のまま、これまで封印してきた二振りの強力な武器を投げ放った。


 風切り音を奏でながら征督府長官コンスルに殺到したのは54番〈魂の簒奪者ラバー・オブ・ザ・ソウル〉、そして月下の騎士へと飛翔したのは55番〈神の鉄槌ハンマー・オブ・ザ・ゴッド〉だ。

 ともに刃渡り五インチ(約一二七ミリ)を超える刃物。少女が扱うには凶悪すぎるそれが手から離れる瞬間まで、冷静を保っている自分がおかしかった。


 すぐさま鉄塊が屋上に転がる音が聞こえた。

 それも二つ。バントライン・スペシャルとボーチャードピストルだ。

 握力を失った月下の騎士と征督府長官コンスルは、同時に銃を取り落としたのだった。


 後悔を感じたのは両者の手首に血の花が咲いたあとだった。

 相手に手傷を負わせたという悔悟の念が押し寄せてきた。それを強引に跳ね飛ばすため、ナオミは大声で叫ぶ。

「両者ともそこまでよ! 女の子の目前で殺し合いなんてしちゃ駄目! ちっとも男らしくなんてないわ。ただのバカにしか見えないわよ!」


 啖呵を切ったすぐあと、天が祝福するかのように明るさを取り戻した。

 とうとう皆既日食が終焉を迎えたのだ。


時間切れタイムオーバー

 そう宣告したのは月下の騎士だった。彼は静かに笑うと、どこにそんな体力が残っていたのかと訝しむまでの跳躍をみせた。

 足先が望んだのはバスケットだ。月下の騎士は、いつのまにか脹らんでいた気球に固定されたそれに自らの体を投げ込み、反射的に砂袋を外へと投げ捨てた。重量を失った気球は引力に逆らって上昇を開始する。


 ナオミは確認した。振り仰いだカーゴの底に、はっきり血溜まりができていたのを。与えた傷は思いの他に重かったのだろうか。


 急速に天へと駆け上がっていく気球から、あの男の声が響いた。


さらばだアディオス! 少女たちよガールズ。縁があればまた会おう!」

 その台詞は聞き覚えのあるものだった。余裕すら感じさせる台詞に、ナオミは新たな刺客をポンチョから取り出した。


 32番〈岩石両断ロックバスター〉。短いが幅広の一本だ。ロープを切り裂くには最適だろう。


 だが、しかし――スローイングにまでは至らなかった。


 このまま逃がしては駄目だという思いと、このまま逃がすべきだとする思い。それが交錯し、腕の振りを躊躇ちゅうちょさせたのだ。


「しばし待たれよ」

 横から助け船を出したのは征督府長官コンスルだった。右手首を貫いたままの54番〈魂の簒奪者ラバー・オブ・ザ・ソウル〉をおもむろに抜くと、彼はこんな台詞を発したのだった。


「少女に殺人の罪を被せるわけにはいかぬ。余が汚れ役を演じようぞ」


 横にソフィー・ホチキスが駆けてきた。彼女は自分の上着の袖を細く裂くと、即席の包帯を作り、征督府長官コンスルの左腕にあてがおうとした。


 けれども征督府長官コンスルはそれを押し止め、左手で〈魂の簒奪者ラバー・オブ・ザ・ソウル〉を握りしめるや、それを気球めがけて投げつけたのだった。


 ナオミにはすぐわかった。ナイフの軌道が、気球とカーゴを繋ぐロープを直撃するコースを飛んでいることに。

 予測は的中した。〈魂の簒奪者ラバー・オブ・ザ・ソウル〉は蜘蛛の糸のようなロープを横切り、それを真っ二つに切断した。

 四本のつなで固定されていた籠は、一気にバランスを失い、空中で横倒しになった。


 そこから、ごろり、と何かが転がった。黒褐色の物体だ。

 それは月下の騎士ナイト・アンダー・ザ・ムーンだった。


 彼の体は力なく宙を転がり、そのまま落下していく。高度は軽く一〇〇フィート(約三〇メートル)は超えていた。地面に叩きつけられては絶対に助からない。


 ナオミとソフィーの悲鳴が共鳴しつつ、屋上にこだまする。

 すぐに黒衣の男は乱立する建物の間に墜ち、見えなくなった。


 そして――天を支配する太陽は、まるで何事もなかったかのように、勢いを盛り返しつつあった……

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